EP.2 caelum_2
アイルとキース曰く、アジト『カエルム』は厳密には四階建てのようだ。
一階の下には地下室があり、そこは主に倉庫として使われていた。食料や日用品、武器などをそれぞれ仕分けて整頓してある。倉庫の横には洗濯機と乾燥機が五台ずつ並ぶランドリーコーナーがあり、洗濯当番が毎朝機械に衣服を放り込むらしい。
一階は「みんなが仲良くなるため必要な場所」のようだ。仕切りが無く開放的な空間である。ラウンジと呼ばれるスペースにはテーブルとソファ、高さの違う椅子がいくつか置かれており、数人の青年たちが腰掛けていた。ラウンジの対曲線上には、下段までびっしり本が詰まった本棚が壁に沿って並んでいた。電子化が進んだため、地上で紙の本は古美術品扱いになっているが、これだけの数が地下最下層に揃っているのは珍しい。おそらく本の大半は検閲により禁書となったものが流れてきたのだろうが、マニアの貴族は喉から手が出るほど欲しいだろう。汚い物として遠ざけておいて、価値があると気づけば取り戻そうとするなんて愚かだ、とエリオットは冷笑した。
階段の隣には大きな食堂もあった。キースが得意げに言うには、月喰メンバー全員が座れる程度の広さになるように、アドラが壁を打ち壊したそうだ。
二階と三階は「ひとりでゆっくりできる場所」。つまり、各々の部屋である。二階が男子部屋で三階が女子部屋らしい。だが、男子部屋は一部屋につき四から六人なのに対し、女子部屋は原則二人、多くて三人で使っている。月喰の男女比は一対九と、男性に比べ女性の方が圧倒的に少ないからだ。なお、十歳以下の子供は男女問わず大部屋で過ごしているらしい。
「女どもは雑魚寝じゃないからいいよな」と愚痴をこぼすキースに「でも女子は子供たちの面倒を見なくちゃいけないわ。同じ三階にいるからって理由でね」とアイルは頬を膨らませた。
「それにしても姐さんがエリオみたいなやつを拾ってくるなんて珍しいよな」
一通り説明を終えたキースが、階段を下りながら呟いた。
「拾うっていったら失礼よ。物じゃないんだから。でも、ちょっとキースの気持ちわかるかも」
背中の後ろで手を組んだアイルが振り返る。
「珍しい……?」
エリオットは頷き合う二人の顔を交互に見て首を傾げた。
「アドラねえさまが『家族』として迎え入れるのは、圧倒的にアイルみたいな子供が多いんです~。この前来た子も八歳でした」
「ほら、ヴァイマリって半年に一回粛清があるだろ? あれで親や頼れる大人を亡くした子供たちって結構いてさ。俺たちも粛清で親が死んでんだけど、そういう身寄りのない子を姐さんが引き取ってるってワケ」
「アドラねえさまはアイルたちにもちゃんとお仕事をくれます。働いたら衣食住は保証するっていう条件だからです。でも、子供の労働力なんてたかが知れてます。だから、返しきれない恩はこうやってお手紙や絵にして伝えているんですよ~」
アイルは踊り場に吊るされたコルクボードを指さした。そこには手作り感溢れるポスターや、アドラの似顔絵、拙い字で「ありがとう」と書かれたメッセージカードなどが飾られていた。きっとキースとアイルよりも幼い子供たちが描いたものなのだろう。微笑ましいやりとりを想像し、エリオットの口角は自然と上がっていった。
「だから、エリオねえさまみたいな自分の身を自分で守れて、ちゃんとしたお仕事にも就いていそうな方が月喰にくるなんて珍しいって思ったんです」
「ま、月喰に来た以上オマエも働けよな。『自分の価値は自分で示せ』。これ、先輩からのアドバイスな?」
「ちょっとキース。エリオねえさまは年上なのよ。レーセツをわきまえなさい!」
「うるせー。ヴァイマリは実力主義ですー、ネンコージョレツ?は二十一世紀に廃れたもんねー」
ひゅうっと口笛を吹くキースの頬をアイルがつねる。取っ組み合っている二人の姿を見て、エリオットはくすりと息を漏らした。
