白百合の卒業

琳堂 凛

白百合の卒業

 三月。


 都心から離れた郊外にある私立輪廻学園高等学校しりつりんかいがくえんこうとうがっこうでは、つい先ほど卒業式が行われたばかりだ。


 青々とした春空の下。桜が舞う校門前には教師や関係者の長ったらしい祝辞から解放された卒業生たちが続々と集まり、友人や家族と談笑したり、集合写真を撮ったりしている。


 卒業生の一人である天野焼子あまのしょうこは、その中でも一際目を引いている。


「部長、本当にお世話になりました!」


「会長、最後にツーショット撮らせてください!」


 そう口々に詰め寄ってくるのは、後輩である一、二年生の女子生徒たちだ。


 焼子は入学早々の生徒会選挙で一年生では異例の生徒会長に当選、その後在学中の三年間も務め上げた優秀な生徒だ。


 所属していた弓道部では二年で部長へと抜擢、全国でもトップの功績を残し、学業においても常に成績上位。まさに文武両道、才色兼備。それに加えて人当たりもいいときたものだから、焼子を慕う後輩はごまんといる。


 スラリとした抜群のスタイル、そして背中まで伸びた艶やかな黒髪と整った目鼻立ちは輪廻高校の制服である灰色をベースとしたデザインをより引き立て、その凛とした佇まいから彼女のことを『焼子お姉様』などと崇めるファンクラブも存在するほどだ。



「いや〜、相変わらずすごい人気だね、“焼子お姉様”」


 小一時間ほど経ち後輩たちが去った頃、一人の女子生徒がからかうように近づいてきた。


「ごめんなさい、朱音あかね。待たせてしまったみたいで」


「いいっていいって! いつもの事だし、もう慣れたよ」


 焼子が謝罪すると、朱音は屈託のない笑顔を浮かべた。彼女は焼子と同じ三年生で、同じく弓道部に所属していた生徒だ。ショートカットでブレザーの下には派手な色のパーカーを着込んでおり、焼子とは正反対のボーイッシュな風貌をしている。


「それより焼子、この後ひま? せっかくなんだから遊びに行こうよ」


「ごめんなさい、今日は実家に寄らないといけなくて——」


「え〜、忙しいのは分かるけどさ、いいじゃん今日くらい。せめてご飯だけでも! ねっ?」


「……はぁ、分かったわ。食事だけなら」


 朱音がしつこくナンパする男のように懇願すると、焼子は渋々承諾する。焼子は帰路を急いでいたが、数少ない友人と呼べる人物の頼みなら無下にするわけにもいかなかった。


「やった! で、どこにする? お腹すいたし、びっくらドンキー行く?」


「いえ、昼から肉はちょっと……」


 肉食系である朱音の提案に焼子が引いていると、「おーい」とまた別の女子生徒が二人の元へ駆け寄ってきた。


「——ごめん二人とも! 先生から参考書を譲ってもらってたら遅くなっちゃった」


 やってきた小柄な女子生徒は参考書がびっしり詰まった紙袋を重そうに両手で抱えている。縁の大きい眼鏡をかけていて、緩やかなカールを帯びた栗毛のボブスタイルが印象的だ。


「ちょっと絵美、遅いよ! 焼子が空腹でご立腹だよ」


「いや、それはあなたでしょう」


 絵美も焼子や朱音と同様、弓道部に所属していた三年生だ。三年まで残っていた部員はこの三人だけだった。容姿も性格も全く異なる三人組だが、同じ部活動の部員として苦楽を共にしてきて、今では気を許し合える友人同士になっていた。


