〈宿屋にて〉Ⅳ

 シャフークとカウィーは、空いたふたつのマットレスをそれぞれ宛がわれ、横たわっていた。窓際と入口には、見張り番が立っている。誰も物音一つ立てなかったが、寝息が聞こえないところから、皆眠らずに息を殺して緊張しているのだとわかった。

「明日の朝、ここを発つぞ」

 夕刻、チェムとナセルは、傭兵集団にそう告げた。夕陽の橙が窓から室内に流れ落ち、床の上に燃ゆる鮮やかな平行四辺形を形作っていた。その炎に照らされないように、男たちは奇妙な形で、影の中に座り込んでいた。

 イリズィールと呼ばれたいた男が猛然と立ち上がり、食ってかかった。「説明しろよ!」

 何人かの男が彼の裾を掴んで座らせようとしたが、それを振り払ってイリズィールは叫んだ。

「なんの説明もなしに、仲間が殺されて、そんで急にここを出るなんて、なんにも納得いかねえよ!」

 埋葬だってまだなのに―――と言い募ろうとしたのを、低い声が遮る。

「お前、入ってまだ日が浅いだろ」

 チェムが口を開くたび、小山のような筋肉が蠢く。浅黒い皮膚の動きや、年を重ねた人間の鋭い双眸に、イリズィールは言葉を封じられたように歯を食い縛って唸り声をあげた。

「……話すのは、街を出てからだ」

 有無を言わせない口調でそう打ち切った男に、何人かは黙って、何人かは明らかに不満そうな疑惑の呻きをあげながら、それでも月が窓からのぞく頃には皆黙って身支度をした。夕食もほとんど取らず、旅の携帯食を齧った程度で、全員早めに床に就くことを強制された。干し飯にカウィーが文句を言いまくっていたので、シャフークが料理を練習しろと言い返し、若干口論になったのが、唯一の会話といってもいいほどの沈黙だった。

「なあ」

 寝息と紛うような声に、シャフークは閉じていただけの瞼を開いた。隣に眠っているカウィーが、寝返りを打ったタイミングに合わせ、さりげなくシャフークに声をかけてきたのだ。シャフークも体の向きを変え、彼の声が聞きとれるように耳を近づける。カウィーは、なおも衣擦れに混ざる程度の声音で「俺たちは、どうする?」と尋ねてきた。彼の鳶色がかった金髪が、月光に照らされて銀色にみえた。

「俺は……」シャフークは、身じろぎしながら、唇の動きでもカウィーが言ってることを理解できるよう、はっきりと口を動かす。

「この団から離れるべきだと思う」

 カウィーは黙って、シャフークの目を見つめていた。ふたりの間の枕元に置いてある赤瑪瑙の玉飾りが、青い夜の光を受けて、シャフークの瞳と同じ色に輝いていた。

 カウィーの声がますます小さくなる。もはや唇の動きだけで会話をしているようなものだ。「……別のとこを、探すのか?」

「そうは言ってない。…ただ、今この状況で、正式に仲間になったわけでもないのに留まるのは馬鹿だっていうことだ」

 既に一度狙われた身としては、とばっちりは御免だ、という気持ちが先に立つ。カウィーも異論はないようで、黙って目を伏せた。

「……また、ふたりきりの旅に戻るか?」

 わずかな間をおいて、星が流れるよりもちいさな声で訊かれたことばに、シャフークは一瞬、声を失った。

 答えられなかったわけではない。曖昧に肯定するも、否定するも、簡単だったはずだ。何が、自分の答えを押しとどめたのか。考える間などなかったというのが、本当のところかもしれない。

 入口の方から、ぞわりと鉄の匂いがした。シャフークとカウィーが跳ね起きると同時に、夜闇を滑る刃の音が鼓膜を切り裂く、傭兵集団の男たちは既に各々の得物を手に握ろうとしていた。シャフークとカウィーが自分たちの持ち物を引っつかむのとほぼ同時に、廊下で鈍い金属音がした。それが合図のように、男たちは堰を切って乱闘へと雪崩れていった。

 影が反旗を翻した。そんな錯覚を起こしそうなほど暗かった。ひらめくマントと長い髪は夜を統べる獣のたてがみや角に見え、翳された銀の刃は牙だった。

 誰もがわかっていた。これらが自分の敵だと。そして相手も知っていた。これらが自分の標的だと。

 シャフークとカウィーは、一瞬の判断の遅れで、戦闘には加われずにいた。窓辺で武器だけを構えたはいいが、敵味方入りまじる竜巻の中心のような状況下で、どう行動すればいいのか解らずに、ただ警戒だけをしていた。明かりもない青白い混沌のなかでふたりを見咎める者はいない。

 加わるべきか、加わらざるべきか。

 この二択に迷ったのは、正式に加入はしていない自分たちの不安定な立場故か、あるいは先日から続く奇妙な出来事による不信か。

 炎に投げ込まれた獣に似た様子で、黒い影となってお互いに傷つけ合い、罵り合い、殺し合う地獄絵図がぞろりと黒い闇に鷲掴まれ、悪夢のように二人を襲った。シャフークの脳裏にちかちかと燃える石と故郷の光景が瞬く。滅亡の再現だ。顔に飛び散った血しぶきを拭うこともできず、ちらりと隣の男を見た。戦化粧を落とした眦は驚くほど幼く、色の失せた横顔は凍りついていた。彼のその、アイビー・グリーンの瞳にも、過去の影絵が映りこんでいるのだ。シャフークは一度、変わり刃をしならせ、床に叩きつける。跳ね返った先端が目前に迫っていた顔も判らない男の胸を切り裂いた。

「カウィー!」

 名前を叫ぶと、周囲で動くものをすべて攻撃しそうな様子だったカウィーがはっとシャフークのほうを見た。「出るぞ!」

 その判断は妥当だった。実際、傭兵集団のうち幾人かが外へ出て、闖入者と剣を交えているのは音で理解できた。シャフークは学習する。"悪い場所"で三度も戦うつもりはない。変わり刃を広い中空に躍らせ、窓から、影と月光の満ちる路地裏へ飛び出した。カウィーがそのあとに続く。彼が窓から躍り出るのを確認したシャフークの目に、部屋の中の様子がゆらいで映った。

 月夜よりも黒く、闇を吸った巨躯が、部屋の中央に立ちはだかった。彼の足元から伸びた影は男たちの戦と血を食い潰し、圧殺するように、傭兵集団の、額に傷のある男を覆う。

「ナセル……」

 男の名を呼ぶ声が、旅人を襲う夜の砂嵐のように響く。

「お前は、自ら舞い戻ってきたのだ……」

 フードをかぶった奥、黒黒とした肉の洞窟から立ち昇る呪詛の言葉を受け、額に傷ある男は、ぐっと自分の剣を握りしめた。

 黒い大男は、その体躯に見合った片刃の大剣を抜き放つ。その顔を覆う闇が一瞬めくれ、青白い光が、そのおぞましく蠢いた口元を照らしだす。

「嘆きの、河…忌まわしきユダの後継者がひしめく、地獄の底へとな…!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る