四章

第34話 作戦/風の神

 同盟各都市からの援軍が到着するまで、グラスベル公は東平野部の国境砦を断固死守するという選択をした。


 これに対し、ヴァンデル伯は国境のすぐ手前に兵を集めているが、決定的な行動に出ていない。


 公邸で瞑想できる場所を探すのはちょっと大変だったけど、普段人が入らないという物置き部屋を見つけて、私は戦場の情報について先生に相談していた。


「……いくさをするのか。暗君に振り回される人々の心中はいかなるものか……勝てば国が豊かになるというのも、確かではあるか」

「たとえそうでも、こんな始まり方をした戦で人が死ぬのは間違っています」

「お主……初めて見るというわけではないが、怒っているな」

「はい、怒ってます。でもちゃんと冷静ですから、大丈夫ですよ」


 私はヴァンデル伯のことをよく知らない。神器召喚に失敗したと大きな声で言われて、それが幽閉の引き金になったとも思っていない――ただ、これまでのことを考えたら。


「ヴァンデル伯は討たねばならん。それについては儂も意見は同じだ」

「……先生」

「こっちも同意見だけど、あいにく今の段階では私を使って大勢を相手にするのは分が悪い。単体の兵を相手にするなら幾らでも役に立つけどね」

「相手が準備を整えても攻めてこないのには、何か理由があると思うんですが……お二人の意見を聞きたいです」


 私が見たものを心界でそのまま再現した戦地周辺の地図を見て、無楽先生はあごに手を当て、シルキアさんは自然体でいる。


「……こんな原っぱで空気も乾燥してるっていうなら、アレだよね」

「うむ……火計だな。この世界には魔法があるため、火付けの準備が見えなくとも警戒すべきだろう」

「火刑……グラスベルの砦に火を放つっていうんですか?」

「まったく、あの村の時といい短絡的すぎる。グラスベルの各街を攻めるときにも火計が選択肢に入るのだろうし、やはりここで撃退する以外にはないな」

「フォルラントの兵をグラスベルに入れてはいけない……入れさせない。先生なら、それができますか?」

「……儂を試そうというか。まったく、不遜な弟子だ」


 怒られたとしても、それを聞かずにこの先にはいけない。それに私は、先生を侮ったりは決してしていない。


「儂ならできるだろう、と言えばいい。どう動くかは教える必要もあるまい」

「ムラクはその段階まで進んでいるしね。健気な主様にどうやって熟練度を上げさせたのやら」

「健気っていうことはないですよ、繰り返しの作業が苦じゃないんです」

「鍛錬を作業と言うな、馬鹿者……などと、お主ほど勤勉な弟子にはとても言えんがな」

「ああ、やっぱり『自力強化型』なのか。こう言っては失礼だけど、ムラク……君が宿っている木刀は、見た目上はそんなに……」


(見た目からするとレア度が低そうっていうのは、無理もないよね。そういう武器でも、同じ武器を召喚したら合成してレア度を上げられるものもあるんだけど……『木刀』はそうじゃない)


 装備してひたすら特訓やクエストをこなすこと。それが『赤樫の木刀』を強化する唯一の方法だ――しかし今の段階『降神の木刀』よりさらに上げるのは、ゲームでは至難の技だった。


「自分と似たもの……同一存在の多重召喚とでもいうのか。それを行ったときに二つをかけ合わせて強くなるというのは、儂には向いていないからな」

「私は『強化&覚醒型』だからね。装備して使ってもらってもいいけど、それで熟練度を上げるのは困難極まるっていうわけ……でも、主様ならやり遂げられそうだね」

「私、そういうのは好きなので。時間をかければ熟練度が上がるって言われたらほんとにずっとやっちゃいますよ」

「それは本当に必要になった時にすればよい。儂はまだ極意を教えてはいないのだからな」


 シルキアさんはとても楽しそうだけど、それ以上は何も言わなかった。もう、あまり時間がないと彼も分かっているのだと思う。


「では……ヴァンデル伯軍の侵攻は、瀬戸際で止める。行くぞ、アシュリナ」

「はいっ……!」

「そしてヒュプノスも」

「はいはい。主様、木刀で受けにくい攻撃が来たら遠慮なく私を使ってくれていいよ。私は金属製だし、装飾もそう簡単には壊れないからね」

「ありがとうございます、胸に留めておきます」


 瞑想を解いたら、フォートリーンの街から東南東に向かう。任務はヴァンデル伯軍を戦意喪失させること、そして撃退だ。


   ◆◇◆


 夜も更けて日が変わる頃。国境付近の砦を守るグラスベル兵の中で、見張りをしていた者が最初に異変に気づいた。


「風向きが……変わった。これが『風の神の移り気』……」


 例年この時期に起こることだが、それがいつ起こるかは決まっていない。西から吹いていた風が、突如として東風に変わった――そして。


「っ……て、敵襲、敵襲ぅぅぅぅっ!」


 見張りは大声を出しながら、警報の鐘を鳴らす――風向きが変わっていなければ、砦から射手の攻撃が届く距離に、黒いローブの一団が現れていた。


 彼らの後ろには投石機カタパルトが控えている。それが投げ放ってきたものは、黒い液体だった。


 鼻につくような匂いに、兵たちはすぐに気がつく。あの黒いローブの一団が仕掛けてきているものは――火計だ。


「隊長殿っ、あの黒づくめの一団を倒すために兵を向かわせてください! ここからでは矢が届きません!」

「――フォルラント軍が動いたっ……く、来るぞっ……!」


 砦の中で鬨の声が上がる。騎兵たちが出撃し、ヴァンデル伯軍に向かっていく。


 火計を成功させるための足止めだと分かっていても、後手に回ったグラスベル軍にはどうすることもできない。


 風向きさえ変わらなければ。それとも、援軍が到着していれば――見張りの兵は、放たれる無数の火球の魔法を城壁の上から見つめながら、逃げることもできずに呆然と立ちすくむ。


 ――だが。


『――水術・瀑布水龍弾』


 何かが空を駆け抜けてくる。凄まじい速度で飛んできたそれは、龍の姿をした水の塊――それは火球を一瞬にして飲み込み、さらに方向を変えて黒いローブの一団に向かっていく。


「な……んだ……あれは……」


 未知の光景を目の当たりした兵は、さらに信じ難いものを見る――西の上空に、何かがいる。


 霊鳥フレスヴァイン。グラスベル兵が初めて見るその魔物が、何者かを背に乗せている。


「風向きの変化を読んで火計を仕掛けるとはな……だが、やってやれないことはない」


 フレスヴァインの背に乗った『黒髪の魔導師』は、両手で印を結ぶ――辺りの風が、羽ばたく巨鳥を中心にして渦巻き始めていた。

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