第3話 激戦!大邪神リリス対福岡魔王軍

リリスの牙が甘く皮膚に深く突き刺さる

 ……赤い照明に照らされた通路を、わたくしの本体は静かに歩んでいた。


 まさか、姉たちが追っている存在が、このような場所に潜んでいるとは思ってもいないでしょう。


 これは、超古代の時代に地中へと避難した祖先たちが張り巡らせた、地下通路。


 長い年月の中でダンジョン化し、ひとたび侵入すれば――二度と出られなくなる可能性がある。

 だからこそ、容易に近づく者などいない。


 さらに、地表では見かけないような害魔獣が蔓延っており、ここは禁忌の領域として指定されている。


 あのルミィアでさえも、このダンジョンの全容は把握しきれていないはず。


 ――けれど、わたくしは違う。

 邪神リリスが宿るこの身体は、幼いころからここをとして出入りしていた。


 害魔獣たちに襲われることもなく、むしろ彼らは、わたくしに牙を剥かなかった。

 邪神の力が、彼らを従わせていたのかもしれない。


 だからこそ、ここには、わたくししか知らない場所がいくつも存在する。

 そして、福岡の各地へと張り巡らされたルートも、わたくしは知っている。


 本体は、リリスと常に情報を共有している。

 そしてこの場所で、密かに《降臨》のための準備を――計画的に進めていた。


 福岡地下大空洞――

 姉のつぐが、心を癒やすための隠れ家として使っていた場所とは別に、この空洞は点在している。


 ここは、姉の知る場所よりもさらに深く、地中奥深くにある領域。

 邪神が祀られた寺院が並び立つ、まさに……リリスが降り立つために用意されたような聖域となっていた。



 冒険者を糧にする傍らで、眷属も増やしていた。

 糧だけでなく、手駒としても使えるようにするためだ。


 今はまだ4月の下旬……もはや、わたくしは今日が何日なのかが分からない……


 ――5月1日。

 超古代の時代より、現世と異界の境界が揺らぐ日があることを、わたくしは最近知った。


 わたくしの母だった方は、邪神リリスを崇拝する狂信者だった……

 偶然、崇拝対象であるリリスの《種》を手に入れた彼女は、狂喜し、リリスの指示を受けて降臨の「素材」を探し始めた。


 ……そして、あのおぞましい計画を成し遂げたのだ。


 リリスは嬉しそうにわたくしに教えてくれた……いいえ、教えられた!


 母とリリスのやり口に、わたくしは激しい怒りと絶望にのたうち回され……ただ懺悔する他無かった……


 お姉様の御母上様……月菜るな様……!

 申し訳ありません……


 わが母は、本当に……おぞましく、愚かで……哀れな、魔女だったのです……


 すべては、リリスに利用された結果……

 魂ごと弄ばれ、生涯を終えた……それが、わたくしの母の末路でした。


『……そなたの母は、大儀であったぞ。最高の器と、降臨の舞台を整え、ここまで導いた――まさしく、信仰心に満ちたよ……』


 ……なんて存在……この邪神は、わたくしの人生だけではない。

 関わった人すべての人生を、もてあそび、利用するのだ……!

 この世に居てはいけない! こんな輩は!?


「……リリス様、一つ……ご提案がございますの♪」


『提案? なんぞ企んでおるのじゃ?』


 わたくしの本体が、新しいおもちゃをねだる子どものような笑みを浮かべ、

 その内に宿る邪神に、無邪気に声をかけていた――。


 今度は……今度は何を?

 これ以上、いったい何を――しでかしてくれるのですの!?


□ ■ □ ■


 4月25日――木曜日。


 梅雨の先取りを思わせるような、しとしとと静かな雨。

 けれど、私は雨が好き。

 お気に入りの本を手に取り、その世界に溶け込むような感覚を味わうには、雨の音とひんやりとした空気は、最高のシチュエーションだと思っている。


 文武野もぶの ゆき――私は、今日、学校の大きな図書館に来ていた。


 生徒会役員として図書委員に立候補した私は、まず最初にこの図書館を把握しようと考え、足を運んだのだけれど……


「な……なんて巨大な空間……!」


 目の前に広がるのは、予想を遥かに超える規模の図書空間。

 まるで地元の小学校が丸ごと収まりそうなほど広大な空間に、本がびっしりと並んでいる。


 地下室から中二階を経て、三階フロアまで続く四層構造。

 その壮観に、正直、度肝を抜かれてしまった。……ははは。


「古文書や歴史書、古代童話、文芸文学書……それに最近の雑誌や小説類も含めると、蔵書数は一億冊を超えますの」


 そう話してくれたのは、図書館の管理人。

 にわかには信じがたい数字――でも、この空間を見れば、それも納得してしまう。


「旧時代にはとも呼ばれていたようですよ。とはいえ、図書委員といっても、そんなに身構えなくて大丈夫です。私たち委員会一同、しっかりサポートいたしますから」


 丁寧な口調でそう話してくれたのは、三年生で図書委員を務めるばた ふみ先輩。

 三つ編みと眼鏡がよく似合い、綺麗な姿勢で微笑むその姿は、まるで本の中から出てきたような上品さがあった。


 気さくに世間話にも応じてくれて、とても馴染みやすい雰囲気の先輩。

 この学校、本当にいい人ばかりじゃない?


