09 のじゃが出る




 ――何故、生きている?


 そんなことを問われて、即答できる人間がどれだけいるのだろう。


「妾は、お前に興味がある」


 改めて、まるでエナガに噛んで含ませるように、彼女はゆっくりとそう告げた。


 気付けば教室は静まり返っていて、望月先生もチョークを手放してこちらを振り返っていた。


「お前は、見たのか?」


 ……何を?


 声が出なかった。


 朱園さんは左手で机に頬杖を突き、紅く塗られた右手の指先を、


「その、眼帯


「……!」


「『冬の嵐』――なんといったか……あぁ、そうじゃ。こう言えば分かるかの――」



 ――"傷化精スカーメイカー"



 ガタ、と。

 近くで物音がしたが、エナガは紅い瞳から目を離せなかった。


「動くな」


 ぴしゃり、と叩きつけるような、しかし厳とした声は、朱園さんから。


 その言葉は誰に向けられたのか――


 椅子の背もたれに手をかけ腰を浮かしかけた相条ケンカと、既に立ち上がり刀を抜いている魅造みつくり真玄マクロ


 朱園さんの眼は、桐埼エナガをとらえている。


 その瞳に映るエナガの首には、鈴のついた首輪と――刀の、切っ先。


 それからふと、相条さんの方に視線を向けた。


「なんじゃ、うぬ。"コレ"に関心があるのか? それとも、」


「――――」


 相条さんは密かに息をもらすと、まるで何事もなかったかのように自分の席につき、エナガに背を向けた。


「フン。よう分からんヤツよのう。……とまれ、桐埼その2。繰り返すが、妾はお前に興味があるのじゃ。その眼帯はあれじゃろう? 話に聞く、ヤツの"マーキング"」


「……まー、きんぐ?」


 声が、出る。マニキュアの、ツンとしたにおいが鼻につく。


 どくん、どくん、と。

 心臓の鼓動がどんどんと加速する。指先にかすかな震えが走る。


 首筋に、冷たい感触。

 固唾を呑む、抵抗感。

 チリン、と心もとない鈴の音。


「鬼が出るか、蛇が出るか――ちょぉうっと、」


 ふーっと、紅い爪に息を吹きかけながら、


「味見、させてもらうとしようかのう――」




 ――――、


「……わ」


 気が付くと、エナガは知らない部屋にいた。


 周囲をカーテンに囲まれた、ベッドの上。

 なんとなく、ここが病室……保健室の一室だと分かる。


 ……悪い夢でも、見ていたのか?


「わた、し……」


 恐る恐る――まずは、左目。いつも通りの眼帯の感触。表面に縫い付けられた星形のアップリケ。いつも通り、落ち着く感触を確かめる。


 それから、その手を首に持っていく。


「……? ……ない?」


 あの鈴のついた首輪が、なくなっている。

 意外と誰にも言及されなくて、つけてるのも忘れてる瞬間さえあった、あれが――


「……生きてる?」


 外せば、死ぬ。そう脅されていた。

 加えて、首にあてがわれたあの冷たい感触――


(……ぜんぶ、夢?)


 だとしたら、とんでもない悪夢だ。なにせエナガは「首を斬られるかもしれない」「首輪が爆発するかもしれない」そんなダブル恐怖のあまり、夢の中で失神してしまったことになる。そうして目覚めたここは、果たして現実なのか。


「目が覚めた?」


 と、不意に揺らいだカーテンの隙間、顔を覗かせたのは、白いマスクに死んだ目をした大人の女性。


「あ……」


 これはこれで、ちょっとした悪夢。


「貴女、授業中に倒れたそうよ。朝のケガのせいかしら。精密検査が必要そうなら、そう言ってちょうだい」


 ……患者の自己申告なんだ……。


 エナガが呆れ半分おののき半分に見上げていると、斑伊イルマはするりとカーテンを抜けてベッドのそばに歩み寄ってきた。


「今朝つけてた首輪、外したのね。似合ってたのに、ペットみたいで。一日二回も保健室に来るのだもの、きっと相当なドMなんでしょうね、あなた」


「え、ちが、」


「大丈夫、保健室の先生はね、生徒の相談も聞いてあげるの。あなたがどういう趣向の持ち主だとしても、私はするわ」


「――――」


「でも、あまり危ないことをしてはダメよ。それはそうと、尊厳を取り戻したのか、はたまたご主人様に捨てられたのか……どういう設定ニュアンスの心境の変化なのかしら」


「あ、う……」


 顔が熱くなるのを感じる。


「ところで、首の傷だけど」


「え?」


 とっさに右手で首筋に触れようとしたエナガだったが、その手を押さえつけるようにしながら斑伊先生、エナガに覆いかぶさるようにして、


「舐めとけば治るわ」


「~~~!」


 ペロリと舐められ、ゾクリと震えた。


「せ、せんせい……みみんなにこんなことしてるんでしゅか……!?」


「……貴女だけ、よ?」


 何なんだこの先生、コワい……!


