第188話 嘉兵衛は、孔明の罠にハマる

永禄3年(1560年)5月下旬 尾張国清洲城 松下嘉兵衛


前田又左衛門殿の娘をうちの息子の許嫁にする件は、保留とさせてもらう事にした。能力の高い武将なので、縁を結ぶのは決して悪い話ではないが、俺自身が許嫁に捨てられた身だ。


双方が長じた時に気が合わない、あるいはその時の状勢が一緒になることを許さないという話になるかもしれないので、後日顔合わせはするが、今は幼馴染に留めることにしたのだ。


そして、そんな私事の事よりも、今は清洲城だ。


「門が……開いていますね」


大手門の前に辿り着いた我らであったが、まだ夜明け前で煌々と焚かれている篝火によって照らされた門が開いている事を知り、足を止めた。


城には斎藤家の旗が至る所に立てられているが、不気味なほどに静かで何やら様子がおかしいようにも感じた。


「罠かな?藤吉郎はどう思う」


「空城の計という可能性も……」


藤吉郎の話では美濃からの援軍は来ないという。援軍がなければ、この城を十数名程度で維持する事などできないわけで、半兵衛ならば間違いなく撤退を選ぶはずだ。


「すると、門を開けているのは時間稼ぎか?」


「その可能性もありますが……それだけではない可能性もあります」


「それだけではない可能性?」


「やはり、罠はあると考えた方がよろしいかと。その罠に引っ掛かって我らが時間を費やせば、美濃へそれだけ安全に帰還できますからな」


ただ、藤吉郎の意見を取り上げるのならば、結局我らはどうすればよいのかという話となる。


「いっそのこと、この城を素通りして半兵衛を追うか?」


「必ずしもこの城から出立しているとは限りませぬし、我らとしてはこの清洲城を奪い返すことが最も重要な事だと考えます。ですので……小六どん」


「なんだ?」


「まずは蜂須賀党が先行してくだされ。安全が確認出来たら、我らも後に……」


「おい、おまえ……ふざけているのか?」


確かにこれはふざけている。それでも藤吉郎は撤回せずに、「ここで漢を見せれば、我が殿の心証が良くなり、しいては今川領となったこの尾張で生きていけるのだ」……などというが、これでは蜂須賀党が離れかねないと俺は思う。


なので、俺自ら小六殿に謝罪をして、代わりに俺が先頭に立って城に乗り込むと宣言した。


「お、お待ちを!それは流石に危険かと……」


「虎穴に入らずんば虎子を得ずというやつだ。それに、ここが『功名が辻』と申したのは藤吉郎……おまえだぞ。ならば、俺が先頭に立たずにどうする?」


まあ、半兵衛の罠が怖くないと言えば嘘になるが、この戦国の世はいつ命を落としてもおかしくはないのだ。それに、死んでもまた転生するかもしれないし……と、これは口には出せないけど、兎に角ぐちゃぐちゃ考えるよりも体を動かした方が早いというのが俺の結論だ。


しかし、そのように覚悟を決めて前へ進もうとしたところに、大きな背中が目の前に現れた。


「殿……お志は立派ですが、それでは家臣としての面目は立ちませぬ。先陣はこの前田慶次郎が仕る!」


「慶次郎……」


慶次郎だけではない。護衛としてついてきた兵たちも先行すると言い出して、さらには又左衛門までもが前へ出ると言い出した。


「いや、又左衛門殿は織田殿の家臣に戻られるのでは……」


「戻るためにも、ここは手柄を立てておく方がいいからな。ただ……もしもの時は、うちの娘の事は頼みますぞ?」


「ああ、承知した。だが、あくまでもしもの時はですからな。無理はなさらずに」


無理をしたら、奥さんは慶次郎のモノになりかねないからとは流石に言わなかったが、まあ……何はともあれ、出陣だ。俺の後ろは蜂須賀党が固める事になり、城門の向こう側へと乗り込んだ。


だが……結論から言うと、罠など何もなかった。


「大蔵殿。城内をくまなく探しましたが、罠など何もなく……さらに、人の姿はありませんでした!」


「小六殿、ご苦労でした」


なんか、肩透かしを食らったようで、拍子抜けしたが……となると、半兵衛は逃げる事を優先させたという事か。


「殿、かくなる上は追撃を」


「左様。今ならまだ遠くまでは行っていないはず。どうか、この手で半兵衛の首を獲ることをお許し下され」


いや……やはり、おかしいな。半兵衛ならば、罠を仕掛けずに逃げたら、慶次郎や又左衛門殿が言うように追撃をかけられることなど予想しているはずだ。何かある……気づいていないけど、まだ何か……。


「殿!」


「どうした、藤吉郎。そのように慌てて……」


「これを……これをご覧下され」


「ん?なんだ……なんだ!?これは!!」


藤吉郎が持ち込んだ重厚な文箱には、十数通の書状が保管されていたが、その中身は今川家の主だった家臣が半兵衛の調略に乗って寝返りを約束した内容となっていた。実際に裏切った堀越や瀬名の物もあったが、それに混じって俺の名で送られた物も……。


「言っておくが、俺はこのような物を送ったことはないぞ!」


「わかっております。ただ、これが太守様の元へ渡ると面倒な事になりかねません。それに偽物ゆえに、これと同じものが城内のどこかに隠されている可能性があります。見つけ次第、燃やさなければ……」


なるほど……つまり、これが「孔明の罠」というやつか。城内を隅々まで探索する我らに追撃などできるはずもなく、悔しいけど全ては奴の思惑のままに。

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