迫るリリスの牙は他者を無残に巻き込む

 4月29日――月曜日。


 早朝から降り続く雨が、福岡の街をしっとりと濡らしていた。


 山王さんおう女子中等学校。

 登校を終えた生徒たちは、ホームルームが始まる前の教室で、思い思いに会話を楽しんでいた。


「ねえねえ、最近さあ、空気が重くない?」

「わかるー。お城の兵士さんとか、自警団の人、街でよく見るようになったよね」

「不審者を見かけなくなったのは安心やけど、なんか……逆にドンヨリするっちゃね~」


 国を挙げての厳戒態勢。その緊張感は、大人だけでなく子どもたちにも確実に伝わっていた。


 そのとき、葵が通うクラスの教室に、一人の生徒が現れる。


「すみません。隣のクラスのふみですけど……」


 黒いおさげ髪に眼鏡をかけた、大人しそうな雰囲気の生徒だった。


「ん~? どうしたと~?」


 葵の友達、トモちゃんことばさともが、にっこり笑顔で文子を迎える。

 文子は、おずおずと用件を切り出した。


おう豊湖でこあおいさん、いらっしゃいますか?」


 友恵は「あちゃ〜」と困ったように眉をひそめ、文子に返事をした。


「ごめんねぇ。今日、葵っちはお休みなんよ〜。大事な用事があるみたいでさ」


「! ……そうですか。この手紙を渡したかったのですが……」


 明らかに動揺をしているのか、文子の手は小刻みに震えていた。

 その手には、招待状のような包に入った一通の手紙があった。

 友恵はそれをじっと見つめ、にっこりと笑って提案する。


「オッケオッケ! よかったらウチが預かろっか? 魔王城に届けるつてあるし♪」


 その言葉を聞いた途端、文子の肩がピクリと震えた。


 ――悪い話をしたわけじゃないのに?

 友恵は不思議そうに首を傾げる。文子は慌てて手を振りながら返事をした。


「い、いえ……大丈夫です。ありがとうございます」


 そう言い残すと、文子は足音を忍ばせるように、そそくさときびすを返し、自分のクラスへと戻っていった。


 その後ろ姿を見送りながら、友恵はふと考える。


(……あの手紙? なんか、仕込まれとった気がするなぁ……)


 葵が休んでいるのは事実。理由は知らない。

 けれど、あの手紙がと、友恵には直感的に分かった。


 彼女は一般人だが、感受性と危険察知には自信がある。


 普段あまり接点のない別クラスの子が、世間的に異常と感じ取れる状況下で、わざわざ怪しい手紙を持って現れる――

 そんなイレギュラーな事案に、友恵は総合的に「ただの偶然」ではないと判断した。


 そして、葵と一年の頃から寮生活を共にしてきた友恵だからこそ、彼女が休むときは、並の理由ではないことも、友恵はよく知っていた。


(葵っち? この休み、偶然じゃなかろうねぇ〜? ふむぅ)


「トモ〜♪ なんそげな顔しちょるん?」


 クラスメイトが、不思議そうに声をかけてくる。

 友恵は、その問いにニヒルな笑みで答えた。


「ん〜♪ 事件の匂いがしとるばい! でも、ウチらにできることは少ないけんね。とにかく、身を守ることに専念しよっ☆」


 状況をなんとなく察した彼女は、無理に関わらず、まずはクラスメイトたちの安全を優先した。


(……すまん、葵っち! 無事を祈っとるし! それから落ち着いたら絶対! 一緒にカフェ行くけんね、ごるぁっ!)


□ ■ □ ■


 渡せなかった……。ああ、私……どうなっちゃうの……?