「なにを話してたの?」


「ああ、せっかくだから遊びに行こうと思ってたのに焼子が忙しいっていうからさ、ならせめてご飯だけでもって口説き落としたところ」


「別に口説き落とされた覚えはないけど」


「はいはい、なら適当にカフェでいいんじゃない?」


「カフェじゃがっつけないじゃん、嫌だ」


「オムライスとかパスタもあるから。二人前頼めば朱音も満腹になるでしょ? 焼子もそれでいい?」


 絵美の提案に焼子が頷くと、朱音も「ちぇ〜」と渋々了承し、絵美の荷物を当然のように持ってやる。


 焼子はその場に立ちつくし、校門を出る二人の友人の背中をぼうっと眺めていた。その表情はなんとも言い難いもので、哀愁と高揚が入り混じっている。


「……焼子? どしたの」


 焼子がついてこないことに気付いたのか、二人は振り返って不思議そうな顔をした。


「……ごめんなさい、なんでもないわ。ただ——」


 焼子は言いかけたまま歩き出し朱音と絵美に並ぶと、こう続けた。


「ただ、これで最期と思うとなんだか気が抜けてしまって」





 部活動帰りによく立ち寄っていた街中にあるカフェへと移動した三人は、いつも利用しているテーブル席に座り、これまでの学校生活を振り返った後、今後の進路について雑談していた。


「——ついに大学生かー。さすがに、これからはなかなか会えなくなるね」


「そう? 毎日朝から晩まで授業があるわけじゃないし、たまに集まるくらいならできると思うけど」


 朱音がそう切り出すと、絵美が食後のケーキを頬張りながら言う。朱音はスポーツ科、絵美は歴史学を学べる大学へと進学が決まっている。大学とはいえ学生であることに変わりはない、絵美が言うようにそこまで多忙にはならないはずだが、朱音が懸念する理由は別にあった。


「……そうね、私は滅多に——というより、もう会えなくなるかもしれないわね」


 焼子は好物であるハーブティーが入ったカップを静かに置くと、淡々とした様子で言った。


「またまた、それはさすがに大袈裟でしょ」


「大変だとは思うけど……そんなに?」


 すでに事情を知っている朱音と絵美は各々の反応を示した。


 焼子は、地元では有名な財閥の令嬢なのだ。それも一人娘であり、身を置く環境は一般のそれとは大きく異なる。


 進路は高校に入学する前から既に両親によって決められていた。指定の大学へ進学し、学業に加えて礼儀作法や多国言語を学ぶことを強いられるため、プライベートはほぼないに等しい。自由恋愛ではなくお見合いによって結婚相手が決まる、現代を生きる庶民には到底理解できない世界だ。


 一般の高校に進学を許されたのは、『わずかな時間でも普通の女子高生生活を送りたい』という焼子の願いがせめてもの情けにと聞き入れられたからであった。その証に、実家である邸宅から少し離れたところに建つ財閥が所有するマンションで一人暮らしを許されている。生活を心配する家の者が週に数回訪れるのみで、基本的には友人と変わらない自由で普通な生活を送っていた。


 焼子がこれから歩むであろう人生を淡々と語ると、朱音と絵美は「うげぇ……」とすっかり引いてしまっていた。まあ、ここで上辺だけの言葉を吐かず素直な反応を示す二人だからこそ、焼子も友人として対等な関係を継続できたわけだが。



「——そういえばさ、なんで今日渡真利くん欠席だったんだろう。焼子、なんも聞いてないの?」


「ちょっと、朱音……!」


 朱音が話題を変えてある男子生徒の名前を出すと、絵美は露骨に焦り始めた。


「別にいいわよ、気を遣わなくて。もう解決したことだから。……そうね、特に連絡はなかったわ」


 ある男子生徒とは、焼子たちと同級生で男子弓道部の部長を勤めていた渡真利凍也とまりとうやのことだ。


 男女異なる同じ部活動の部長同士というだけならなんの問題もないのだが、そこに至るまでの動機や経緯はどうであれ、かつて焼子は凍也に告白して振られたという過去がある。


「ふーん……」


 感情を見せない焼子を不審に思ったのか、朱音は頬杖を付いてじっと焼子の顔を見つめている。


「なによ」


「ま、未練がないならいいけどさ」


「どういう意味?」


「なんか、あんたってたまに危なっかしいんだよね。何しでかすか分からないっていうか。渡真利くんが女子と距離近い時とか、隠してるつもりだろうけどすっごい目してたよ。んー……なんだろ。ヒステリックってやつ?」


