第7話 蜘蛛
診察室で宴会が終わった頃に、病室の216号室の窓からこっそりと覗く顔があった。それは、セレーネーだった。さっきまで診察室で宴会をやっていたのに、月の光のパワーで、皆んなが去る前に、急いでやって来たのだ。室内でだれかが話している。
「塵と小物たちがまた、散らかっているよ」
「ホントに、掃いても掃いても埃だらけ。こんな汚部屋で、年末とクリスマスを迎えるなんてね」
シーツの上には、読みかけのマンガと、ひとつパールのネックレスなどの、小物たちの眠る花柄ポーチと、大きな手帳。村田が腕が痺れた時用の湿布や、靴下まで出しているから、枕の横でものたちが雪崩を起こしそうだ。
そこで、マンガと文庫本の陰に集まった、和服姿の女の子たち。おかしいのは、女の子たちは、背丈が大人の手のひら程の大きさしかない事だった。片方の女児は、気だるげで、片手に大きな蜘蛛をのせて、可愛がっていた。反対の指さきで、つついている。
「はーちゃん、良い子ね」
白い瞳を動かして、女児が言う。
「掃除しないと。あの、片付け上手なひと、なんて言ったっけ?」
「あの、お菓子のおばあちゃん?ぽたぽた焼きさんじゃないの?」
「あ、そうそう。そんな名前。ねぇ、彼女に頼まない?年末の大掃除」
「頼まれてくれるかなぁ。私、言いに行こうか?」
「お願いできる?
「うん、いいよ」
片方の鞠と言われた女の子は、蜘蛛をシーツの上に下ろして、「待っててね」部屋の外へと出ていこうと歩いていった。村田さんが、ぽたぽた焼きをショルダーバッグに入れて、何処かに行ってしまったからだった。
鞠ちゃんが部屋から居なくなって、すぐに窓が開いた。鍵を閉めていたのに、錠が回って開いたので、残された女の子は、びっくりして、のけぞった。セレーネーが、唇に人差し指をあてて、スルリと入ってきた。月の色に不思議な顔と、身に纏ったシルクのドレスが染まった。
唇に指をあてたまま、ベッドに忘れられた村田さんの携帯を、触る。携帯が、光に包まれる。村田さんの家の、猫ちゃんが待ち受け画面に映る。それを見たセレーネーの動きが止まった。そして次に、セレーネーは、脇でじっとしている蜘蛛の子のはーちゃんにも触れた。光が強くなる。
みるみるうちに、蜘蛛が大きくなっていき、エメラルドとクリーム色のマーブルのように輝き、口を開く。牙のような、突起が見えたが、女の子は、動けなかった。
蜘蛛が自分の身体よりも大きな携帯を、飲み込んでいく!ハッとした女の子が、叫ぶ。「やめてっ!!」
気がつくと、セレーネーの姿も、蜘蛛の子の姿も消えていた。呆然とする女の子。窓が、開いてパタパタとカーテンが揺れている。飲み込まれたと思った携帯が、床で、黒地にアップルのマークを表示している。
呆然と立ちすくむ女の子。タッチパネルのテンキーが表示される携帯電話。
「どうしたの?
村田さんが病室に帰ってきてから、携帯電話を充電器に繋いで、眠りについた。鞠は、自分の可愛がっている蜘蛛のはーちゃんを茜という少女と一緒に探していたが、その日には見つけられなかった。
昆布茶くんと、チョコの実は、床頭台のしわの寄った薄いハンカチの間に挟まって眠ることにした。ヘアピンは、その脇の、お茶の入ったコップの手前に、5色ボールペンと同じ角度で並べてもらい、藍紋瑪瑙色の石を闇に溶かして眠りにつこうとしていたが、なかなか目が冴えて眠れずに、映画のことを考えていた。『スモーク』のラストを頭の中で辿ってみる。心が満ちる気がした。
闇のなか、じゅくじゅくと、粘着質な音が微かに聞こえる。ヘアピンが、村田の眠っている辺りを振り返ると、サイドレール越しに、布団の塊りが見えた。でも、何かがおかしい。ムクムクと膨れ上がる影が、聳え立っていた。村田の頭を覗き込んでいるような形をした塊。
村田さん、と呼び掛けようと思って口を開くと、巨大な影が、音も無くジャンプして床頭台に跨ってきた。視界が真っ黒になり、鳥肌がたつ。四つの黒い目がこちらを見ている。脚が幾つもある、虫の怪物のようだ。武器が無いかと思い、足元のボールペンを掴もうと手を伸ばすと、目薬にぶつかって、丸っこいケースがカツンと床に落ちた。
その間に、伸び縮みする濡れた牙でバクリと頭を噛まれ、丸呑みされた、と思ったら意識がシャッフルされたように、いろんな物が見え始めたーー
虫の怪物が、シュンシュンと小さくなっていき、携帯電話の形になった。村田の寝息だけが、部屋に残った。
数多くの長方形、正方形。カラフルな四角のなかに、大小の円と迷子のようにのびた刺繍糸とビーズ。幾何学模様の枠のなかを、放射線状に埋めていく色とりどりの艶めく風のような糸。年末なのに、春を喜ぶ色彩のブローチのようだ。
