第6話
会社で人と接する機会が以前ほど減り、黙々と作業をこなすようになってから頭の片隅に思い浮かぶのは、食べ物のことが多くなった。
沙織の言うとおり、食い意地はなぜか昔からはっていた。
食に関する欲が、他の欲求に比べて強いのかもしれない。
定時にあがれたので、一時間ほどスターバックスで時間を潰した。
腹を存分に空かして、煮つけをたっぷり味わうつもりだ。
綾は仕事が午後五時に終わる。早めに帰ったら、焦ってしまうだろう。
目の前の商店街ではかぼちゃの中身をくりぬいた大きなランタンが置かれており、秋を飾る風情が出ていた。少し早いが、もうハロウィンだ。
早和を思い出す。夏までは平然としていたのに、具合が大分悪化したのも去年のこの頃だったような気がする。
が、薄情な夫と自覚しながら振る舞っていたので、時々様子を見に帰ってはいたものの、ほとんど早和のなにも目に入っていなかった。
いざとなれば夜中に救急車を呼んでやるくらいにしか考えていなかったのだ。
しかし。今から思えば、早和は夜、一人きりのマンションで明かりだけを見つめて過ごしていたのだ。心細かったのではないだろうか。一人でリビングの椅子に座っている早和の後姿のイメージが思い浮かぶ。
同時に、キッチンで料理を焦がして慌てふためいているイメージも湧いた。それを消して、綾のエプロン姿を思い浮かべる。
料理本を二冊買って帰ると、焦げた臭いが漂っていた。
「ただいま」
綾が叱られた子犬のような表情で出てきた。失敗したなと思った。
「おかえりなさい」
「元気がないね」
「……これ、なかなかうまくできなくて。希望の味に近づけようと何度かチャレンジしたんだけど」
鍋の中に真っ黒に焦げて崩れているカボチャらしい塊があった。
どうにも食べられそうにない。キッチンに、他のものは美味しそうにお皿に盛られていた。今日のメインはアジフライ。これはできたものを買って来たのだろう。
あとは千切りにしたキャベツ、きゅうりの酢の物と、味噌汁。
「まずこれをテーブルに持っていこう」
料理の盛られたお皿をテーブルに運ぼうとして目を見張った。
テーブルにはまな板があり、その上に半分になったかぼちゃが、包丁が突き刺さった状態で置かれている。
「どうしたのこれ」
「まるまる一個買って来たの。それで、半分はなんとか切れたんだけど煮つけは全部失敗して、残りの半分はその」
綾は申し訳なさそうにしている。疲れてしまっているようだ。
「私の力じゃ切れなくてあのまま包丁が動かなくなったの。スタミナも切れちゃった」
「……わかった。先にできたのを食べよう」
包丁が刺さったままのカボチャをキッチンに移し、二人でご飯を食べる。今日は会話が盛り上がらない。楽しみにしていたのに、落胆してしまった面もあるにはあった。
けれどここで綾を気遣えなければ、早和の二の舞になる。
「このアジフライ、できたものにしては美味いな。どこで買ったの」
「会社の近くに揚げ物屋さんがあるの。人気のお店」
「へぇ。わざわざ買ってきてくれたのは俺のため?」
「二人のため」
綾は肩をすくめた。
食べ終え、かぼちゃに刺さったままの包丁を太一が元に戻した。
二人で煮つけを作ることに挑戦する。本のとおりに作れば、普通に仕上がる。
しかし脳がビリビリとする。本から少しずつ調味料を変え、何度か挑戦したがうまくいかなかったので、ついに歩きまわってしまった。
「なにがいけないのかな」
歩いているのが苛立ったように感じられたのか、綾の瞳が潤んだ。
「……わからない」
「そんなに元奥さんの味が大事なの」
「違う。そういうわけじゃないんだ」
太一は自分のこの奇妙な衝動について説明をする。けれど綾は納得できないのか、反論をする。
「だってお母さんの味から、奥さんの味に変わった時は受け入れられたんでしょう。料理が下手だったという割に、歩き回ることはなかったみたいじゃない」
なにも答えられなかった。
知らない間に早和の味に慣れていたのだろうか。料理が母親の味から早和の味に変わっていたとしても、もう十年以上も前の話なのでその辺の記憶はあまりない。
そして早和は、太一の好物の料理だけはやたらと上手く作っていた。だからかぼちゃの煮つけも得意だったのだ。
「ごめん。無理に注文した俺が悪かった。今日はもうやめよう。君も疲れただろう。俺も疲れた」
部屋にはかぼちゃの香りが充満している。
太一はシャワーを浴びることにした。
浴室から出ると、綾は既に眠ってしまっていた。
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