第240話 寧々は、おとわの出産に立ち会う
永禄4年(1561年)10月上旬 尾張国古渡城 寧々
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」
産まれた。お方様が赤ちゃんをお産みになられた。わたしは、事前に割り振られたお役目を果たすべく、早速広間へと駆ける。皆様にこの慶事を知らせるために。
「申し上げます!お方様、無事にご出産されました!」
そして、噛まずに一気に言い切れて、お役目を果たせたとホッと胸をなでおろしたところで、本多様に訊ねられた。「それで若君なのか、それとも姫君なのか」と。
「あ……」
「何をやっているのだ。確認もせずにここに来たのか?」
「も、申し訳ございません!」
ああ、呆れられている。いや、呆れられているだけならばまだマシだ。お鈴様の青筋を立てた笑顔がとても恐ろしい。
「寧々……あなた、今夜の祝宴はずっと水杯だからね?」
「え、えぇ……と、水割りではなく?」
「そうよ。水割りでも湯割りでもないわ。今夜のあなたはずっと井戸水よ」
「ごめんなさい!この通り謝りますから、どうかそれだけはご勘弁を!」
「なりません。あと、祝宴の前に始末書を出すことも忘れずに」
「そ、そんな……」
鬼だ。この鬼ババア……わたしに死ねというのか!始末書はひな形作っていて、あとは署名すればいいから何とかなるけど、お方様が産気づいてからずっとお酒も飲んでいないのよ!あんまりだわ!!
「まあまあ、お鈴殿。今日は娘にとってめでたい日ですし、某の顔に免じて許してやっては頂けませぬか?誰にでも失敗はありますし……」
「わかりました。信濃守様(井伊直盛)にそう言われましたら、許さないわけには参りませんわね」
助かった……井伊のご隠居様に感謝だ。よし、今夜は祝宴。盛大に樽酒から空けようかな?
「寧々……何をしているのです?」
「はい?」
「はいじゃないでしょう。さっさと産屋に戻って聞いてきなさい。若君なのか、それとも姫君なのか」
「あ、すみません!今すぐ確認して参ります!!」
危ない、危ない。折角許されて、お酒の道が開けたというのにまた鬼ババアが立ち塞がるところだった。わたしは急いで元来た道を戻って産屋に飛び込んだ。すると、可愛い赤ちゃんが産婆に抱かれてニコニコ笑っていた。
「か、かわいい~」
「そうでしょ。わたしの娘だからね。可愛いに決まっているのよ」
「あ……お方様」
まだ起き上がる事はできないようだけど、その言葉は力強く自信に満ち溢れているように感じた。流石はお方様だ。
「それよりも……前に頼んでいた事、覚えている?」
「ええ、殿の部屋にある秘密の衣装箱の調査でしたね。確認は終えておりますが……ご覧になられて大丈夫ですか?」
「ふふふ、お産は初めてじゃないからね。余裕よ」
まあ、そう言われたので、わたしは以前お方様からお預かりした帳簿を差し出した。帳簿には衣装箱に入っているはずの着物の絵とそれが何着入っているのかが元から記されていたが、そこに結果を追記している。
「しかし、帳簿に記されていたのに、衣装箱に入っていない物がありましたが……」
「それがこの『女医服』と『メイド服』と『チア服』なのね?」
「あの……それは何の着物なのでしょうか?」
わたしの質問に対して、お方様はため息を一つ吐かれて「これは浮気道具よ」とお答えになられた。
「う、浮気道具ですか!?しかし、お人好しと評判の殿が浮気など……」
「意外とするのよ、あの人は。下半身はホント誠実じゃないからね」
そして、これらの衣装は相手の女性に着させて楽しませるのだと……お方様はまたため息を吐かれた。つまり、お城から持ち出されているという事は、信濃で遊ぶ気満々で出かけられた証拠だからと。
「……最低ですね。お方様が出産で大変だったというのに……」
「お家の繁栄を思えば、必ずしも悪い話じゃないのよ。そうやって縁が広まれば、あずさや虎松、それにこの子に幸を呼び込む事にもなると思うのよ。実際に綾が側室になったから、畿内の松永様とも縁を結ぶことができたし……」
「お方様……実は賢かったんですね」
「あのね、わたしだって今は5万石の大名夫人なのよ。勉強だってするわよ」
そういえば、殿が信濃に出立してしばらくは「やる事がないわ」とぼやいていたのに、いつの間にか本を読む時間が増えられていたわね。しかも、最初はすぐに涎を垂らして大いびきをかかれていたのに……最近はそんなこともなくなったし。
「御見それいたしました。流石はお方様です」
「でしょ!」
しかし……その枕元には『浮気夫にお仕置きする百の方法』と書かれた本がある。いや、何も言ってはダメだわ。直感だけど……それは虎の尾を踏むことになるような気がする。
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