それは、何処からきて何処まで続くのか、果てしなく直線が続く。ここは何処だろう?天井も空も無く、映像のフィルムのような帯が、縦横にせめぎ合って、高くまで伸びている。
後ろを振り向くと、チョコの実ちゃんと、昆布茶くんがいた。私のように、蜘蛛のような虫の怪物に食べられたのだろうか?びっくりして、昆布茶くんの袋の端を持ちながら、キョロキョロと周りを見渡しているチョコの実ちゃん。
昆布茶くんは、目の前の映画のフィルムのような長方形の眩しい画像に目を奪われているようだ。何百枚もの帯になった画像が違う方向に進んでいく。
綺麗な若い人の手が、刺繍している画が続くかと思ったら、今度は衰弱している子猫を保護して、日々回復していく動画になった。くしゃくしゃに汚れた子猫が、キャリーバッグのなかに入れられて保護されて、注射器でミルクを与えられ、綺麗な毛布に包まれて、徐々に元気になっていく。感情移入してしまい、つい見入ってしまう。脳裏に浮かぶ汚れた子猫。
村田さんの好きなアーティストの、米津さんという方の動画もあった。ガンダムの主題歌を挑戦中らしい。宇宙のなかで、叫ぶ少女。ネオンのごとく揺れる水面。
以前に村田さんが話してたことが蘇る。米津さんは、前に、ハチっていう名前で活動していたらしいよ。
えっ、猫のハチローくんに似てるね!そうそう。にんまり自慢げに笑う村田さんの膝の上で、耳をそばだてながら寝ているハチローくん。ぶち模様の目元が、米津さんの前髪の分け方に、ちょっとだけ似てる、、、?ハチローくんの目がギロリ。
「ヘアピンちゃんっ!!」
我にかえると、チョコの実ちゃんが私の横で、目を輝かせていた。
「すごいよ〜、これ見て!」
チョコの実ちゃんの向いている先に、淡いブルーの、鉱石の結晶のような、地になる石の上に微細な貝と、薄い習字の半紙のように映える、小さな華を埋め込んだような、宝石たちの映像が転がっている。
それもひとつだけじゃない。レースの端のアクセサリートレイに乗っているのは、ビジュー風バレッタと、三角バンスクリップと、大きめの丸いヘアゴムと、煌びやかないろいろ。
「ま、負けた・・・っ!」
思わずこぼした本音。目に見えて、手の込んだ逸品たち。私の身体の石は、濃い色味の天然石ではあるが、ここまでクリエイターのこだわりを秘めてはいないんじゃないか。目の前の華やかな品々には、細かいドライフラワーが石の表面に輝いている。
不思議そうな顔をしているチョコの実ちゃんの横でうずくまる。すると、ヘアアクセサリーの映像の横に、hina_kandaという文字が透明な立て札に書かれているのに気がついた。ヒナ、カンダさん、、、?誰だっけ。。?
即座に、頭の中で、冬布団の中でもぞもぞしている村田さんの姿が浮かんだ。そうか、「村田さんの大学の頃の同級生だ!!」
声に出して言うと、チョコの実ちゃんと、昆布茶くんが、キョトンとしている。
その映像のフィルムの帯をたどると、ブルー系・レジンと書かれた動画が目に止まった。青色×ハート、アクセサリー。縁取りされた、大人っぽい緩やかなハートに、小さなパールが埋め込まれている。そして、これでもかとドライフラワーが夕闇の花火のように咲いていて。
どうやら、同級生の友人の作った作品たちのようだ。その緩やかなハート形のチャームが、「あら、貴方、瑪瑙の石じゃない?素敵ね」と、私に言った。
「貴方に言われると、恥ずかしいです、、、」
ヘアピンちゃんは、赤くなった。
「あの、看板にあるhina_kandaさんって、貴方の持ち主さんですか?」
「そうよ。私を作った人。私のこと、こころちゃんって呼んでくれる?アハハ!こっちは、コロンくんよ」
ハートのチャームは、自分の横の、カップ型のアクセサリートレイを指差した。
「どうも有難う」
カップを縦に半分にした形のトレイが言った。たしかにコロンとしている。
「私たち、なんだか迷子になってしまったみたいなんですが、ここは何処なんでしょうか?」
「迷子??ここは、Instagramのなかよ。知らなかった?」
Instagram・・・。私は、チョコの実ちゃんの方を見た。
「そんなぁ。さっきまで、病院の部屋にいたのに!?」泣き出しそうな、チョコの実ちゃん。昆布茶くんは、「ここから出る方法はありますか?」と聞いた。
「それはどうかしら。私の本体は、携帯の外にあるから。ここは、携帯の内側よ」
今度はコロンくんが、話しだした。
「僕は、本体だよ。映像から出られるんだ」
こころちゃんが映っている映像から、コロンくんが抜け出た。わずかに横にぴょんと飛んでみせたようだった。えっ、行っちゃうの?という表情で、こころちゃんがコロンくんを見る。
「あの、私たち、蜘蛛の怪獣に食べられて、ここに来たみたいなの!」
