第2話 笑
俺は加害者の孫で、山中は被害者だ。
悪いのはあれで、俺は何もしていない。
そんなことはわかっているのに、いたたまれなくなって、俺はその日の放課後、山中の手を引いて、無理やり屋上へ連れて行った。
「何? どうしたの、急に」
「お前こそ、どういうつもりだよ!」
かなり動揺していたのだと思う。
柄にもなく、大声を出してしまった。
山中は驚いて、びくりと肩を揺らした。
「どういうって……え? 僕、何かした?」
「何もしてない。お前は何もしていない。でも、そんなだから、付け込まれるんだよ!! 一体いつまで、あれの好きにさせているつもりなんだ!?」
「あれって?」
「……決まってるだろう、俺の……――――祖父だ」
山中だって、俺があれと山中の関係を知っているとわかっていたはずだ。
どれだけ酷い目にあってきたか、堀家の人間なら、みんな知ってる。
決して、口には出さないだけだ。
それがあまりに悍ましい光景であることを知っているから。
もしも、誰かが口外するようなことになれば、この町で暮らしていくことは難しくなることも。
「駄目じゃない。自分のお祖父さんを、あれだなんて呼んじゃ」
「思ってもないことを言うなよ。お前だって、あれは最低な生き物だとわかっているだろ」
目が死んでいるとは、こういうことを言うのだと思った。
尊敬も尊重もしていない。
「……顔はそっくりなのに、君はまともなんだね」
「あれと比べればな」
ただ、死ぬのを待っている。
怖いからだ。
父も叔父たちも、ほかの家族も、みんな恐れている。
だから、誰もあれの愚行を止められない。
警察と繋がっているし、通報したところで逮捕もされないだろう。
だから、死ぬのを待っている。
早く死んで欲しい。
あれと比べればまともというだけで、こんな風に考えてしまっている時点で、俺はまともではないだろう。
「だったら、どうしろっていうの? 抵抗すればいい? 嫌だって逃げればいい? そんなことをしたって無駄だよ。僕が言うことを聞かなかったら、どうなるか知ってる?」
「……この町で生活できなくなる、だろうな」
「それだけなら、別に構わないよ。むしろ、君のお祖父さんから離れられていい。父さんは職を失うし、一家で路頭に迷うことになるかもしれないけれど」
「これ以外に、ほかに何があるっていうんだよ」
「君には、妹がいないからわからないんだね」
「妹?」
山中には妹がいる。
確かまだ、小学生だ。
「もしも僕が抵抗したら、言うことを聞かなかったら、逃げ出そうとしたら、次は妹が同じ目に合うぞって、脅されてるんだよ」
最悪だ。
本当に、本当に、あれは最低だ。
人間じゃない。
「妹だけは守らなきゃ。妹は僕の宝物なんだ。まだ、誰にも汚されていない。純粋で、無垢な生き物だ。僕の父さんはね、お前は長男だから、男だから平気だっていうんだ。少し体を触られたくらいなんだって。実態を知りもしないで……いや、知っていて言っている。そのおかげで、仕事がもらえて、どんどん出世して、来年には副社長になるんじゃないかって話も出ているくらいだし」
「お前の父親も、最低だな」
「そうだよ。だから、僕は君のお祖父さんにされるまま、言われるまま、望むことをして、望む言葉を口にし続けなきゃいけない」
山中は、薄い笑みを浮かべながら続ける。
「君のお祖父さんは、悪魔だよ。いや、鬼か、獣かな? 人間としての良心が何もない。本当に、まともじゃない。そんな人間に従わないと生きていけない僕も、まともじゃない」
泣いても無駄。抵抗しても無駄。誰も助けてはくれない。
何をしても無駄なら、守りたいもののためには黙っているしかないのだと、そう言った。
山中が笑顔を作る度、俺は本当に申し訳なくてたまらなかった。
何もできない、何もしない。
黙っているしかない。
それは俺も同じで、だけど、山中は俺なんかとは比べ物にならないくらい、酷い目にあっている。
酷く傷ついていて、きっと、涙も枯れてしまったのだろう。
ただ、笑っているんだ。
何でもないようなふりをして、作り物の笑顔で、うつろな目をして。
「すまない。悪かった。申し訳ない……」
あまりに申し訳なくて、俺はただ、頭を下げることしかできなかった。
「いやだなぁ、君は何もしていないじゃない。それに、君のお祖父さんがたとえ改心して僕に謝罪したとしても、僕は許すつもりはないよ。まぁ、そんな日は絶対に来ないだろうけど。もういいから、顔を上げてよ」
山中は俺の肩に手を乗せ、顔を上げるように促した。
ゆっくり顔を上げると、山中の大きな瞳に情けない俺の顔が映っている。
近くで見ると、女子が騒いでいる理由が本当によくわかる。
体はあれに汚されてしまっているけれど、山中の肌はきめが細かく、長いまつげで縁取られた瞳は、芸術品のように美しかった。
「誰か、毒の一つでも飲ませて、殺してくれたらいいのにね」
同性愛者ではない俺が、思わず見惚れてしまうくらいに、綺麗だった。
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