 珍しく真剣な朱音の様子に、三人の間に沈黙が流れる。


「朱音……」


 重苦しい空気を破ったのは絵美だった。


「それを言うなら、メンヘラじゃない? いや、ヤンデレ? なんだっけ、ええと……」


「「……ぷっ」」


 勝手に考え込み始めた絵美がなんだかおかしくて、焼子と朱音は思わず吹き出してしまった。


「二人とも、本当に失礼ね」


 焼子が微笑みながらそう言うと、途端に場の空気が和む。


「今のは絵美が悪い」


「なんで!? そもそも朱音が——」


 朱音が鋭く言うと絵美も反論し、二人は冗談交じりの痴話喧嘩を始めた。


「……こんなくだらないやり取りがもうできなくなると思うと、なんだか寂しいわ」


 焼子はハーブティーを啜りながら小さくそう呟くが、その一言が勝手に盛り上がる二人に聞こえることはなかった。





 陽が落ち始めた頃、朱音たちといつになるか分からない再会の約束をした焼子は帰路に着いていた。


 友人との談笑が楽しくて、名残惜しくて、つい長居してしまった。本当は、実家に立ち寄る予定などない。あれは早く帰宅したかったがための嘘だ。


 自宅であるマンションまでの道のりを歩きながら、焼子は凍矢に好意を寄せるきっかけになった日のことを思い出していた。


 ちょうど、このあたりだ。


 街灯が取り付けられた電柱がある狭い通路。あの時は街灯が切れかかっていたのか、点滅していたのをよく覚えている。


 ——まだ弓道部の部長に抜擢されて間もない頃、生徒会の事務作業もあって下校する頃にはすっかりあたりは暗くなっていた。


 疲れきっていた焼子はずっと後を付けてくる人影に全く気付かず、帰路を急いでいた。マンションまであと数分と言ったところで直前の十字路を曲がると、不意に男であろう人影が目の前に躍り出た。


 フードを深く被り顔を隠した男の手には包丁。街灯が点滅する度、刃が鋭く反射していた。


 当然、恐怖で体は硬直した。暴漢か、強姦魔か。なんにしろ、暗い夜道でか弱い女学生を狙うなど目的はだいたい予想がつく。男の荒い息遣いが迫るたびに脳内では『逃げろ』と本能が叫ぶが、身体は言うことを聞かなかった。


 息苦しいという理由で警護を頑なに断ったことを後悔していると、不意に「逃げろ!!」と若い男の声が聞こえた。同時に別の人影が背後から現れ、包丁を持った男に飛びかかった。それを皮切りに一目散に自宅まで走り、部屋に入るとシャワーも浴びずに、震えながら一夜を過ごした。


 ——翌日。授業を終えて部活動のため弓道場に顔を出すと、男子部員が集まって騒いでいた。なんだろうと思い近づくと、男子弓道部部長の渡真利凍也が右手に包帯を巻いた姿で、部員たちから質問攻めにあっていた。


 本人は笑いながら転倒しただけと言い張っていたけど、私は確信した。


 ああ、昨夜私を救ってくれたのは彼だったんだ。


 部活を終え日が沈み始めた後、着替えを終えた私はせめて礼を伝えねばと彼が出てくるのを校門前で待っていた。


 ほどなくして、部員と談笑しながら彼がやってきた。彼は私に気付くと、察したのか部員たちに『先に帰っててくれ』と言い、私に近付く。


『……怪我はなかった?』


 彼は優しく、そう切り出した。


 やっぱり、彼だった。大丈夫、ありがとうと伝えたくても、うまく言葉が出てこない。顔はなんだか火照っていて、心臓は今までにないくらい早く鼓動の音を刻んでいる。コクコクと子供のように頷くのが精一杯だった。


