10 恥ずかしいの等価交換
「まあ、なんて優しいのかしら」
おそろしいくらい棒読みな、無感情な声。
「恥ずかしい想いをさせてしまった代わりに、自ら醜態をさらすなんて。素敵な
……アイジョウさん? とエナガは引っかかったが、保健室の主はノンストップだった。
「それはそうと、ダメでしょう。許可のない日光浴は控えてちょうだい。貴女は"保健室の吸血鬼"なんて噂されてる、学校の七不思議なんだから。灰になってしまうわよ。それとも痛みを感じてハイになる類いのヘキの持ち主だったのかしら、やっぱり」
「……すみません、先生。お願いですから、わたしに釈明する猶予をください。初対面の相手に、おかしな設定を吹き込まないでくださいお願いしますただえさえ見た目でドン引きされてるんですから」
白い少女はタオルケットを頭から被ってしまった。
「それじゃあ、あとは若いふたりに任せるとしましょう」
と、ベッドのあいだを仕切るカーテンは開いたまま、斑伊イルマはふたりの前から去っていった。仮にも保健室の主、仕事があるのだろう。
「…………」
少ししてから、置いてけぼりのエナガの前に顔を出す、白い少女。
「……盗み聞きするつもりは、なかったのだけど」
「あ、ううん、それは、別に」
別にこれといって、人に聞かれて困るような後ろめたい会話はしていない、つもり。
「それより、『のじゃ』って」
「……やめて!」
また隠れてしまった。
「えと、あの……」
エナガはなんとか取り繕う。なんだか久々に「話しやすそうな人」に出会えた、そんな感覚。だからちょっと、悪ノリしてしまった。
「わ、わたし、桐埼エナガっていうの。あの……あなた、アイジョウさんって、いうの?」
なんだか古い映画みたいな問いかけだな、とエナガは思った。
「同じクラスに……というか、わたしの相部屋の子が、同じ名字なんだけど……。あの、知り合いだったりする? 相条ケンカ、て」
「……アイジョウ。ケンカという子は知らないけど、たぶん、親戚か何かなんじゃないかな」
「そ、そっか」
同じ名字らしいことが気になったのは確かだが、「相条さん」について何か知りたい、そういう気持ちが働いたこと、聞けなかったことへのかすかな落胆、そうした心の動きが、自分でも少し意外だった。
白い少女が顔を出す。
「わたしは、
「え?」
アイジョウさんを区別するために便宜上あだ名は必要だったが、それはそうと、
「いちおう、ね。ずっとここにいるから……今朝、きみが来るまで、転校生が来たことも知らなかった」
「そう、なんだ……?」
……今朝? ……あの時から居たんだ?
何か変なこと言ってなかったかな、と記憶を手繰り寄せる。
「桐埼さん――」
間城さんことマシロは一度言葉を切って、
「きみじゃない方の桐埼さんは、別に自殺しようとした訳でも、いじめられてた訳でもないよ」
「え……?」
「あと――記憶喪失になったのは、わたしのせいだ」
頭と頭がぶつかって、心と体が入れ替わる。
そういったお話を知っている――
「簡単に言うと、そういう感じ。ぶつかっちゃって、お互いに重傷」
「重傷……」
エナガは二日前に再会した幼馴染みの姿を思い出す。頭に包帯、腕にはギプス。加えて記憶喪失。
……どんな速度で衝突したらそうなるの?
もはや交通事故レベル。
……校舎の屋上かなんかで相撲の稽古でもしていたのだろうか。
「わたしも少し記憶がトんじゃって、ハイになってたみたいで、自分の身体のことも忘れて、暴れ回ってたみたい」
「…………」
あれ、このひと意外とヤバい感じ?
人は見かけによらないなぁ、とエナガの心はわずかに
「そうして、今なお"入院"してる。自業自得だけど。――……彼女の方は、まだ記憶が戻らないみたいだね」
「……うん」
悲しい、とか、心配、だとか。そういう感情は、あまり湧かない。
まるでなんだか、知らない人を見ているようで。
少し、寂しいだけ。
「こういうのは、ちょっと……なんていうか、変かもしれないけどね」
彼女はちょっと照れくさそうにしながら、
「わたしは、彼女に感謝してるんだよ。結果的には"これ"だけど、」
……"これ"って、まさか、真っ白になったことじゃないよね?