 エナガは今すぐ逃げ出したくなった。このままこの人と保健室にふたりきり、それがどんな事態を引き起こすことか……!



 ――ごほん。



「……え?」


 こほ、こほ、と。

 誰かのせきをする音がした。


 それも、意外と近くから。


「……あ、あのぅ……もしかして、他に誰か……?」


「ええ、いるわよ。だって、保健室だもの」


「~~~」


 恥ずかしさの第二ウェーブ。エナガは自分の顔の表面温度の急上昇に伴って、いっそ首にあるという傷口から出血死してそのままこの世を去りたいとすら思った。

 ……それはさすがに言い過ぎだとしても、穴があったら入りたい、そういう心境だったのに。


 ザザザー、と。


 斑伊先生、容赦なくカーテンを開いた。


 ベッドとベッドのあいだを仕切っていた布切れ一枚がなくなって、露わになる桐埼エナガの醜態。


 そこにいるのはどこの誰だろう。知りたいような、そうじゃないような。そういう葛藤も含めてエナガは自身の顔を両手で覆っていたのだが、


「……え」


 エナガは一瞬、自分の目を疑った。


 白い――


 カーテンの向こうには、ベッドがひとつ。そしてその向こうには窓があった。

 ベッドの上には、半身を起こしこちらを見つめるような――ひと形シルエット


 白い。文字通り、真っ白な少女がいた。




 透明に見えるほど白い髪、透き通るような白い肌。


 そこまでは、まだ分かる。


 しかし彼女は、あまりにも白すぎた。


 青白いなどといった次元ではなく、純粋に、不自然に、人間離れして、白い。


 それはまるで人工物のような白さだ。彼女の身につけている白いブラウスと、肌の色がほとんど変わらない。


 だけど、生きている。


 呼吸をしている。せき込んでいる。


 白い髪、白い肌。白い眉、白いまつげ。目も、瞳さえ白い。それは顔の輪郭が曖昧になるほどで、かすかな白の濃淡と室内灯による陰影でもってようやく、それが人間の顔であると認識できた。

 白い、ごく普通の市販品のマスクを着けているから、唇の色は分からない。口の中がどうなっているのか、想像するのは難しい。難しいと感じさせる、異常な容姿。


(……口の中が見たい、なんて)


 思わずそんなおかしな考えがよぎるほどに、不自然な光景がそこにはあった。


「あ、あの……、だいじょう、ぶ?」


 エナガがそう問いかけるそばで、斑伊先生が白い少女の方へ移動した。何をするのかと思えば、その背後のカーテンを閉め、窓から差し込む外の光を遮った。

 そうすると、よりはっきり白い少女の姿が浮かび上がる。


「ありがとう。……だいじょうぶ」


 少しかすれた、穏やかな声だった。


「なのじゃ」


「……え」


「…………」


「…………」


 今、「なのじゃ」って言った。


「…………」


「…………」


 ……言ったよね?


 白い頬に、ほんのりと赤みがさした。




 ――――、


 沈黙足音が、尾を引いている。


「……なんですか。私に、何か用ですか」


 授業が終わり、職員室か保健室にでも行こうかと思っていた、その矢先だった。廊下に出た望月アサギの後ろを、誰かがついてきていた。


 なんとなく察しはついていて、振り返ってみると実際その通り。


 そこには、小学生女児のような――


「教師になっておったとはのう」


「……桐埼さんを気絶させたのは、あなたですね。お陰で場が収拾できましたけど、あれは彼女に害はないんでしょうね」


「わらわはの、おぬしの子どもと同じクラスになって、『おまえのお母さんはむかし、根暗でとても性格が悪かったのじゃ……』というむかし話をしてやるつもりだったのじゃが。まだまだ、先のことになりそうじゃの……」


 あの頃と変わらない姿の、かつての同級生。


 それこそ「その娘」と言われた方がまだ、現実味救いがあったのに。


「いつまで学生やってんですか」


「"卒業"という言葉は、『業を終える』という意味じゃろう?」


「……さあ、どうでしょう。仮にそうだとして、だったら、なんだっていうんです」


「つまり、わらわが"満足"するまで、なのじゃ」


「――――」


 その時はいつ、訪れるのか。


 あるいは――


(彼女を『保健室あの部屋』に――)



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