「ちなみに……BLに興味はあります? 幸さん」


 ……BL? 初めて聞く単語。


「ええと……初めて聞きましたので、どういったことなのでしょう……?」


「……ごめんなさい、今のは忘れて?」


 ? なんだったんだろう……

 けれど、これだけの本に囲まれる時間は、本当に心が満ちていく。

 紙の匂い、本の気配――どれもが、ただただ心地良い。


 そして、館内を一通り案内していただいた私は――

 ふと、気になる一角を見つけ、先輩に質問してみた。


「……あの、そこの通路は……何なんですか?」


 私がそう尋ねると、戸畑先輩は少し首をかしげて言った。


「あら? そんなところに通路なんてあったかしら? 管理人さんに聞いてきますね」


 そう言い残して、先輩は図書館の奥へと消えていった。


 今日は特別に案内してもらっている日だから、図書室には他に生徒は誰もいない。

 ……ちょっとだけ。どんな本があるのか、冒険してみてもいいよね?

 待ってるだけなんて、なんだか勿体なく思えて――私は、足を踏み出した。


* * * *


 館内は広いけれど、きちんと整理整頓されていて、本の並びも分かりやすい。

 紹介展示やレイアウトも丁寧で、工夫されているのがよくわかる。

 これ、先輩たち図書委員の皆さんが管理しているのかな……?


 すごいなぁ……やりがい、きっとあるよね。

 うん、私も、ちゃんと図書委員として頑張れそう♪


 ……あれ? あの本……なにか、変?


 視界の端に――黒いもやのようなものが、かすかに揺れている。


 そのに強く惹かれる。理由もないのに、無性に触れたくなってくる。


 本は、棚に収まっていなかった。

 まるでと言わんばかりに、床に落ちていた。


 ――オカルト書? ……でも、装飾があまりに異様で……妙に豪華……重たい……


 拾い上げた瞬間、ゾクッと全身に震えが走る。


 あ……ダメ。この本、ヤバいやつかも……!

 手放さなきゃ。そう思った、その瞬間――


 背後に、人の気配がした。


 戸畑先輩……?


「せ、先輩……ですか? こ、この本は……いったい……?」


 ――違った。


 そこに立っていたのは、見知らぬ人物。

 黒く、艶やかなウェーブのかかった長い髪。

 蠱惑的な光をたたえた、深紅の瞳。


 見たこともない女性。けれど、制服のデザインからして、上級生……?


 彼女の瞳を見た瞬間――頭が、ボーッとしてくる。


 あれ……私……いま、なにをしてたっけ?


「……その本を、ネクロノミコンをアナタに差し上げますわ♡ それがあれば――貴女が、きっと手に入るでしょうから……フフフ♡」


 ……?


 それって――あおい先輩でも?


 ふと、その言葉が頭の中で響いた瞬間、私はその女性の瞳から目が離せなくなった。


 視界が霞む。意識が蕩ける。

 胸の奥が熱い。体の芯が、じわじわと……ああ、熱くなっていく――


『……欲しがれ……』


 だめ! だめなのぉ……これ、だめな誘いだ♡ ぁぁ、でも……こんな快感と…


 先輩が欲しい……先輩を手に入れたい欲望が……私の理性をドロドロに蕩けさせる♡


「はひっ♡ わたし……葵先輩が、ほしいれす♡」


 墜ちて行く私を、目の前の人? は優しく抱きしめてくれる♡ はぅ♡


「わたくしに会った記憶はなくしてしまいますわ♡ それじゃ、よろしく頼みますわよ? うふふふふ♡」


□ ■ □ ■


「ごめんなさい、幸さん。管理人さん、どこにもいなくて……あら?」


 図書館に戻ると、文武野幸さんが椅子に座り、静かに本を読んでいた。


「あ♪ 先輩♪ おかえりなさい♪」


 ぱっと笑顔を向けられて――私は、ふと違和感を覚えた。


 ……あれ?


 この子、さっきまでこんなに快活な雰囲気だったっけ……?

 初対面のときと、何かが……まるで別人みたいに感じる。


「私、図書委員のお仕事も、ちゃんとできそうでワクワクしています♪」


 ……うーん、気のせい?

 本好きな子らしいし、この図書館を見てテンションが上がっただけかも……?

 そう、たぶんそれだけ。たぶん――


「ところで、先輩。おう豊湖でこ 葵先輩って、今どちらにいらっしゃるかご存じですか?」


「え? 葵ちゃん? 葵ちゃんは放課後はいつも、お城に真っすぐ帰ってるわよ?」


「そうですか~♪ 実は私……葵先輩が欲しいんです♡ なので、今度……」


 ……え?


 その言葉に、心臓がドクンと跳ねた。


 なんだろう、この感覚……

 この子、なんで……なんで、突然こんなに怖いと感じるの?


 その手に持っている本……それが、目に入った瞬間、息が止まりそうになった。

 ――あれは……明らかに、普通の本じゃない。


 ページの端が黒く染み、まるで生きているかのように、ゆらゆらと


 いけない。あの本! きっと禁書だ! この子を――引き離さなきゃ。


「葵先輩と私が、ふたりきりで会えるように……セッティング、お願いしてもいいですかぁ♡」


 その瞬間――


 本が、不気味に輝いた。

 視界が歪む。

 頭が割れそうな痛みに襲われた。


 私の意思が、何かに呑み込まれていく……。


 ――私は静かに頷いた。


 その後のことは……よく覚えていない。

 けれど、あの本と、あの子の言葉に従うことが……なぜか、幸せなことのように思えて……仕方がなかったのです。

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