『よかった。昨晩のことは、誰にも言っていないから安心して。変に騒がれたら天野さんが面倒な思いをすることになるだろうから。あの後、一応警察にも行ったんだ。しばらくパトロールしてくれるらしいから、少しは安心できるかも』


 身体に電流がはしるような感覚だった。刃物を持った男と対峙するだけでも相当な恐怖なはずなのに、死ぬ可能性もあったはずなのに、なぜ大して会話したこともない私にそこまで優しくできるのだろうと。


 よくよく見れば、彼は長身で顔立ちも整っている。高校生の中では長めの少しくせがかった髪も相まって、西洋の貴族のように見えた。


 それまで箱入り娘状態でろくに男性経験もなかった私の心は、いとも簡単に溶かされた。


 それから特に関係性が深まる出来事はなかったが、弓道場では必ず顔を合わせる。弦を引く彼の凛とした横顔を見るたび、彼への想いは募るばかりだった。


 男性経験がろくになかったのは、むしろ幸いだったのかもしれない。“大多数の恋愛は男性から告白するもの”という一般論すら知らなかった私は、その数ヶ月後、彼に想いを伝えた。



 ——返答は、謝罪。


 つまりは拒絶だった。



 運命的なものを感じていた私は、このまま交際に発展するのだろうと勝手な憶測に溺れていた。彼は私を恋愛対象として意識していなかった。襲われている女性がいたら助けるのは当然、その後を気遣うことも、彼にとっては当たり前。彼には、それを成し得る勇気と行動力があった。それだけに過ぎなかった。


 結局、私は勝手に彼を白馬の王子様だと妄信した挙句、鳥籠から連れ出してくれる存在だと思い込んでいただけだった。


 全ては夢物語、結局私は鳥籠に残される運命でしかない。


 ————このまま、なにもしなければ。





 ぼんやりと純情で愚かだった過去の自分を思い返していると、自宅に到着した。オートロックを解除し、エレベーターに乗り八階へ。学生が住むにはあまりに不相応な豪華な物件だ。



「——ただいま」


 開錠し自室に入ると、ここに住んで初めてこの言葉を口にした。


 荷物は玄関に放り、制服を乱雑に脱ぎ捨てながら廊下を進んで寝室に向かう。


 ドアを開けると、シンプルなベッドには先客がいた。その人物は深く眠りこんでいるのか、寝息一つ聞こえない。


 すでに外は暗い。カーテンレースからは月明かりが差していて、ベッドに横たわる男性の中性的で整った顔を白く照らしている。


 燒子は男性の顔を愛おしそうに眺めながらワイシャツのボタンを一つ一つ外し下着姿になると、男性を覆っているかけ布団をめくった。


 すると、細身ながらも筋肉質な青白い裸体があらわになる。


 焼子は彼の身体に跨ると、彼の胸元に身を預けるように密着した。彼の心臓の位置には矢が突き刺さったかのような穴が空いている。すでに出血は止まっているようで、赤黒く変色している。


「……ふふ、“心を射止める”なんてよく言ったものだわ」


 そうささやく焼子が傷跡のまわりを指でなぞっても、彼は微動だにしない。すでに息絶えているのだから当然だが、焼子にとってそんなことはどうでもよかった。



 どうせ叶わないのなら、貴方に想いを寄せた甘い記憶のまま止めてしまいたい。


 鳥籠の中で過ごした挙句に望まない相手と結ばれる未来なら、貴方と二人だけの世界で添い遂げたまま終わりにしたい。


「凍也……」


 焼子は心底愛おしそうに彼の名を呼ぶと、静かに唇を重ねた。

 



 





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