絵を描く為に先輩を縛った話

生獣(ナマ・ケモノ)

第1話 月宮 雫


校庭から響くのは野球部かサッカー部か、はたまた陸上部か。

校舎の片隅の一室で、月宮 雫(つきみや しずく)はキャンバスに筆を走らせていた。


描いているのは天使の絵。

天から舞い降り、人々に癒しと幸せを与える存在。

その身に纏う衣は純白。髪も肌も白いが、唯一瞳だけが紅くそれがまた天使の神秘性を際立たせている。



「……っ」



その瞳を描く赤い筆を、唐突に、乱雑にカンバスに叩き付けた。

天使の腹部に赤い絵の具とその飛沫が付着する。

もしも天使が銃で撃たれたらこんな感じだろう……と、そんな感想を抱かせるような絵だ。



「……ダメだ」



溜息をついて筆を置き天井を見上げる。

他人がどう思うかは分からないが、少なくとも雫にとっては紛うことなく失敗作だった。



「はぁ……」



雫はもう一度溜息をついてからそのカンバスに布を被せ、画材を片付け始めた。



◇◇◇◇◇



「暑っ……」




雫は額から流れる汗を拭いながらうんざりした表情を見せる。

まだ6月だが今日はやけに陽射しが強い。



「……?」



裏門(そっちから出た方が家に近い)に向かう道すがら。

備え付けられたベンチで一人の少女が腰掛け、宙を見上げている。

艶やかな髪が美しい、物静かな雰囲気の少女だ。

リボンの色からして雫の一学年上……2年生だろう。

その少女があまりに様になっているものだから、雫は思わず足を止めて魅入ってしまう。



(何なんだろう、この雰囲気……)



すらりと長い脚。

ピシッと伸びた背筋。

整った顔立ち。

周りが放っておかないだろう、と思うのに何故1人でこんな所に居るのか。

顔もスタイルも姿勢も文句の付け所がないのに、何故宙を見つめる瞳だけはこんなにも儚げで悲しそうなのか……



「……?」



雫が思わず足を止めて少女を見ていると、彼女は視線に気付いたのか雫の方に顔を向けた。



「っ」



それが何だか気不味くて。

雫は顔を逸らして足早にその場を去った。



◇◇◇◇◇



(綺麗だったな、あの人……)



家に帰り、思い浮かぶのは件の先輩の事ばかり。

夕食の時もそうだし、入浴している今現在でさえ、あの先輩の事ばかり考えていた。

あの人がモデルなら……と考えに至り。

雫はバシャン! と湯船に顔を浸けてブクブクと泡を作る。

ザバッと顔を上げて残った息を吐き切った。



「被写体のせいにしちゃ絵描き失格でしょ……」



雫はそう呟いてから湯船から上がった。



◇◇◇◇◇



「……う〜」



ベッドに潜り目を瞑る。

無理矢理に寝ようとするが、例の先輩の顔が瞼の裏に浮かんでしまう。



「描きたいなぁ……」



それは絵描きとしては当然の欲求だし、それに対しては後ろめたいと思う気持ちは無い。問題は……



「接点無いもんなぁ……!」



雫は鳳城(ほうじょう)学園において……言葉を選ばずに言えば“浮いている”。

特別変な言動をしている訳では無いが、とにかく雫の気質と鳳城学園の気風が合わないのだ。

雫自身、他者との交流に消極的なので、友人と呼べる存在も1人しか居ない。

そんな雫が何処か超然とした先輩に声をかけるなど、とてもじゃないが無理な話だ。



「でも、描きたい……」



それでも、どうしてもあの先輩を描きたいと想ってしまう。



描きたい

怖い

描きたい

怖い

描きたい

怖い

と、堂々巡り。



「……もしもう一回会えたら、その時にお願いしよう」



今日はたまたま作業を早く切り上げたからあのベンチで会っただけだ。

普段通りに過ごせば早々会う事も無いだろう。

それでもし会えなければ、会えない内に興味を失えば……諦められると、そんな逃げ腰な事を考えながら雫は眠りに着いた。



◇◇◇◇◇



「これ、貴女のハンカチ?」


「は、ぃ……」



だと言うのに、登校早々に雫は件の先輩にハンカチを拾われると言う運が良いのか悪いのか分からないイベントが発生した。


こうして見るとやはり脚が長く、背が高い。

雫が小柄というのもあって、威圧感すら感じる。



「良かった。気を付けてね」



薄く微笑む先輩。

その微笑みがとても絵になるものだから、雫は思わず声を失ってしまう。



「じゃあ、頑張ってね」


「……あ、あの!」


「? なぁに?」



手を振って立ち去ろうとする先輩を、しかし揺らぐ決意を誤魔化すように勢いに任せて呼び止めた。



「そ、その……モデルになってぇ……くだ……」



しかし、ここは登校路。

2人以外にも大勢の生徒が居るこの場で、モデルを依頼出来る程雫の肝は太くない。



「うん?」


「ひぁ……!?」



それでも雫が何かを伝えたい事を察したのか、先輩は髪を掻き上げ耳を露出させながら腰を屈めた。

その仕草があまりにも艶めかしいものだから、雫は飛び退いてしまう。



「……?」



先輩の方もまさかそんな反応をされると思わなかったのだろう。

不思議そうな表情で小首を傾げた。



「あの、ですね……」



そんなにしてまで耳を傾けようとする先輩の姿勢に流石の雫も覚悟を決めた。

他の人に聞かれないように耳に口を近付けるコショコショ話ではあるが。



「私、絵を描いていて……もし宜しければ放課後モデルになって貰いたいと……」


「絵を描くの? 珍しいわね」



先輩はクスクスと上品に笑って。



「えぇ、それぐらいお安い御用よ。放課後に美術室に行けば良いかしら?」



それでも雫が本気だと感じ取ったのか、快く引き受けてくれた。



「は、はい! ありがとうございますっ!」



雫は喜びの余り大きな声で返事してしまい、慌てて口を塞いで周囲をキョロキョロと見渡した。

そんな小動物のような雫の挙動に様子にまた先輩はクスクスと上品に笑うのだった。

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