「心配しなくても大丈夫。私は私の役割を果たすわ。今までもこれからも、ね」
「よくわかんないけど、格好良くていいと思います」
「だな。そろそろ行こうぜ。姐さんたちも話が終わったころだろ」
そう言ってキースは階段から飛び降りた。続けてアイルも駆け下りる。
「行くってどこへ?」
「一階のラウンジですよ~。多分、幹部のみなさんが待ってます」
「早く来ないと怒られるぞ。特にラヴィは遅刻した奴に厳しいんだ。あと、自分を敬わない無礼なやつにもな」
「あっ。ちょっと、二人とも待っ――」
ドタドタと走る後ろ姿にエリオットは手を伸ばした。だが、その手は届かず、虚しく空気を掠めただけだ。
エリオットは肩を落として溜息をついた。子供の考えていることはよくわからない。
二人の後を追い、階段を下り、長い廊下を渡っていく。
「それにしてもアドラのカリスマ性はすごいわ」
エリオットは口を一の字に結んだ。ヴァイマリアードの住民は地上で更生不可能と判断されただけあり、一癖も二癖もある。エリオットが相手をしていた客たちも自分の利益しか考えてない者ばかりだ。そんな
「まるで彼女は地下の救世主ね。ますます好きになっちゃう」
なんてことを考えていると、大きなテーブルとその周りをぐるりと取り囲むいくつかの椅子が見えた。ラウンジに帰って来たのだ。
エリオットの視線の先にはちょうどアドラが座っていた。アドラはあたりを見渡すエリオットに気が付くと、まるで飼い主を見つけた大型犬のように、元気よく手を振った。よく見れば、部屋の隅には壁にもたれかかるキースとアイルもいる。栗色の瞳と目が合うと、二人は「幸運を」と言わんばかりに親指を立てた。
アドラが視線だけで合図を送る。エリオットは一呼吸置くと、円陣の中へと踏み出した。緊張などしていない。あのクラブに在籍していた時の方が、はるかに嫌な汗をかいていた。
「お初にお目にかかります」
エリオットは深々と頭を下げた。透き通った硝子のような声の主に、一斉に視線が注がれる。
「私はエリオット。平民の出身故、苗字はございません。くらやみの五番街にある廃教会に住んでいましたが、突如現れた騎士団に襲われていたところを、アドラさんに助けていただきました。特技はこれといってありませんが、ヴァイマリアードに落ちるまでは踊りを生業にしていました。よろしくお願い致します」
エリオットはゆっくり顔を上げると、太陽の光に照らされてゆらゆらと揺れる水面のような、それでいて乾いた心に沁み渡る軟水の如く、穏やかに微笑んでみせた。その笑顔はあまりにも魅力的で、まるでラウンジ全体に時を止める魔法でもかけられたかのように、その場にいる者たちは一心にエリオットを見つめていた。
だが、それも一瞬の話。まばたきするころには
「エリオってばかしこまりすぎだ。ははーん、さてはあの双子に騙されたな?」
とアドラの爆笑に置き換わっていた。
「騙された?」
虚を突かれたエリオットは、柄にもなくぽかんと口を開けた。アドラはゲラゲラと腹を抱えながら、部屋の隅でそっぽを向いているキースとアイルを指さした。
「あいつらに何を言われたか大体予想がつくぜ。どうせ幹部は怖いとか、行儀よくしないと怒られるとか言われたんだろ。それはあいつらが月喰いちの悪戯好きで、悪さばかりするから寮監サマのお怒りを買ってるだけだ。そうだろ、バン?」
「アドラさん、勝手に先入観を植え付けないでください。それじゃまるで私が悪代官みたいじゃないですか」
バンとよばれた金髪の青年が肩を落とす。バンは四角いフレームの眼鏡をくいっと上げると、エリオットに向き直った。
「初めまして、エリオットさん。私はバン・オブ・アンジュー。アドラさんのご紹介にあずかりました通り、月喰の寮監――簡単に言えば、皆さんが快適に暮らせるためにサポートをするお世話係のような仕事をしています。困ったことがあれば何でも相談してください」
