第241話 嘉兵衛は、男心に理解を求めるも……

永禄4年(1561年)10月中旬 信濃国深志城 松下嘉兵衛


上杉軍が越後に引き上げたので、武田軍も海津城を発ち、甲斐に向かって帰国の途に就いたのだが……


「え?穴山殿が……」


「はい。今朝未明、急な病により亡くなられたと今……」


「そうか……」


ホント、暗殺すること風の如しというか、信玄公の仕事は手早いなぁと感心することになった。しかも、甲斐からは未亡人となったご息女もこちらに向かっているという事で、たぶんこのままだと葬儀の後で顔合わせを……という流れになるのは予想できた。


いや……信玄公の事だ。もしかしたら、俺を逃がすまいとそれ以上のことをしてもよいと言われるかもしれないな。ならば、メイド服でも用意しておこうか。17歳という事だし、それで「おかえりなさい、ご主人様」なんて呼んでもらえたら……


「どうかなされたのですか?そのようにニヤニヤなされて……」


「な、なんでもない」


待て待て。いきなり初対面でそんな事を求めたら流石にドン引きされちゃうな。それに涙にくれる喪服の少女も悪くはないし、ここは様子見で、あとは流れで一気に行っちゃうか。うん、それがいいだろうな!


「……藤吉郎。大蔵殿は一体どうしたのだ?あのように気持ち悪い顔をずっとなされて……」


「これは尾張守様。しかし、御心配には及びませんよ。いつもの発作ですから」


「であるか」


であるかって待て!何をいつもの発作と言われて納得しているんだ、信長よ!おまえにだってあるだろうが。こんな風にスケベな妄想で悶えることは!


あ……そんな可哀そうなものを見るようにするなよ。傷ついちゃうだろうが!


「ところで、今日はどういったご用件で?」


「実はな、国元から文が届いて……それで、大蔵殿の見解を伺いたく相談に参ったのだ」


「相談?」


どうやら真面目な話のようなので、俺は色々と複雑な心境を一旦脇に置いて、信長の言葉に耳を傾けることにした。ちなみに、その内容はというと……義元公より、市姫を養女に迎えたいという打診を受けたということだった。


「それって、つまり……」


「ああ。太守様は市を北近江・浅井氏に嫁がせたいようだ。斎藤を滅ぼすためには西にも協力者がいると仰せられてな」


形としては、あくまで打診ということだが、降伏した織田家に拒む事が出来ないのは火を見るよりも明らかだ。だから俺は、「おめでとうございます」と祝意を伝えた。


「かたじけない。しかし、貴殿はそれでいいのか?」


「なにがですか?」


「決まっておろう。俺は貴殿に市を貰ってくれと頼んでいたのだぞ。それを舌の根が乾かぬうちに撤回されて……腹が立つという事はないのか?」


ああ、それは全くない。いや、寧ろホッとしている。政虎公との浮気に穴山未亡人の側室入りも重なって、俺の危険度はすでにMAXなのだ。これ以上、殺されるネタを増やしたくはないというのが本音だ。処刑方法がより残忍な形になる可能性もあるし……。


だから、信長には心配いらないと答えた。この一件で関係が損なわれることはないと。


「おお、尾張殿もおられたか」


「これは信玄公!」


だけど、こうして話がまとまったところに現れた信玄公に、俺たちは驚きながら頭を下げる。


「どうされたのですか。用事があるのでしたら、某から参りましたものを・……」


「いや、内密の話ゆえ、そういうわけにはいかぬ」


それってもしや、ご息女とのお見合い話なのか?予定を変更するから、初七日が終わったらメイド服着させてイチャイチャして構わないとか。


「なんじゃ?その気持ち悪い顔は……」


「いつもの発作という事らしいです」


「そうか。まあ……男にはそういう日もあるな」


おお!流石は信玄公だ。よく男心を分かっておられる……って、なんかそれも微妙だな。理解されたら理解されたで仲間に落ちたようで……。


「ところで、そろそろ真面目な話をしても構わぬか?」


「ああ、それでは某はこれで……」


「待て。尾張殿が居て好都合なのだ。ともに話を聞いてくれぬか?」


「それは構いませぬが……」


そして、信長が不思議そうな顔をする中で、信玄公はおもむろに口に出された。即ち、甲府に戻ったら隠居しようと思う……と。

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