第35話 風と炎/鏡

「――敵砦の右に伏せていた魔法兵部隊が攻撃を受けています!」

「悟られたか……リュエンめ、詰めが甘い……弓兵部隊、火矢を放て!」


 馬上で報告を受けたジャルドは、総大将の旗の近くにいた。火計が成功すれば悠々とグラスベル領を侵せるはずで、自分は前線に出ることもないと胡座をかいていた。


「で、伝令っ……て、敵が空中に現れ……な、何かしています……っ!」


 フレスヴァインは夜空に浮かぶ雲に紛れている。月も隠れれば、その姿を視認することは難しい。


「その何かを確かめもせず、私に斬られるために戻ってきたのかッ!」

「っ……お、おそらく、魔法……ですが、あまりにも……」


 ――ジャルドの頬を、ひゅるりと風が撫でていく。


 それが魔法を放つ予兆であることに気づいていたのは、最初に攻撃を受けた魔法兵部隊だけ――つまり、今からグラスベルに侵攻せんとする兵士たちは、想像していなかった。


「――風術・緑翠鳳凰」


 ジャルドがまだ視認できない位置――グラスベルの砦上空にいるフレスヴァインが、緑色の輝きを纏う。そして繰り出した羽ばたきは、一回ごとに豪風を巻き起こす。


「まさか……そんなことが、出来るわけが……」


 風は、東風に変わっていたはずだった。それが今、ヴァンデル伯軍の旗は――西からの風を受けて靡いている。そして、バタバタとはためき始める。


「――出来る、わけがっ……!!」


 止めることもできずに放たれた火矢が、空中で煽られて戻ってくる――そして、方陣を組んでいた歩兵部隊の上に降り注ぎ、草原に火の粉を撒き散らす。


「うわっ、ひ、火がっ……!」

「――一気に燃え広がるぞっ……まずい、この矢、油がっ……!」

「に、逃げろっ……隊長、方陣解除の命令をっ……」

「貴様らっ、隊列を乱すな……くそっ、くそぉぉぉぉっ!」


 夜闇を炎が照らすがそれでも視界は悪く、混乱した兵たちがあちこちで潰走を始める。西――グラスベルの方向に向かうことができないのは、断続的に続く強風に煽られ、進むこともままならないからだ。


「うぉぁぁっ……!!」


 馬のいななきと、騎兵の叫びが上がる――風を受けて鞍上から落下し、千を超える騎兵たちがことごとく動けなくなる。


「魔法兵を集めて風魔法を使ったか……グラスベルのどこに、こんな兵どもが隠れていたのだ……!」


 グラスベルに潜り込んだヴァンデル伯麾下の騎兵連隊は、各地での情報収集も担っていた。


 必ず勝てると踏んで始めた戦だった。それが、グラスベルに入ることも叶わずに、全軍が潰走する危機にある――そんな現実を認められるわけがなかった。


「か、閣下……敵は魔法兵など動員しておりません。この風魔法を使ったのは、あの……」

「――怪物が来るっ……そ、空からっ……うあぁぁぁっ!」


 一帯の風向きを変えるほどの豪風を生み出しながら、夜空を裂くように、緑色の光を放つ巨鳥が現れる。それは異様な光景だった――だが、敵の位置が分かったことを、この瞬間においてはジャルドは僥倖と捉える。