私が言うと、こっちに来たコロンくんが、腕組みして考え込んだようすだった。
「怪獣?うーむ。よく分からないけど、携帯の影を追ってみたら、帰る道が見つかるかもしれないよ」
「影って?」
昆布茶くんが尋ねた。コロンくんは、上を指差した。すると、さっきまで見えなかった水色の薄い四角い影が、空中の高いところで浮かんだまま、消えた。
どうやら、誰かが映像のフィルムを上から覗いていたようだった。それが一瞬で遮断されて、影が消えたように見えた。
「さっきの窓みたいなのから、蜘蛛の怪獣が覗いているのかな?」
昆布茶くんが呟いたのを聞いて、コロンくんが、
「君たちの、持ち主さんは?誰なの?」と聞いた。
私は、四角い影のあったところを眺めてから、コロンくんの方を向いた。
「村田さんだよ。入院してるの」と答える。その瞬間、コロンくんの表情が止まった。凍り付いたようにも見える。
「どうしたの?」こころちゃんが、映像のなかから、心配そうに聞いた。
昆布茶くんがなにか言いかけて、コロンくんの声がそれを遮った。
「村田さん、ですね。今ごろ探しているんじゃないですか?」
「そうかもしれないですね」
言いながら私は、さっきの表情の意味がわからなくて、コロンくんをじっと見つめる。
携帯の影を探して、上の方を向いていると、ハチミツ色の四角い影が見えた。スルスルと、移動して、時折りパシャッと光っている。
「あっ!あったよ!」私が叫ぶと、「待って〜!」と、チョコの実ちゃんが走りだした。携帯の光が斜めに落ちているフィルムの上に駆け出していく。
パリパリっと音がして、アクセサリーの映像のなかに、チョコの実ちゃんが入っていく。チョコをコーティングしているパイ生地が少し剥がれて、三角バンスクリップに降りかかった。ハチミツ色の光に照らされて、クリップがバターのように白く光った。
驚いた三角バンスクリップが、ワニのように、パカりんと口を開ける。
昆布茶くんが、「村田さんの携帯ですか!?」と、光に向かって叫ぶ。聞こえなかったのか、携帯の光源は、そそくさとフィルムの先に進んでいく。チョコの実ちゃんは、小さな手脚をクリップに挟まれて、バタバタしている。
何もない天井の方で、ピコンと音が聞こえた。ハチミツ色の光が、緑色に変わる。ポコんと、文字が現れた。
『誕生日プレゼント、何か欲しいものありますか?母より』
何かを打ちこむようなカーソルが、上空で点滅している。たどたどしく、文字が入力されていく。
『ダイソーの、ウッドスタンプと、ミニシールの冊子と、方眼メモふせんと、たくさんあるので、ちょっとだけ買ってもらってもいいですか?(>人<;)』
昆布茶くんが、三角バンスクリップの映像の中に入って、クリップに謝りながら、挟まれていたチョコの実の身体を助けだしていた。ありがとう〜!と言うチョコの実ちゃん。ポコんとメッセージが届く。
『ところで、ブタローくん昨日、母の枕を激しくバリバリして、もうボロボロになってます(^_^;)』
『ハチローくん、可愛いですね!ハチローくんなら許してしまいますね^ - ^』
『それから、時々母の、ひもの付いた小さな枕でも遊んでいますよ。母は寝ているのに、』
『遊びのてんさいですね!(^^)』
『そして最近では、メガネでも遊ぼうとします!母のは安いけど、お兄ちゃんのメガネがまた壊れたらと、用心しています( ; ; )』
『遊びのてんさいですね!かしこい猫のしるしですね』
これって、疲れてひらがな表記になってる村田さんでは?
チョコの実ちゃんの意見を聞こうと、私は2人に歩み寄る。「チョコの実ちゃん、大丈夫?」「ちょっとだけ、脚をくじいちゃった、」「無茶するから・・・」昆布茶くんが、肩を貸している。
2人に、「なんか、メールしているみたいなの。あれ、見て!」と伝えると、くちを開けて、2人が上を向いた。コロンくんも静かに見上げる。少し読んだだけで、チョコの実ちゃんが叫ぶ。
「村田さ〜〜〜んッ!!」
カーソルが、ハチローくんの文字の横でちかちかとシグナルを出し、人知れず村田さんの家で寝ているハチローくんのまぶたと、とかげ座のアーモンドちゃんの静けさに、小さな瞬きを訪れさせた。
蜘蛛の子のはーちゃんは、自分の身体に起こった異常にただ戸惑っていたが、バッテリー液が低残量になるまでは、携帯の振りをして働いて、機会を伺ってから鞠のもとに帰ろうと考えていた。
鞠は、身の回りにはーちゃんがいるのに、細い棚の隙間や、ベッドの下を眺めては、ため息を吐いた。村田さんが携帯を充電器に繋げて、メールするのを、羨ましく思いながら眠りについた。
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