第24話 箱根・竹ノ下の戦い

 鎌倉時代半ばの寛元4年(1246年)、後嵯峨天皇の譲位後に皇統は皇位継承を巡って大覚寺統と持明院統に分裂した。そこで鎌倉幕府の仲介によって、大覚寺統と持明院統が交互に皇位につく事(両統迭立)が取り決められていた。


 元弘元年(1331年)、大覚寺統の後醍醐天皇は全国の武士に討幕の綸旨を発し、元弘の乱を開始した。初めは実子の護良親王や河内の武士楠木正成など少数の者が後醍醐のため戦うのみだったが、やがて足利高氏(のちの尊氏)や新田義貞らも呼応したことで、鎌倉幕府とその実質的支配者北条得宗家は滅んだ。


 正慶2年/元弘3年(1333年)5月22日、建武の新政と呼ばれる後醍醐天皇による親政がはじまった。はじめ後醍醐は足利高氏を寵愛し、自らの諱「尊治」から一字を取って「尊氏」の名を与えた(偏諱)。後醍醐が実施した法制改革や人材政策は基本路線としては優れた面もあったものの、戦争後の混乱に法体系の整備や効率的な実施が追いつかず、政局の不安定が続き、また恩賞給付にも失敗があったため、その施策は賛否両論だった。建武2年(1335年)7月、北条時行ら北条氏の残党が中先代の乱を引き起こすと、その討伐を終えた尊氏は、恩賞を独自の裁量で配り始めた。すると、建武政権の恩賞政策に不満を抱えた武士たちの多くが尊氏に従った。


 尊氏の恩賞給付行為を、新政からの離反と見なした後醍醐天皇は、建武2年(1335年)11月19日、新田義貞や北畠顕家に尊氏討伐を命じ、建武の乱が開始。新田軍は箱根・竹ノ下の戦いで敗北。


 時は建武二年、箱根・竹ノ下の地は、足利尊氏と新田義貞、二つの軍勢が激突する戦場と化していた。

 その戦場に、突如として二つの影が現れた。一方は、見慣れぬ白い道着を纏い、研ぎ澄まされた闘気を放つ男。もう一方は、漆黒の道着に身を包み、冷酷な眼光を放つ男。

「ケンシロウ…」

 漆黒の道着の男、シンが呟いた。

「シン…なぜ、お前がここに…」

 ケンシロウが問い返す。

「貴様と同じだ。この戦乱の世に、力を貸すために来た」

 シンは冷たく言い放つ。

 二人は、かつて愛を巡って争った宿敵同士。しかし、今は共に、この戦乱を終わらせるために戦うという。

「貴様と共闘するなど、考えられぬ」

 ケンシロウは警戒を解かない。

「フン、貴様の力が必要なだけだ。この戦、貴様一人では終わらせられん」

 シンは薄く笑う。

 その時、足利軍の兵士たちが二人に襲いかかってきた。

「ならば、貴様の力、見せてもらおうか」

 ケンシロウは言い放ち、北斗神拳の構えを取った。

「望むところだ」

 シンもまた、南斗聖拳の構えを取る。

 二つの拳が、戦場で火花を散らす。

 ケンシロウの北斗神拳は、敵兵の秘孔を突き、次々と倒していく。シンの南斗聖拳は、敵兵の体を切り裂き、血の海を広げていく。

 二人の圧倒的な力に、兵士たちは恐れおののき、逃げ惑う。

 その様子を見ていた足利尊氏は、二人の力に驚愕し、警戒を強める。

 一方、新田義貞は、二人の力を味方につけようと、密かに接触を試みる。

 ケンシロウとシンは、それぞれの思惑を胸に、戦場を駆け抜けていく。

 戦いは激しさを増し、多くの命が失われていく。

 その中で、ケンシロウは、戦乱で苦しむ人々を救い、シンは、己の力を試す。

 二人の戦いは、やがて、戦局を大きく左右することになる。

 そして、二人の拳は、この戦乱の世に、どのような結末をもたらすのか。

 彼らの戦いは、まだ始まったばかりである。

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