「間違いでも、いっときでも、自分の身体のことを忘れて――自由になれた、気がしてね」
「…………」
「ん。何を語っちゃってるんだろうね、わたしは。……まあ、その、わたしの頭も回復してるし、彼女の方も遠からず思い出せるんじゃないかと、思うよ」
「……うん。ありがと」
なんだか久しぶりに、人のやさしさというものに触れた気がした。
「ところで……、桐埼さん」
「なに?」
「きみの方を、下の名前で呼んでもいいかな」
「? うん、別にいいけど――」
なんとなく応えながら、エナガの脳裏をよぎる、いくつかのこと。
「あっちを名前で呼ぶのは――……なんかヤだ」
どういうことだろう。やっぱり喧嘩してたのかな。
そこそこに人に好かれて、まあまあ人に嫌われる。
桐埼エナガの知る桐埼カアヤはそういう"ひねくれた人格者"で――それは、少し見ないあいだに大きく変わるものではないようだった。
知らないうちに大人の階段をステップアップしていた訳ではないようで、少しだけ安心する。
それはそうと、"名前"。
今と、これからと、そして懐かしいやりとりを思い出す。
こういうちょっと気恥ずかしいやりとりを昔、当のカアヤとした覚えがある。
(……よく、覚えてないや)
代わりに湧き上がるのは、親しみの念。
彼女、間城アオイと接していると、なんだか昔の――ひねくれる前の、まだ優しかった頃の幼馴染みを思い出すのだ。
「…………」
「どうしたの? えっと……エナガ、さん」
もしかして、などと思うのは、さすがに「ない」だろうか。
(頭と頭がぶつかって、心と身体が入れ替わる……)
自分で考えておいてなんだが、変な話、変な表現だ。
でも、
(実はこっちが「カアヤちゃん」で、あっちが「間城さん」だったり、しない?)
入れ替わってたり、しない?
そう考えると、こっちがこんなに親しみやすく、あっちがまるで他人みたいに感じるのも、心の整理がつくのだけど。
「実は――そういうことだったり、しない?」
「そう、だったら――……はは。わたしは甘いものをやけ食いするね」
エナガが久々に"心の軽い"時間を過ごしていると、
「コンコン!」
と、大きなノックの音と一緒に声がした。
「桐埼エナガさーん、お前は包囲されているー、大人しくトウコウしなさーい」
……なんだろう。
「だそうよ」
と、斑伊先生が顔を出す。
「問題がないようなら、そろそろ登校しなさい。水曜の午後は保健室、怪我人でいっぱいになるから」
「???」
何かの冗談だろうか。というか、「午後」って?
「え? もうお昼なんですか?」
どうやらエナガは朝に倒れてからというもの、昼まで眠りこけていたらしい。
(授業……)
一日の遅れがどれほどの差を開くことになるのか。
なんかいろいろあったし、教室に戻りたくないなぁ――そんなことを思っていると、急かすようなノックの音。
エナガはベッドから出た。ハンガーにかけられ吊るされていたブレザーを着ようとして、ふと、その襟首を確かめる。特に汚れはない。
運ばれてきたエナガは首から出血していたらしく、ブラウスの襟が少しだけ汚れていたのだ。今もそのブラウスを着ているが、帰ったらどうにかしてその染みをとらなければならないだろう。それもちょっとだけ、気が重い。
「じゃあね、ばいばい」
「うん、またね」
マシロに別れを告げて、エナガは保健室を出た。
「お世話になりましたー」
「もう運ばれてこないことを願ってるわ」
頭を下げてから、ドアを閉める。
振り返ると、
「わ、」
近い。
ドアを開けていた時には距離をとっていたのに、閉めた途端、ハナちゃんが接近してきたのだ。指先でマスクを少し下げ、白い鼻を覗かせている。
「においます」
「……え? 何が?」
「女のにおいがします」
「…………」
まあ、確かに、女性ふたりと同じ部屋にいた訳だけど。
ハナちゃんの目はエナガの顔ではなく、首を注視しているようだった。
「首輪が外れた途端、これですか」
やはり首輪の存在には気付かれていた……というか今朝は見て見ぬふりをしてくれていたのだろう。その事実に気付き、遅れて刺激される羞恥心。
「"ご主人様"、どんな顔するでしょうねー?」
「う」
別に何も悪いことはしていないはずだが、後ろめたさめいたものに襲われる。
……別に、別にプレゼントでもなんでもないし、むしろ恥ずかしい類いのものなのだから外れてくれていっこうに構わないのだけど。
何かこう、いろいろ困る。どういう顔をして"彼女"に会えばいいのだろう。
(相条さん、怒らないかな……)
無意識に何も残っていない首に触れながら、エナガは考えた。
(……新しいものつけられないように、何か対策しなきゃ)
たとえば、やられる前にやる、とか。
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