第17話 繰り返された世界で喪われたもの

 やや時間をさかのぼる。


 14体目のテセラクトが出現する前。

 直が自室でうたた寝をしていたころである。


 次元怪獣迎撃対策課の地下秘密基地。


 その一角にある薄暗い部屋。


 デスク上のコンピュータを立ち上げ、幾重ものパスワードをものすごい勢いで解除していくのは和装の外国人。

 そしてその傍らで見守っているのは黒い猫型のロボット。


 カーネル・タンストールとエムである。


 カーネルは、腰にぶら下げた刀がキーボードの操作に邪魔くさそうだったが、それを外すことなく作業を続けていく。


 やがてモニターに『OK』の文字が現れ、いくつものウィンドウが開き情報を提示していく。


 それを見ているカーネルの表情がどんどんと変化していく。

 初めは口許に若干の笑みを浮かべていたのが、無表情を通り過ぎ、眉間にしわが刻まれる。

 ごくりと唾を呑み込みさえする。


 ウィンドウで表示される文書には『テセラクト』『大隈沙詠』といった単語、それに『対生成』『対消滅』といったような用語が多く見られる。


 カーネルはなにかに追われるように、それらに目を通していく。

 傍らのエムも、高速で両の瞳を左右に動かし文章を読み取っている――否、読み込んでいる、と言うべきか。

 それは文字どおり、表示されている内容を情報として記録しているのだった。


 すぐにエムが口を開いた。


「終了だ。証拠として充分なデータを確保した」


「カーネル・タンストールは危惧してる。やはりこれは……」


 なにかを言いかけるカーネルをエムは遮った。


「詳しい事実の把握は後回しだ。とにかく対策を打たなければ」


 カーネルは無言で頷き、コンピュータの電源を落とした。彼らは足早にその部屋を立ち去った。


 その約20分後。

 第14のテセラクト出現。

 作戦開始――そして、失敗。



         ※


 沙詠の悲鳴が直の耳をびりびりと震わせた。

 すぐに直の意識は遮断され、なにもかもが消え去った。


 ものすごく長い時間が経ったように感じたが、実際には一瞬だったのだろう。

 直は卵型の機械の座席に戻っていた。


「…………」


 呼吸が荒い。

 背中は汗でべったりと背もたれに張り付いている。

 身体の表面は燃えそうなほど熱いのに、内側は震えそうなほど寒い。


 急激に吐き気がこみ上げてくる。

 ぐっ、と呻き、直はそれを押さえ込んだ。


 代わりに席を立ち、機械を飛び出した。


 腹の辺りが異様に熱いような気がしたが、触ってみるとなんともなかった。


 状況が知りたかった。

 リリカが駆け寄ってきて声をかけてきたが、適当に返事をして部屋を飛び出し、エレベーターで下の階へ。


 ブリッジに飛び込む。


「どうなってる!?」


 ブリッジ内は騒然としていた。

 大声が飛び交い、同じ言葉が何度も繰り返されていた。


 基地半壊の状況に、初めての作戦失敗。

 混乱が起こるのも仕方のないことかもしれなかった。


 そんな中、1人剛武郎だけは無言でそれを眺めていた。


「親父……」


「ああ」


 直の呼びかけに、剛武郎は静かに応える。


「意識共有の切断がギリギリで間に合ったな。調子はどうだ? 身体に異常はないだろうが、気分が悪いんじゃないのか?」


「気分は最悪だよ」


 しかしそんな場合でもないだろう。

 それより、と直は問いかける。


「どうなったんだ? テセラクトは?」


 剛武郎は視線で注意を促す。

 それに従い、直は巨大モニターを見た。


「うっ……」


 ふたたび気持ちが悪くなる。


 テセラクトは氷漬けにされていた。

 ただし、そのほとんどはHTMの内側に入り込んでいる。

 装甲板がひび割れて、その隙間からテセラクトの体組織が染み出すように溢れている状態だ。


 完全に静止している。


「あれは?」


 まさか普通の氷ではあるまい。


「テセラクトの生命活動を一時的に停止させる、まあ薬品と言えばいいだろう。あれ自体もテセラクトから採取した成分を元にしている。もって2時間といったところだが」


「どうするんだよ?」


 あれでは沙詠も一緒に氷漬けだ。

 彼女だけを取り出すことができるだろうか?

