あこがれ感染症【KAC20252】

西川笑里

第1話

 憧れは、感染する。


 それは風邪のように咳やくしゃみでうつるのではなく、誰かの心が強く動いた瞬間に広がる。例えば、教室の隅で誰かが「彼みたいになりたいな」とぽつりと呟くと、近くにいた誰かが同じ感情を抱く。そして、その「憧れ」は周囲へと伝染し、気がつけばクラス全員が同じものに夢中になる。


 一度流行れば止まらない。昨日まで誰も見向きもしなかったものが、次の日には全校生徒の憧れの的になっていることもある。流行語、ファッション、スポーツ、夢の職業――それらはすべて憧れ感染症の産物だった。


 しかし、僕は違った。


 僕はこの感染症にかかることがなかった。いや、正確には「かかれなかった」。幼い頃から、周りがどんなに熱狂していても、僕はただ冷めた目で見ていた。周囲が流行りのアイドルに夢中になればなるほど、その熱がまるで自分には届かないことに違和感を覚えた。


 「お前って、憧れとかないの?」


 ある日、クラスメイトに聞かれた。みんなが憧れを語り合う時間に、一人だけ黙っていた僕が不思議だったのだろう。


 「うん……ない」


 正直に答えると、変なものを見るような目を向けられた。憧れを持たないことは、この世界では異常だった。


 それから僕は考えた。なぜ、僕だけが憧れに感染しないのか。僕の心は何かが欠落しているのか。


 そんなある日、事件が起きた。


 学校で最も人気のある生徒、藤崎先輩が「憧れ感染症」に異変をもたらしたのだ。彼はいつも皆の憧れの中心だった。スポーツ万能、成績優秀、誰からも好かれる完璧な存在。彼に憧れた生徒は数知れず、そして彼らの憧れがまた別の誰かへと伝染していった。


 だが、ある日、藤崎先輩が「俺はもう、誰にも憧れられたくない」と言った。


 その瞬間、教室にいた全員が「憧れられたくない」と思い始めた。伝染の力は絶大だった。クラスメイトは皆、自分が目立つことを避け、誰かの憧れの対象になることを恐れた。スポーツのエースは試合に出るのをやめ、学年トップの生徒はわざとテストの点数を下げた。まるで「誰かの憧れになること」が悪いことのように。


 だけど、僕は変わらなかった。


 クラスが静まり返る中、僕は初めて「自分の気持ち」を自覚した。


 ――僕はずっと、誰にも流されない自分だけの憧れを持ちたかったんだ。


 誰かが決めた流行ではなく、自分の心が純粋に惹かれるものを探したかった。


 憧れ感染症が収束しても、皆は次の憧れを求め、また新たな流行に身を委ねるだろう。でも僕は違う。これからは、僕自身の憧れを探しに行く。


 誰にも感染しない、僕だけの憧れを。

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