世紀の嫌われ者

山野エル

第1話 リプレイマシン

「千尋さん」


 スマホのカメラを向けながら声を掛ける。おどけるその可愛らしさににんまりとしてしまう。


「動画でした~」


「絶対やると思った、花香かこ!」


 バーの個室が笑い声で満たされる。こんなに砕けた関係性を築けるとは思いもよらなかった。


「やっとお酒が飲める年齢になったね。最後に間に合ってよかった」


 いつでも私を救ってくれた温かい眼差しで千尋さんが微笑む。


「……寂しいこと言わないでくださいよ」


 橘千尋が並木橋Bestieを卒業する──その事実を受け止めきれていないのに。



★☆★



 日本を席巻する女性アイドルグループ、並木橋Bestie──そのセンターに立つのが、千尋さんだ。


 何気なく観ていたテレビでライブの裏側を追ったドキュメンタリーが流れていた。


「ここが私の人生です!」


 開演前に涙を流して震えていた千尋さんはステージの上で叫んでいた。


 学校では周囲に馴染めなかったらしい。でも、何かが変われば……それがアイドルになろうと思ったきっかけだという。


 小柄で華奢な少女がステージに向かう背中に、私はいつの間にか魅入られていた。


 それが彼女を、並木橋との出会いだった。




 高三の夏、並木橋の2期生オーディションの開催が発表された。


 受験勉強に身が入らなかった私は、現実逃避するようにパソコンでゲームする毎日を送っていた。


 WEBの応募ページに必要事項を記入したまま、送信ボタンを押せずにいた。ボタンを押せたのは、ただ締め切りの時間がやってきたから。


 黒木くろき花香かこ──それが私の名前。


 自分の名前が嫌いだった。だって、悪い過去を背負っているみたいだから。だけど、あの最終オーディションの日は自分の名前が呼ばれるのを待ち望んでいた。



★☆★



「次のシングルの活動をもって卒業することにしました」


 新曲の制作ミーティングの場で、私たちは彼女の口からそう聞かされた。


 心臓を雷で一突きされたような衝撃。そして、膝から下の血がスーッと抜け出て行くような感覚。何を聞かされたのか理解した時には、熱い涙が頬を流れ落ちていた。


「みんながすごい才能の持ち主だって知っているからこそ、私がみんなの活躍の場を奪っている気がする」


 今でも信じられない。ここを人生だと言った人の言葉とは思えなかったから。



★☆★



 永遠の別れのはずがないのに、なぜだかもう二度と会えないんじゃないかって思ってしまう。


 そんなことを考えていた私の頭の中に甲高い電子音が響いた。


 ポピーン!


 バーの個室を見回す。向かいの千尋さんが心配そうな顔をしていた。


「どうしたの?」


 戸惑う私の脳裏にメッセージが飛び出す。


≪「飲みにケーション」のトロフィーを獲得──橘千尋と酒の席を共にした≫


「大丈夫?」


「ちょっとゲームやりすぎたのかも……」


「一日中ゲームしてるって言ってたよね……?」


 私を心配した千尋さんに自宅近くまで送らせてしまった。手を振って去っていく背中をため息で見送る。


 結局、卒業のことは深く聞けずしまいだ。


 それにしても、さっきのアレはなんだったんだろう?



★☆★



 見慣れない封筒がポストの中に入っていた。部屋に入って着替えを済ませ、開封する。中から黒いコインのようなものと一枚の手紙が出てきた。


≪ 「飲みにケーション」のトロフィー獲得おめでとうございます!

 ささやかではありますが、景品として「リプレイマシン」を送付いたします!

 人生のやり直しをお楽しみください!≫


 リプレイマシンの使い方が添えられている。使用後には自動的に破棄されるともある。


 ──人生のやり直し……。


 ソファに座って、黒いコインをこめかみに貼りつけた。リプレイマシンが起動して、周囲の光景が光の中に飲まれていく。


 目の前に映像が現れ、ライブ中やレッスン中、オフでメンバーと遊びに行った時の画像など、無数のシーンが映画のフィルムみたいに連なって浮かんでいた。


≪リプレイシーンを選んで下さい≫

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る