 今日、この手紙を葵さんに届けること。それが私に与えられただった――。


 まさか、彼女が欠席するなんて……。今まで一度も休んだことがないと知っていたから、完全に想定外だった。


 私が向かった先は、図書館の奥――これまで見たこともない、あの不気味な通路の近くだった。


 そこで、今年の新入生・文武野もぶの ゆきさんが、あの、私に語りかけてきたのだった。


「先輩……約束が違います。でも、それがだったのなら……仕方ありませんよね? ねえ、主様……」


 陶酔するように、彼女は、本に向かって話しかけていた。

 私には、その相手の声が聞こえない……けれど、


 不思議と……彼女に逆らいたいという感情が湧かない。

 怖いのに……逃げたいのに……服従することしか思いつけない。


 目の前の幸さんは、生徒会の図書委員に自ら志願した下級生。

 最初あった頃は、とてもオドオドしていて、自身がなさげで、守りたくなるような後輩になるだろうと思っていた……

 でも……今の彼女は、あの本を通じて何者かから指示を受けているようだった。

 まるで、伝令……いや、器のように。


「そのお手紙は、もう不要です♪ 私、直接、♡ はぁぁっ……♡ 文子先輩はここで……お休みしていいんですって♪」


 な、何を言ってるの? ……でも、解放される?

 そう思うと……少しだけ、心が軽くなる。

 普通に戻れる……日常を取り戻せる……

 推しのことを語りたい。尊いカップリングを堪能したい。ただそれだけの私に――


「で、では……私はこれで……?」


 安堵してから口にした直後、視界がすぅっと暗くなり――

 深い闇が、私を包み込んだ。


 ぁ……


□ ■ □ ■


 はかの魔王城エントランス。

 出発の準備をしているウチに、ラーヴィにぃにが声をかけてくれた。


「……本当に、帰りは一人で大丈夫か?」


 その言葉に、ウチは振り向き、深く頷いた。


「うん。覚悟は、ちゃんと決めちょるけん」


 ――そう、覚悟はできている。

 今回の作戦を少しでも優位に進めるために、今、自分にできることを、きっちり果たすって決めたけん。


 ウチは、治療中のまほろちゃんへのお見舞いに行く為に、準備した荷物をバッグにしまった。

 行きはにぃにが車でざいまで送ってくれる。

 帰りは車に積んである、マナで走るバイクで戻る予定。


 でも、にぃに? 心配し過ぎ! 顔は隠してもマナが隠れちょらんばい?


「ねぇ、にぃに? ……その……大丈夫やけん。心配しすぎやない?」


 そう言った瞬間、にぃには「しまった」って顔になった。


 あんなに強いのに……ガチで強いのに? ちょいちょい抜けてるとこがあるんよね。


 そのギャップ……正直、めっちゃ好き。


「……情けない話だが、妹みたいな葵が、命に関わるようなことをするのが心配でならない。でも、それはきっと……僕のエゴだ。すまない」


 ――真剣に心配してくれて、ありがとう。妹みたいなが気にかかるけど……しょんなか。


「んふふ♪ でもさ? ウチ、怖くないとよ。なんでか、わかる?」


 たしかに、ウチは戦力としては、まだ心もとない。

 足手まといになりたくないって、ずっと焦ってた。

 けど――今は、なんだか不思議と落ち着いとる。


「……葵には、僕には見えない何かが見えているのか?」


 ん~? どうやろ?


 ただ、ウチが望んでいるのは――シンプルに。

 ……ただ、だけ。


 これ以上、邪神なんかに、振り回されるのは、もうこりごり! 


 ただ。


 


 ただ、それだけなんよ。


 


「ウチは、みんなが安心して過ごせる時間を――一秒でも早く、手に入れたい。だから、にぃに! 力を貸して。ウチを、利用していいけん!」


 ウチの覚悟に、にぃには、しっかりと頷いてくれた。

 そして、ウチも心を決める――


 


「……ウチも、絶対に死なんけん!」


 


 その言葉を、まっすぐにぃにへ伝えた。


 にぃには、少し険しい顔をしながらも、最後はちゃんと頷いてくれた。


 ――それだけで、ウチの心は、もう揺るがん。

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