6. ミネコの正体は
僕と陽太が口をきかなくなって、三日が経った。
それまでは、朝いつものように僕が教室へ着くと、真っ先に声をかけてくれるのに、陽太は他のクラスメイトとつるむようになった。
僕は、陽太以外に特別親しくしている級友がいたわけではなかったけれど、特別困ることはない。僕には、ミネコがいる。
小野田さんは、僕と目が合うと目を逸らすようになった。さすがの僕も少し傷ついたけど、陽太のことを考えると、彼女とそれ以上どうこうしようという気にならない。
元々その程度の気持ちだったということだろう。そう、僕は思おうとした。
黒板に、先生がチョークで【realize】という単語を使った例文を書いている。
【realize】には、「気付く」「理解する」「悟る」「実感する」「自覚する」「実現する」などの意味がある。
At last, he realized his mistakes.
(ついに彼は自分の誤りに気付いた)
Oh, I didn't realize you were standing there.
(あれ、あなた、そんな所に立ってたの。気付かなかった)
Realize your dream.
(夢を実現させよう。)
先生は、それらの例文を書き終えると、生徒の一人を当てて、【notice】(気付く)との違いについて質問している。
でも、そんなものは≪リアライズ≫を使用すれば、すぐに答えを教えてくれる。
授業中は≪リアライズ≫をオフにしておかなければいけないのだが、そんなことを守っている生徒が果たしてどれだけいるだろうか。
試験を受ける時だけは、カンニング行為をしないために学校側が≪リアライズ≫の電波を妨害する特殊な機器を用意する。そのため、試験中は≪リアライズ≫を使用することができない。
だから、授業中もしっかり聞いていなければ試験でいい点数をとるはできない。
それがわかっていても僕は、授業そっちのけで、ノートにペンを走らせていた。
ミネコが教えてくれたこと。ミネコが興味を持って僕に聞いてくれたこと。それらを一言一句たがえぬように、丁寧な文字で書き記していく。
【ミネコノート】は、白いページが残り僅かになってきていた。
これは、ただの記録ではない。僕の夢のノートだ。
僕の憧れをそのまま具現化したミネコは、夢を失くした僕にとって、今一番優先すべき事項なのだ。
×〇×〇×
その日、僕は学校の帰りに駅前の本屋へ寄り、新しいノートを買って帰ろうと考えた。家とは反対方向になるが、ミネコの興味を惹きそうな話題探しにちょうどよいと思ったからだ。ついでに、欲しかった参考書も買っていこう。
本屋で、ノートを二冊、参考書を一冊、ナショジオの今月号を手にとり、レジへ向かった。店員は、僕の姉だった。
まさかここでバイトしていたとは……と少し気まずかったが、僕はじっと本をバーコードで読み取る姉の手元だけに注視していた。
ナショジオを持つ姉の手が止まる。
「……こんなの読むんだ、意外」
ぼそっと僕だけに聞こえる声で姉が言う。その声に、どこか中傷じみた含みを感じて僕は、かっとなった。
「……バイトばかりで、大学生は気楽でいいよな」
ぼそっと誰もいない宙に向かって吐き出した僕の声を、姉は無視した。
そのまま会計を済ましてレジに背を向けた僕は、背後から姉に腕を掴まれた。
「ちょっとこっち来て」
低く熱のこもった声だった。姉は、そのまま僕を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。
しまった、余計なことを言ってしまった。どうして僕は、あんなことを言ったのだろう。
振り払おうと思えば振り払えたかもしれない。でも、姉に掴まれた僕の腕が、ひりひりと焼け付くようで胸が喘いだ。僕は、ただ姉の手を見つめるだけで、逃げ出すことすら出来なかった。
姉に連れて行かれた場所は、店のバックヤードだった。山積みにされた本や雑誌が床に置かれており、人が入るスペースは僅かしかない。
姉が扉を閉めて、僕に向き合う。
「どうして私がバイトばかりしているのか、あんた考えたことある?」
姉の声は、思いのほか落ち着いていた。≪リアライズ≫が特に警告してこないところを見ると、どうやら姉は、僕が思っていたほど怒ってはいないようだ。
僕は少しほっとしながら、しかめっ面を作る。もちろん、姉の≪リアライズ≫には全てお見通しだろうけど。
「自分の好きに使えるお金が欲しいんだろう。それに、早く家を出たいって、いつも姉さん言ってるじゃないか」
僕の答えを聞いた姉が、これ見よがしに、はぁ、とため息をつく。馬鹿にされた気がして、僕はいらっとした。
「あんた……なんにも知らないのね」
「なんだよ。姉さんは、何でも知ってるっていうのか」
どうせミネコほどじゃないだろう、と思わず口にしそうになり、やめた。ミネコのことは、他の誰にも話したくない。僕だけが知っている秘密の宝物みたいに隠していたいのだ。