「ならばこの神器で射抜くのみよ……っ」


 携えていた槍は、ジャルドが収集していたもう一つの神器である。ヴァンデル伯が所有する神器は二つであり、アシュリナの持つ天召力によって新しく一つが増える予定だった。


「――堕ちろぉぉぉぉぉっ!」


 『翼を持つ槍』――対空性能を持つその投げ槍は、空中の目標に必ず届くという能力がある。


 ジャルドの放った渾身の投擲に、逃げ惑っていた兵たちが士気を取り戻しかける――しかし。


「その槍は『届く』だけだ。お前の練度では私には当てられない」


 アシュリナは首をそらして槍を避け、高速で飛来した槍の柄を掴む。


「と、止めた……ジャルド閣下の放った槍を……」

「神器が通じない……っ!」


 ジャルドはまだ動くことができない。愕然としたまま、上空のフレスヴァインを見上げている。


「次は私の番だな……そちらが火を使うなら、それを利用させてもらうぞ」


 フレスヴァインは羽ばたきを続けたままで、アシュリナは印を結ぶ――風向きを変えることを考えたときから、この策が兵士たちにとって駄目押しになると想定していた。


   ◆◇◆


「火術……乱れ炎龍・朧」


 私が印を結んで放ったものは、炎の龍――それが五匹現れ、兵士たちに向けて襲いかかる。


 名前通りの乱れ撃ち。炎龍はそれぞれ予想もできない動きで、まるで生きているかのように兵士を追っていく。


「な、なんだ、この炎は……触れるな、持っていかれる……っ!」


 熱のない、けれど燃え移って消えない炎。それは、燃やした相手の魔力を燃料としているからだ――こちらが使われたらこの上なく厄介だが、大軍を追い払うには適している。炎龍を五匹出して維持するだけの魔力があればだが。


「閣下、兵の一部が撤退を始めています……このままでは侵攻どころでは……っ」

「黙れ……貴様がしくじったからこそこの状況になっているのだろう、リュエン……!」


 ヴァンデル伯は馬に乗って駆けてきた将校に痛罵を浴びせる。それを見ていた周囲の兵たちが、ついに耐えかねたように逃げ始めた。


「逃走した者は残らず処刑する……一人たりとも私は決して忘れん……!」

「覚えている必要もない。あなたはここで終わりだ、ヴァンデル伯」


 逃走する兵に気を散らすヴァンデル伯に近づくのは容易だった。ここでヒュプノスを使ったら終わっていたが、敵もさる者だ――状態異常を防ぐ装飾品をつけている。


(ボスキャラには状態異常が絶対効かない……っていう事態は、『アーティファクト&ブレイド』には存在しない。装備で耐性がつくけど、それを壊したり奪うこともできるから)


 しかし、最初からその状況を狙うものでもない。私は木刀とヒュプノスの二本を構える――ヴァンデル伯は馬上からでは届く武器がなく、馬から降りて剣を抜いた。


「……なぜグラスベルに貴様のような者がいる。まさか……」

「あなたが送り込んだ騎兵連隊は、私が潰した。あんな下策で、グラスベルを好き勝手に荒らしてくれたものだな」

「抜かせ……っ、ぬぅぅぅん!!」


 ヴァンデル伯が斬りかかってくる――重量のある両手剣は遠くまで届き、まともに受ければ木刀では折られかねない。


 向こうは自分より膂力のある者などいないと侮っている。しかし大振りの連続では、隙ができるのは時間の問題だった。


「真っ二つにしてくれる……!」


(――そこっ!)


 ヴァンデル伯の振り下ろしを避け、同時に木刀で小手を弾く。魔力を込めれば金属を貫通して衝撃が伝わる――そして、鎧のつなぎ目を狙ってヒュプノスを突き出す。


「ぐぅぅっ……ぉ……おぉ……」


 自分の力を過信してはいない。私が先制攻撃を仕掛けることを提案したのは、これまでの戦いで分かっていたからだ。


(負ける要素が見つからなかった。私は、この辺りの敵で苦戦することはない)


 心界でいくら日数をかけても先生から一本取ることができない。そんな私はまだまだだと思っていた――けれど、それは。


 先生がいる領域が、理解を超えているということ。そして今、私はその先生の力を借りている。


「――閣下から離れろ」


 クロスボウを構えているのは、おそらくヴァンデル伯軍の青年将校――存在には気づいていたが、撃てる気力があったのは意外だった。


 この青年からは、先ほどの槍のように特異な気配がする――神器を所持している。


(……この人、かなり強い。おそらくはヴァンデル伯よりも)


 簡単には避けられない。相手の挙動を読んで、確実に回避する必要がある――水術か、それとも『影楼』か。この戦いの中で初めて、生と死の狭間を意識させられる。


 私がヴァンデル伯から離れると、男――リュエンと呼ばれていた――は、クロスボウを捨てて剣を握った。刀身が鏡のように磨かれたその剣は、揺らめく炎の明かりを照り返していた。

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