2.

 契約が終わり部屋に戻っても、相変わらず実感は無い。私は私のままだ。

 特にやる事もないので借りてきた雑誌を熟読していると、不意に「まぁぁ、すごーい!」と悲鳴のような声が部屋中に響いた。何事かと驚いて顔を上げると、画面に大きく「私」が映し出されていた。


「本当に尾畑おばたさんの身体に入っています。鏡を見ているのは私なのに、尾畑さんが覗いてきますよ。身体の節々ふしぶしも痛くないし、ジャンプもできる。信じられない……」


 確かめるように身体を叩いたり、飛び跳ねながら喜んでいる自分を見るのは、すごく不思議だった。


「夏木さん……本当に身体に入ったんだ。でも……喜んでもらえて良かった……」


「あら尾畑さん? どこから声が聞こえているんでしょう?」


 独り言のつもりで呟いたのに夏木さんが反応したので私も驚いた。


「え? 聞こえるんですか?」


「はい、聞こえます。尾畑さんは今どこにいるんですか?」


「与えられている物件専用の個室にいます。壁の一部がテレビ画面みたいになっているんですけど、そこに私の身体に入った夏木さんが急に映ったんです」


「そうなんですか。私、たちばなさんに今後の流れを簡単に説明されて、魂を尾畑さんの身体に入れますって言われたんですよ。お返事しようと思ったらここにいました」


 夏木さんがそう言い終わった時、タイミング良くドアが開き、橘が顔を出した。


「いやぁ~夏木さん。尾畑さんがお似合いでらっしゃる」


「有難うございます。あの、橘さん。尾畑さんの声はどこから聞こえているんでしょう?」


「あっ、もうお話しされましたかぁ。右耳にイヤホンを入れさせて頂きました。触ってみて下さい」


 右耳に触れた夏木さんが「まぁ、コレですか」と不思議そうな顔をした。


「とても軽くて、声がしない時は存在を忘れてしまうと思います。濡れても大丈夫ですので、気になさらないで下さい。もし生活する中で尾畑さんの声がうるさいと感じる時は外して下さって結構ですぅ」


「わかりました。後、尾畑さんの部屋の画面に私が映っているようですけど、それはどういう仕組みなんですか? カメラみたいなものは見当たらないですけど」


「えぇ、カメラはありません。今、尾畑さんの身体には、夏木さんの魂とお二人の縁糸えにしいとが入っています。この縁糸がカメラのような役割をしています。同様にイヤホンも縁糸の力を利用しています。万能ばんのうですよねぇ」


 画面に映る映像は固定されたカメラで撮られたものというよりも、フワフワと空中を彷徨さまよいながら撮っているように見える。縁糸の力を使ってという説明がしっくりときた。


「尾畑さんに知られたくない個人的なお話もあるでしょうから、そんな時もイヤホンを外して下さい。それは肌と接触している場合のみ効果を発揮しますから、外せば音声も映像も届きません」


「どちらも届かなくなるんですか」


「はい。連動していますから。なので、暫く外すというお知らせだけは一応、尾畑さんに入れて下さいねぇ」


「わかりました。お気遣いいただかなくても、そんな場面なさそうですけどねぇ。もしそんな時があったら、そうさせてもらって良いですか、尾畑さん」


「勿論です。夏木さんのプライベートな部分に干渉するつもりはありませんから、遠慮なく言って下さい」


「ふふ、有難うございます」


 深々と頭を下げる自分の姿は流石にまだ見慣れなくて、思わず苦笑いした。


「他にも排泄時や入浴時は、お互いに見るのが気まずいと外す方も多いですねぇ。後は、夜の営み中とか。あ、これ別にセクハラじゃないですから~」


「夜の……え! そ……そうですね。それは外します、外します!」


 橘の軽口に夏木さんは動揺したけれど、私自身はその心配がいらないと知っている。トイレとお風呂の時は外してもらった方が助かります、と伝えたものの、なんだか虚しくなった。


「では、話もついた事ですし、尾畑さんのご自宅までお送りしますぅ。フォールスポットを見られるのはマズイので、早速少しイヤホンを外してもらいますけど、尾畑さんご了承下さい」


 橘が空を仰ぐように言った。


「わかりました。そういえば色んな事が起きすぎて考えもしなかったけど、家とか会社ってどうなっているの? 失踪したとか思われてない? ……って伝えてもらえますか?」


 向こう側の会話が見聞きできるから、こちらの声も届くと思って質問したものの、どうやら今の状況では橘に私の声は届かないらしい。夏木さんの仲介で届けられた質問に橘が胸を張った。


「そこら辺は僕の方で手を打ってあります。会社には身内に不幸があったって連絡を入れましたぁ。週末と合わせて五日間休みになっているので問題無いですし、ご両親の方もバッチリ大丈夫です」


「それはどうも。後、何日お休みはあるの? ここに来てから時の流れがわからなくて」


 お願いする前に、夏木さんが大きく頷いて橘に私の言葉を伝えてくれた。


「後、二日間あります。ちょうど明日明後日が土日なので、お望みなら早速、夏木さんのご自宅の様子を見に行けますよぉ。タイミング良かったですねぇ。さっ、行きましょう」


「まぁ嬉しい。有難うございます。でも、まずは尾畑さんのご両親に変に思われないよう馴染まないとですねぇ。はい、では行ってきます」


 不安げに笑った夏木さんが耳に手を掛けると、画面から二人の姿が消えた。

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