それに僕は、ここ最近ミネコのために色々なことを調べていたので、姉よりもずっとえらくなったような気がしていた。今なら姉が知らないようなうんちくを語れる自信がある。
そんな僕の様子に驚いたのか、姉は、ちょっとだけ目を見開いて、意外そうな表情をした。
そういえば、僕が姉に喧嘩を吹っ掛けるのは、何年振りだろう。
≪リアライズ≫は、人との
姉は、ぐるりと首を回して、大きく息を吸い込んだ。
「ここ数年、AI小説の人気が高くなっている所為で、父さんの本が売れなくなっているのよ」
「え……」
「だから私は、早く家を出たいの。父さんと母さんに、余計な負担をかけたくないじゃない」
だからあんたも、あんまり母さんを心配させないで、と静かに姉は言った。
その時、扉が開いて、姉と同じエプロンをつけた男性が顔を出した。
「
「いえ、もう終わりました。すみません、弟なんです。ちょっと社会見学に」
「あぁ、そうなの。高校生? うちはいつでも人手不足だから、大歓迎だよ~」
そう言って僕に向かって挨拶をしてきた人の良さそうな男性を、僕は無言で押しのけて外へとび出した。
出口へ向かう途中、『今話題沸騰中☆AI小説』と大きく書かれたポップが視界に入った。そういえば、さっき店内を見て回っていた時も、AI小説コーナーが出来ていたことを思い出す。
一体いつからだろう。≪リアライズ≫が普及する頃には、とっくにそれが景色の一部になっていて気づきもしなかったのだ。
僕は息を切らしながら家へ向かって走った。
僕は、馬鹿だ。大馬鹿ものだ。
ちょっとばかり物事を知って、それだけで何でも知っている気になっていた。
自分が守られていることにも気づいていなかったのだから。
×〇×〇×
その日の夜、どうしても眠れなかった僕は、水を飲もうとリビングへ降りた。
深夜二時を過ぎているというのに、リビングには明りが点いていた。父がダイニングの椅子に座って、ブランデーを飲んでいる。
「……仕事、終わったの」
「ああ、なんとかな。歩夢はどうした、眠れないのか」
そう言ってブランデーのグラスに口をつける父の横顔は、少しだけ老けたように見えた。
「AI小説の所為で、父さんの本が売れなくなってるって本当なの?」
「ごふっ……げほげほっ。…………
父は、飲んでいたブランデーを咳き込みながら口を拭った。
≪リアライズ≫をつけていないから分からないけど、たぶん怒ってはいなさそうだ。否定しないところを見ると、やはり今日聞いた姉の話は、本当らしい。
「どうして僕には教えてくれないの」
三つ年上だとはいえ、姉もまだ未成年だ。僕は、自分でも子供じみた質問だと思いながらも、父を責めずにはいられなかった。
父は、白髪交じりの太い眉毛を八の字にして、少し困った顔で笑った。
「美夢に進学先のことで相談されてな。どうやら薄々気付いていたみたいで、このまま自分が大学へ進んでいいのか悩んでいたんだ。でも、子供がお金の心配をする必要はない、って父さんも母さんも、そこは譲らなかった。お前たちが進学するお金くらいの貯蓄はあるからな」
べつに歩夢を仲間外れにしていたわけじゃないぞ、と父が強調して言う。
「お前も、気にせず自分のやりたいことをするといい。父さんも母さんも、それを応援する」
父の目は、お酒の所為か少し潤んでいた。父とこうして話をするのは、久しぶりな気がする。
「父さんは、どうしてAIを使って小説を書かないの? AI小説の方がずっと簡単でたくさん本が書けるんでしょう。アナログなプライドなんか捨てて、その方がずっと……」
おいおい、と父が途中で僕の言葉を遮る。
「AIを使って書いても、著作権はAIにある。今までどおりの収入を維持することはできない。それに……」
からん、とブランデーグラスの中にある氷が音を立てた。
「それに、父さんは信じているんだ。AIにはできないことが人間にはできるって」
98.92%の正解率をもつ≪リアライズ≫にできて、人間にできること……そんなもの、あるはずない。
「あのな、歩夢。AIだって万能じゃない。人間がつくったものだ。この前も……ほら、ニュースになっていただろう。新しい機能が誤ってリリースされてしまった所為で、一部の≪リアライズ≫に不具合が出ているって」
その言葉に、僕の耳元で、さっと血の気の引く音が聞こえた。
「え……なに、それ……不具合って、何」
「確か……実在しない物や動物……人が見えるとか。幽霊だって一時期騒ぎになっていたの、知らなかったのか」
そんな話は知らない。僕の≪リアライズ≫も、最新のネットニュースを拾って僕に教えてくれている。それなのに、どうして……?
〝実在しない物や動物〟〝幽霊〟…………それらのワードが、僕の頭の中で、一人のミステリアスな少女と重なる。
大丈夫、ミネコは物や動物じゃない。幽霊でもない。
でも、どうしてだろう。
僕は、ミネコに触れたことが一度もないことに、今の今まで気付かなかった。
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