EP.2 caelum_1

 永遠の闇が戦場を多い、崩れたビルの隙間から冷たい風が吹き抜ける。砲撃の残響がコンクリートの残骸に反響し、生ぬるい風に運ばれた硝煙の臭いがエリオットの鼻を刺激した。

 曲がりくねった悪路を抜け、割れた街灯が並ぶ大通りをひたすら北上することおよそ二時間。エリオットはアドラの背中の奥に広がる景色をぼんやりと眺めていた。大犯罪者ハイラガードの最終処分場たるこのヴァイマリアードでは、どこへ行っても死体が目に入る。処理が追いつかないから街じゅう黒いシミだらけだ。明日は自分が粛清されるかもしれないという恐怖心からか、皆気配を消して物陰に潜んでいる。もし道端ですれ違ったとしても、彼らの頬はこけ、やつれていた。濁った瞳はまるで死んだ魚のようだった。


 しかし、そんな陰鬱とした雰囲気もアドラのいう「アジト」に近づくごとに、明るいものへと移り変わっていった。道行く人々の数が増え、錆びた赤と黒しかなかった世界にぽつぽつとネオンカラーが混じるようになった。粗末なカウンターに立てかけられた路上酒場の看板や、露出度の高い衣装を身に纏った男女がテントに客を連れ込む光景は、地下三層の歓楽街を彷彿とさせた。久しぶりに喧騒を浴びて、エリオットはちょっと懐かしい気持ちになった。三年ほど前までは自分も客を取っていた。


「ついたぞ」


ふとアドラが足を止めた。エリオットは顔を上げた。


 アドラが指さした先にはひと際目を引く大きなビルがあった。高さは三階建てとあまり高くはないが、とにかく横に長い。状態も良く、外壁は落書きや泥で汚れているが、割れた窓は一つも無かった。入口の両開きの扉も鉄製で、いかにも頑丈そうな鋼鉄の城、というのがエリオットの印象であった。


「ここがアジト?」

「そうだ。元は病院らしいけど、機材とかは俺が制圧した時点で何もなかった」

「制圧……。乗っ取ったの?」

「まあな。いけ好かねぇ奴らがたむろってたから。それに欲しい物は奪うがヴァイマリの常識だろ?」


アドラは歯をむき出しにして笑った。

 そして、扉の前に立っていた子供たちに手を振った。


「おーい。帰ったぞー!」

あねさん! ご無事でしたか!」


声の主がアドラだと気づき、ワンテンポ遅れて子供たちが振り返る。後ろ姿ではよくわからなかったが、どうやら片方は男でもう片方は女のようだ。お揃いのショートヘアが良く似合う。よく見れば、二人ともアドラのものとよく似たジャケットを羽織っていた。


「キース、アイル、二人ともお疲れ様。俺がいない間、平気だったか?」


エリオットの手を引いて、アドラは子供たちに駆け寄った。子供たちは揃って首を振った。


「昨日の二十時くらいだったかなあ。騎士団が何人か乗り込んできたんですけど、ズィーさんが全員やっつけてくれました! 被害はもちろんゼロっすね。」

「それ以外は異常なしです~。それよりアドラねえさまの後ろのお姉さんは誰ですか? 孤児って年齢でもなさそうですけど……?」

「あっ! もしかして姐さんの彼女っすか!? いやぁ、ついに姐さんにも恋人が! めでたいけど、こりゃラヴィが荒れそうだなあ」

「違ぇよ、バカ。このマセガキが」

「なら親戚ですか? お姉さん、アドラねえさまとおなじくらい綺麗ですもの」


子供たちが興味ありげにアドラの背後を覗き込む。エリオットは眉を寄せて小さく会釈した。年齢が倍ほどある大人としか接してこなかったから、純粋な好奇心に当てられたときに、どんな反応をしたらいいかわからなかったからだ。


 そんなエリオットの緊張を和ませるかのように、アドラはエリオットの腰に手を当て、突き出した。


「こいつはエリオット。今日から俺たちの仲間、いや、家族だ」

「ええと、初めまして。エリオットよ。長いからエリオでいいわ」

「エリオか。うん、覚えた! 俺はキース。今年で十二歳になる。でこっちが双子の妹の――」

「アイルです~。よろしくね、エリオねえさま」


キースとアイルはそれぞれエリオットの手を取り、腕がちぎれそうなくらい、勢いよく縦に振った。


「エリオはすごいんだぜ。足がギソクだから空が飛べるんだ!」


そういってアドラはエリオットの脚を指さした。キースは「おおっ」と感嘆の声を上げ、アイルはパチンと手を叩く。


「空が飛べるなんてすごい! もしかしてエリオねえさまは地上からいらっしゃったんですか? 地上では空を飛びながら踊るダンスが流行していたって聞いたことがあります」

「俺たちはヴァイマリ産まれだから地上のことには疎いんだよ。エリオはどこ出身なんだ? やっぱ地上か?」


きらきらと目を輝やかせる双子に、エリオットは言葉に詰まった。自分の出生はいささか複雑だ。初対面の人に話すような内容ではない。それに、もし本当のこと語るならについても触れざるを得なくなる。


 迷った末に、エリオットは作り話をすることにした。


「いいえ。生まれも育ちも地下三層よ。この脚は、事故で本物の足を失った私を哀れに思った貴族の方から頂いただけ。飛べるのは偶然飛行対応モデルしか売ってなかったからだ、と聞いているわ」

「なるほどな。エリオみたいなオーラがある人間が地下育ちなんてちょっと意外だ。でも、あんたも苦労してきたんだな」


アドラはエリオットの肩を叩いた。


「ところでアイル、キース。いつまでも立ち話って言うのも変だし、そろそろ中に入らねえか? 俺たちのアジト『カエルム』がヴァイマリいちの高級住宅だってこと、エリオに紹介してやってくれよ。お前らが案内してくれてる間に俺、バンと話つけてくるからさ」

「了解っす」

「はいは~いっ! アイルがエリオねえさまを案内します~」


アイルが声を弾ませながら勢いよく手を挙げる。


「それじゃ、出発で〜すっ!」

「あっ、ちょっと待っ……!」

「ヤだ。待たない。ほらさっさと行こ行こ」


 キースがエリオットの背中を押す。エリオットは双子に半ば引き摺られるような形でアジトの扉を叩いた。



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