 あるいは同時に解凍――というのかどうかは知らんが――して、テセラクトを殲滅してから助け出すか?

 しかしあの怪我では……そもそも助かるのだろうか。

 ひょっとしてもう……。


 嫌な想像を打ち払うように直は頭を振る。


 剛武郎は深刻な口調のまま言ってくる。


「それをこれから検討する。君は休んでいたまえ」


 直は言われるままにブリッジを出て行った。


         ※


 直と入れ違いに、副司令がブリッジに戻ってきた。


 彼女は、難しい顔をしている司令の横に立つと、正面の大型モニターを見つめながら呟いた。


「失敗ですね」


「ああ。まさか最後の最後でとはな」


 剛武郎は苛立たしげに答える。


「これでまた、一からやりなおしだ」


「あの子はどうするんです?」


 一方で。メガネのブリッジを押し上げながら、くすくすと笑う副司令。


「あれは――そうだな。連れて行こう。これまでにない優秀な素材だ」


「では……ここは放棄ということで」


「ああ。残念だが」


 妙な感じの会話だった。


 まるで今の事態が、やりなおしのきくものであるような。

 それどころか、これが、すでに幾度かのやりなおしを経た状態であるかのような。


 それはやはり『司令長官』と『副司令』というよりは、研究者とその助手といった雰囲気だった。


         ※


 直は自室に戻り、畳の上に倒れこむように寝そべった。

 吐き気はおさまったものの、気分は最悪だった。


 一体この状況はどういうことなのだろうか。


 これまでの作戦では、今回よりもっと危険なことがたくさんあった。

 成功することなどほとんど信じられないような、確率で言えば1%を切るような、際どいものが幾つも。

 しかしそれでも、直と沙詠はそれをこなしてきた。

 一度も失敗などなかった。


 それは、全ての作戦が確定されたものだったからだ。

 1023分の1の可能性。

 1023個の奇跡。

 決定された未来。

 定められたルートを辿っていたからこそ、テセラクトを殲滅することができた。


 それが、なんだ、今回は。


 あんなに簡単に。

 あんなに安易に。

 あんなにあっさりと。


 可能性はかき消され、

 奇跡は叩き潰された。


「…………」


 畳に寝そべっていると次第に落ち着いてきた。

 そして、こんなに早く落ち着いていることにぞっとした。


 随分と軽い。

 直はそう思う。


 そうなのだ。

 初めてテセラクトが出現したときに見た、秘密基地前に整然と並んだ1023人の大隈沙詠。

 共に作戦を遂行し、共に『奇跡』を体現した1023人の委員長。

 全員がちょっとずつ違っていて、でも全員がほぼ同じ人格を有する彼女たち。

 今回危機に陥っているのはそのうちの1人だ。


 あの大隈沙詠はたった1人だけなのに。


 今、直がいるこの部屋で、並行世界とテセラクトについての講義をした大隈沙詠。

 それが彼女だ。

 ほかの1022人――『この世界』の委員長を含めれば1023人――の委員長とははっきりと区別できる、ただ1人の大隈沙詠。


 なのに。

 まるで、1023回繰り返したゲームに初めて失敗したような感じしか、しない。


「はっ……」


 今時のゲーム世代なんて言葉が浮かんで、無意味に笑みが洩れた。


 そんなバカな話はない。

 たとえ何千回何万回虚構の世界で同じ物語を繰り返そうと、現実がリセットできるなんて思えるようになるはずがない。

 そんな戯言は、ゲームをしたことがない人間の幻想だ。


 直が繰り返したのは虚構ではない。


 直が繰り返したのは現実だ。


 テセラクト×14体。

 委員長×1023人。


 その恐るべき数のパターン化された現実が、意味を喪失させ、価値を紛失させ、感動を亡失させた。


 失われたリアリティ。


 取り戻すことなど、可能なのだろうか。


 ブビーとやかましいドアチャイムが音を立てた。

 ノックなど聞こえない分厚い扉なので、基地の各個室には、必ずこれがついている。


 直は指を鳴らし「ドアホン」と小さく告げてから応える。

 これだけで、動くことなく外の人間と会話が可能だ。


「どちらさん?」


「カーネル・タンストールは望んでる。重要な会話。ぜひ聞いてほしい」

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