第4話
綾はじっと、太一の震える手を見つめていた。
そうして自分の箸を置くと、太一の手を掴む。
「あなたの好きな味はどんな味? いつもどんな味付けだったの。聞かせて。応えられるようにするから」
「もう少し甘さが濃くて。でも甘さもなにか微妙に違うんだ。これはどうやって作ったんだ」
「出汁をとって、白砂糖とみりんとしょうゆを混ぜて、あとお酒も少々。それをかぼちゃが柔らかくなるまで煮ただけなんだけど。調味料が違うのかな。太一が作りかたを知っていればいいのだけれど。そもそも料理は作れるの」
「主に炒め物なら。あとはラーメンとかうどんとか。ああ、オムライスも好物で、それは自分で作れる」
「オムライス? 子供っぽいね」
「俺は子供っぽいところがあるんだよ。煮物系はサッパリ作れない。どうも下手なんだ」
下手なんだ。言って思い返す。
料理が下手だと早和にケチをつけてきたけれど、一度だって手本にと、美味いものを作ってやったことはなかった。美味いものを食いに連れて行ったことだって、もう何年もなくなっていた。
風邪で早和が寝込んでいた時は、お粥くらいは作った。
でも、それだけだった。
早和の影がピリピリと舌に出てくる。焦げた味じゃなかった。生ゴミの味でもなかった。正真正銘、何十年も太一が馴染んできた早和の味だ。
しかし早和がどうやって作っていたのかわからない。
「私の味を好きになれない?」
「すまない。俺は大好物のものだけは、譲れない性格なんだ」
ほら、どんなに仲が良くてもこれだけは譲れないっていうものが人それぞれあるだろう。綾にもあると思う。
俺は、それが好物の料理の味なんだ。
太一は弁解する。他の料理は本当になんでも構わないのである。
だが、好物の味に違和を感じると昔から、太一はいてもたってもいられなくなるという風変わりな特質を持っていた。
小学生の頃は、給食に出た好物の料理が食べ慣れている味と少しでも違うと、それだけで半分泣きながらうろうろと教室中を歩き回ってしまうような子供だった。
脳がビリビリするのだ。この味は違うぞ、俺の知っている味じゃないぞと、ごく軽い電気ショックでも当てられたかのように、頭に痺れが走る。
同級生にはよくからかわれた。大人になって歩き回る癖は治ったけれど、歩き回りたくなる衝動は治らない。これはもう性格の一部として太一の中で受け入れるしかなかった。
「明日、もう一度だけ作らせて。好みの味に近づけるように頑張る」
「助かる。それでも駄目だったら、一緒に味付けを考えてくれるかい」
言うと綾はほっとしたような顔を浮かべる。
内心、かぼちゃごときで太一の心を手放してたまるかという気持ちもあるのだろう。
綾は太一との明るい未来を常に思い描いており、もう少しで幸せが掴めるのだという絶対的な確信があるようだった。
太一もそういう未来を待ちわびていた。早和と築いた家庭よりも心地よい安らぎを得られると思っている。
「そういえば、明後日は太一の誕生日だね。ちょうど土曜。仕事はお休みでしょう。なにかお祝いしなきゃ」
「あ、いやごめん。その日は姉がうちのマンションに来ることになってしまって」
「お姉さん、いらしたんだ」
綾は少し驚いた顔をする。隠してきた恋愛だったから、綾には家族のことを話したことがほとんどなかった。
「結婚とは縁が遠くてね」
「何歳?」
「三十八歳」
「どんな人」
興味を持ったのか綾は訊ねた。
「ずっと仕事を頑張ってきた人。会社では割と高い地位にいるらしいよ。綾に兄弟はいる」
「弟が二人。そっか。明後日は会えないんだ。残念」
「まあでも、一度くらい帰らないと。郵便受けも一杯だろうし、片付けも色々しなきゃならないから」
綾が面白くなさそうな顔をしていたので、なだめる。
「綾の誕生日は一緒に過ごそう。俺が御馳走するよ」
言うと、綾はうっすらと微笑んだ。
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