「輪ゴム」、「廊下」、そして「感傷」

 放課後、文芸部室の前の廊下。

 俺はドアを開ける手を止めて、なんとなく壁にもたれていた。


「せんぱい、部室の前で立ち尽くすの、ちょっと不審者っぽいですよ?」


「お前にだけは言われたくない」


「それは心外です! わたしは自他ともに認める“無害な部員”です!」


「“ときどき爆弾発言をする無害”なやつな」


 後輩は俺の隣に並んで、なぜか輪ゴムを手にくるくる回し始めた。


「……はいんねえの?ってか何してんの?」


「わかんないです。でもたまに無性に輪ゴム触りたくなるんですよね」


「あるか?」


「こうやって手に巻いて、伸ばしたまま記憶を引っ張ってく感じっていうか……」


「文芸部っぽい解釈きたな」


 しばらく、ふたりで無言のまま立ち尽くす。

 廊下の窓から、春の光が床を照らしていた。


「……ここ、覚えてます?」


「どこ?」


「ほら、この廊下の端。私が初めて先輩に“原稿提出遅れます”って土下座しかけた場所です」


「あー、あったな。ていうかしかけただけで済んだんだっけ」


「先輩が“床汚いぞ”って言ってくれたおかげです」


「そんなやりとり、よく覚えてるな」


「こういうのが、感傷になるんですよ」


「……最近、あんまり“最初の頃”の話しなくなりましたよね」


「まあ、それだけ“今”が忙しいってことだろ」


「それとも、“今”が当たり前になっちゃっただけかもですよ」


「……」


「でもたまには、こうして立ち止まるのも悪くないです」


「部室の前の廊下で?」


「部室の“外”だからいいんです」


「中だと、何か書かなきゃってなるからか」


「はい。ここは、“ただの居場所”でいられる場所です」


 後輩は、輪ゴムを指にかけて引っ張り、パチンと弾いた。

 でもそれは、ふざけてるというよりも、区切りの音のように感じた。


「そろそろ入りましょうか」


「……ああ」


「今日も、何か書ける気がします」


「じゃあ俺も、“昔の話”ひとつくらい、引っ張り出してみるか」


「おお、先輩の感傷回、レアですね!」


「レアかどうかは内容による」


「じゃあ、レアなやつお願いします」


 文芸部のドアを開けると、少しだけ違う空気が流れ込んだ気がした。

 輪ゴムみたいに、伸びて戻って、また繋がる——そんな午後だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る