「バンは元貴族だから頭が良いんだ。騎士団と
「本当はそんな恐ろしいことはせず、備品の手入れや食料の調達だけしていたいんですけどね」
バンは困ったように頬を掻いた。野性味あふれるアドラや、気分屋の双子と違って、バンからは温和な雰囲気を感じる。いかにも優男といった感じだ。だが、こういう無害そうな顔をしている者が、実は一番洞察力が高く、勘も鋭い者だということを、エリオットは仕事柄知っていた。
「バンの他にも幹部はあと二人いる。ラヴィとズィーだ。ラヴィ、エリオに挨拶してやれ」
そう言って、アドラは右隣に座っていた少年――ラヴィの肩を叩いた。紫色の瞳に、すっと通った鼻筋。そして、燃え盛る炎ような赤い髪。ラヴィがアドラの血縁者であることは一目でわかった。
だが、彼が纏う雰囲気はアドラと違って刺々しかった。アドラが群れの先頭を歩く勇猛な獅子だとするならば、ラヴィは一人で夜の街を闊歩する気難しい猫みたいだ。
アドラにせかされて、しかめっ面でエリオットを睨んでいたラヴィは大袈裟にため息を吐いた。やれやれと言ったふうにおもむろに立ち上がる。肩の高さで切りそろえた赤髪をかき上げて、フンと鼻を鳴らし、一言。
「俺はラヴィ。十四歳。見ての通りアドラ姉さんと血がつながった、正真正銘の弟。これでいい?」
「それだけかよ。もっと他に言うことあるだろ。好きなものとかさ」
「好きなもの、ね。……ああ、ズィーについてなら紹介してあげるよ」
アドラは彼の後ろに控えていた青年を指さした。
「彼はズィヤード。俺の一番の友達だ。みんなも俺もズィーって呼ぶ。無口だけどいい奴で、月喰いちの肉体派だ。姉さんよりも強いよ。見るからに弱そうなお前なんか、ズィーの一撃で吹っ飛んじゃうかもね」
「ズィヤードだ」
ズィヤードは挨拶代わりに、エリオットより二回り大きい手を差し出した。身長が二メートルはありそうな引き締まった体躯に、黒みがった茶色い肌と、ズィヤードの容姿は華奢で色白なノーランディア国民とはかけ離れている。もしかしたら、先の大戦でノーランディア王国に制圧された国の生き残りかもしれない。もしくは、黄金の瞳を持っているから、最強の戦闘民族と名高い砂漠の民か。そんなことを考えながら、エリオットは手を握り返そうとする。
だが、骨ばった指先に触れる直前に、ラヴィによって手を跳ねのけられた。パチーンッと痛々しい音がラウンジに響き渡る。
ラヴィは挑戦的な笑みを浮かべた。
「ダメだよズィー。こんなよそ者相手にしちゃ」
「ラヴィ! エリオは俺たちの家族だ。家族に手を上げるなんてひどいんじゃないか? エリオに謝れ!」
「この女が家族だって? 姉さんこそひどいよ。ちょっと遠くまで行ったら、いつも知らない人を連れて帰って来て、すぐにこいつは家族だって言う。本当の家族は俺だけなのに」
「だって困ってるやつを放っておけな――」
「そ、れ、に! 姉さんはすぐ人を信用する。こいつが姉さんの命を狙う悪人だったらどうするんだ? どうせ、こいつの罪状すら知らないで連れてきたんだろう?」
ラヴィは多くの憤りと少しの妬みを含んで早口に捲し立てた。
「ラヴィさんの言い方は良くありませんが、一理ありますね。私も貴女がなぜヴァイマリアードに落ちたのか、そしてここで何を生業にしていたか、貴女のルーツが気になります」
ラヴィの言葉に、バンが追従する。ふとアドラを見れば、彼女も聞きたいと言わんばかりに頷いていた。
逃げられそうにもない。
エリオットは腹を括ることにした。どうせ、いつかはある程度まで話さなければいけないことだったのだ。
「あまり楽しい話ではないけれど、それでもいいのなら」
エリオットは唾を飲み込んだ。ごほん、と咳ばらいを一つした。
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