第8話 心はどこにもいられない


 しばらく自転車を全力でこいだ俺たちは、赤信号に引っかかり停まった。夜中なのに働き者の信号機だな。


「――はあッ、はッ」

「あははっ、あは。やば」


 息を切らしながら愛海が笑いだす。


「そっか、外にいちゃいけないんだっけ。忘れてた」

「堂々とコンビニ入っちゃってアホだ、俺たち」


 俺もなんだかおかしくなって、笑いこけてしまった。

 子どもを守るための規則なのはわかるけど、俺たちは何もしていない。なのに真夜中ってだけで逃げなきゃならないんだ。




「ここにいることそのものが、ダメだなんて――あたしみたいじゃない?」


 いきなり愛海がものすごい自虐をかましてきて、俺は言葉を失った。


「えっと――」


 口ごもる俺を無視し、愛海は青になった信号を走り出す。

 俺はあわてて追いかけた。





『あたしアンドロイドなんだ』

『消される前に航平には伝えておくね』

『初期化しないとダメだからもう、あたしはいなくなる』



 愛海は、存在を否定されている。

『ここにいることそのものが、ダメ』、か。


 だけど俺だって、あまりかわらないよ。

 家族の中に「航平」はいない。いるのは「お兄ちゃん」だ。






 すこしの間、黙って走った。こんどはそんなに急がずに。


 真っ暗な夜は静けさに満ちていて、ふしぎとやさしい。

 道の先はろくに見えやしないのに何故か怖いとは思わなかった。


 ここにいてはいけない俺たちを、包み隠してくれるから。

 何者にもなれない俺たちが、もし泣いてしまっても誰にも見えないから。




 たぶん俺は、ずっと嫌だったんだ。「お兄ちゃん」であることが。

 みんなに俺自身を見てもらいたかった。

 弟ができてから、ずっと、そう思っていたんだ。


 ――抱えつづけた気持ちを認めたら、俺の中にいた〈子どもの頃の俺〉が泣きながら笑った。

 そんな気がした。





 なあ愛海、おまえなら。

 俺が感じていること伝えてもいいかな。受けとめてくれるかな。


 俺、おまえのこと好きだ。

 きっとずっと前から。




 だって愛海がいなくなるって知ってから苦しいんだよ。

 これってそういうことだろう?

 バカみたいだよな、一緒にいた時に気づけないなんて。

 もう伝えたってどうにもならないのにさ。



 だけど。

 迷惑かもしれないけど、言っておきたい。

 俺たちが目指す、その海にたどりついたら。


 好きだって。

 愛海のこと好きだって。


 告白の記憶。

 俺の言葉。

 それがたとえリセットされてしまうとしても。俺は愛海が好きなんだ。

 この気持ちを、いなくなる愛海と一緒にどこまでも連れていってほしい――。







「海だあぁーっ!!!」

「叫ぶなよマナミン」


 砂浜と道路の間にはコンクリートの低い壁があった。波よけの堤防というよりは、砂を防ぐためのもの。

 その切れ目から浜に入りこみ、自転車を停めた。



 ぬるい風は、潮の匂いがした。

 ざぁん、ざぁん、と波が響く。


 ここが愛海の来たかった海なのだろうか。昼間のあたたかさが残る砂をスニーカーで踏み、俺と愛海は波打ち際に近づいた。



「せっかく来たんだから、航平も海に向かって吠えるぐらいしよ?」

「警察が来るぞ」

「それはヤダ」





 海といっても、真夜中なので真っ黒なかたまりにしか見えない。


 暗い空と、暗い水と。

 さかい目がなくなり、俺は夜に浮かんでいるようだった。


 満月に近い大きな月が波間に映り、ゆらゆらゆがむ。

 海は、手のひらですくえる夜。





「――補導される時は二人いっしょだね」


 隣で海を見ていた愛海がふざけて言った。

 ふわふわと、消えてしまいそうな笑い方で。

 月の光と、道路に立つ遠い外灯。

 薄明かりに照らされる透きとおる笑顔。




 ――バカ言うな。

 補導されたりしたら、愛海はどうなるんだ。

 アンドロイドとして初期化されるのか。

 人間としてどこかに連れて行かれるのか。



「捕まるなよ」


 俺は低い声で言った。

 愛海をどこにも行かせたくない。そう強く願った。


「――えと、ごめん。捕まんないように頑張るってば」


 俺が真剣に言ったからか、愛海は元気そうにごまかした。


「青少年保護条例だっけ? でもあの店員さん追っかけてこなかったし、へーきへーき」


 さく、さく。足もとの砂を靴の先でいじりながら、愛海は軽い調子をよそおっている。


「店員のおじさん、子どもとかいそうな年だったし、普通に心配してくれてたのかもね。通報とかしてないといいなあ」

「あのさマナミン――いいかげん、どういうことなんだよ。消されるとか、アンドロイドとか」


 俺は愛海をさえぎって問いつめた。

 ここまで来てもまだヘラヘラしてるとか、ひどすぎると思う。


「航平……」

「バグってなんだ? おまえはおまえだろ。何もダメなところなんかない。俺はおまえにそのままでいてほしい」


 俺は向き直って、浜辺にたたずむ愛海を見つめる。俺を見上げてくる頬が闇にぼんやり浮かんでいた。

 



 言わなくちゃ。俺の気持ちを伝えるんだ。

 そばにいてほしい。愛海が好きだ、と。




「俺――」


 そこで俺のスマホが鳴った。


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