実家と川上之嘆 2
「親父、入るぞ」
返事を待たずに須川は部屋の中に押し入った。この部屋は改築されてあるんだろうか。今までの家の雰囲気にそぐわない内装をしている。フローリングの床に濃い紺色のカーペットが敷かれ、壁際の本棚には背表紙の禿げた古い本とファイルがびっしり詰められていた。部屋の中央で椅子に座り、頑強を掛け書類に目を通していた男は顔を上げた。
「返事くらい、待ってから入ってこい」
部屋の空気が、随分冷たく感じた。男の深い沼のような目が須川と矢至達に向けられている。眉根を寄せ睨むような須川の目つきと違い、感情が全く感じ取れない、研ぎ澄まされた刃物のような視線。その視線に、矢至はたじろいだ。
「後ろのそいつが特例の若造か。祟化の兆候は未だ見せてないのか」
「卵を吐き出して以降全くだ。雑用係として真面目に働いてるよ。敬語はままならねえみたいだがな」
矢至は気まずく視線を彷徨わせてから頭を下げた。頭を上げたらあの男と目が合ってしまう気がしてしばらくそうしていたが、須川に襟を掴まれ無理矢理起こされる。予想通り光のない男の目が合い、胃が引き攣る感覚がした。
「もう一人のは祟化事案の対象が獣だった時の対応局員だ。親父から送られてきた資料が山の中だったから連れてきた」
「お初めに掛かります、
鹿倉は恭しく頭を下げた。型式に沿ったお辞儀の仕方に、矢至は首をひねる。
「随分礼儀正しくするんだな……」
「矢至君この方は、
矢至はまた慌てて頭を下げる羽目になった。そしてまた襟を掴まれ起こされる。今度は何で事前に言わなかったんだという抗議の意を伴って須川を睨み付けた。須川はその視線を無視して男と向き合った。
「祟化の痕跡はどこで見つかったんだ」
「痕跡はない。山菜採りの爺さんが、怪しい肉を山で食べている人間を見かけたという話も持ってきた。場所は裏山。なにを考えてかそいつは定期的に裏山に足を踏み入れている」
「は? ちょっと待て、なんでそこまでわかってる」
「調べ上げたからな」
「なら俺を呼びつける前にさっさと病院に連れてくべきだろ」
「その必要があると思ったんだ」
「意味が分かんねえ……」
須川があからさまに苛立ち始め声を荒げる。様子の変化に戸惑っていると、鹿倉が矢至に身を寄せ須川親子に聞こえないように説明し始めた。
「あの口ぶり、遺骸を食べた人間が誰か分かった上でわざと泳がせています」
「なんでそんなこと……」
「それをこれから問い詰めるんでしょうねえ」
桐一に詰め寄る須川の目は血走っていて、今にも花瓶で頭を叩き割りそうだ。しかし桐一は対称的に不気味な程落ち着きを払っている。
「最近、この辺りの人間ではない、ある男の目撃情報が出ている。汚いキャップを被った長身の男だ。覚えがあるだろ」
「例の男か……!?」
「もちろん外見的特徴だけで判断したわけじゃない。その男の目撃情報があったのも例の裏山だ。恐らく裏山を彷徨いていた人間に遺骸を渡し食わせ、祟化してしばらくすれば殺すつもりなんだろう」
矢至は目を見開いた。その男の目撃情報は遊垣旅館でも出ている。矢至達が旅館に駆けつけていなければ、咲湧も殺されていたのかもしれないということだ。
須川は桐一を睨み付けた。
「おい、まさかとは思うが囮にしてるわけじゃねえよな」
「……確保を急がなければ死人が増える。なら多少危険を冒す必要もあるだろ」
「正気かよ」
須川が机を叩いた。修羅場だ。息をして良いのかも分からない空気感に矢至は胃を押えた。
一瞬、桐一の視線が矢至に向いたが、沼のような目はすぐに須川へと戻った。
「正気じゃないのはお前もだろう。死体遺棄事件に関しては警察の管轄のはずだ。それを独自に追っているな」
「独自……?」
矢至は呆然と呟く。
事件に関わりのある男を追っているとは聞いていたが、それは組織の人間として、仕事として追っていると思っていたからだ。見かねたのか、鹿倉が言葉を付け足してきた。
「矢至君、件の被害者は全員祟化した人間ですが、あくまでも殺人、もしくは死体遺棄事件。犯人によって祟化されたという物理的証拠が出たなら別ですが、そうでない以上は管轄は警察なんですよ」
「じゃあ、なんで須川さんは……」
「診鶴、お前話してないことが多いな」
桐一は呆れたようなため息をする。刃物のような男の、人間らしい部分を初めて見た。
「食事も布団も用意するから、今晩は泊まってけ」
「だが遺骸を食った人間が彷徨いてるんだろ」
「監視役を複数人付けている。まだ一度も祟化の兆候を見せてないから今日明日どうこうなる話じゃない」
須川は苦虫を噛み潰したような顔をしながら振り返る。唖然としている矢至の表情を見て何を思ったのか、苦しげに眉を下げた。桐一は額を掻いた。
「腹割って話せよ」
仏間に置かれたテーブルに筑前煮や肉じゃがが置かれていく。最後に置かれたのは白菜とゴボウと豚肉の浮かんだ蕎麦だった。矢至は天井付近に並べられた、似た顔つきが並ぶ遺影の数々を見上げる。部屋の端には仏壇もあった。
ここで食事をして寝泊まりしなきゃならないらしい。嫌ではないが少しも気にならないほど無神経というわけでもない。
「他の部屋物置状態になってて、使えそうな場所がここしかないのよ。ごめんなさいね」
「いえ、ありがとうございます。お食事も頂きますね」
鹿倉が平然と礼を言うと、楓は仏間から去っていた。込み入った話もあるだろうからと須川達だけが仏間に残される。
鹿倉は席につき、箸を並べ始めた。矢至も席につき飲み物を注いでいく。
「お前は違う部屋じゃねえのかよ?」
「食事の時まで部屋を分けることないじゃないですか。それに須川さんの説明に不足があってもいけないので。それで、矢至君はまず何から知りたいですか」
鹿倉は聞くだけ聞いて蕎麦に息を吹きかけて麺を啜り始めた。各々が各自のペースで食事を初めて行く。
「何からって、何が分かってないのかも分からないんだが」
「算数が苦手な子供みたいですね」
「そこまでガキ扱いしてくれるなよ……」
矢至も食事に手を付けながら反論した。蕎麦のつゆに豚肉の脂が浮いていている。久しぶりに誰かの手料理を食べた気がした。
「まずはこの家についてからだ。薄ら思ってたんだが、あんた管理局のことや祟化事案のことは教えてくれるのに自分の役割についてはほとんど教えてくれなかったな」
「だから、お前に話すのもおかしな話だと思ったんだよ」
「……確かに俺は須川さんに安楽処置される可能性だってあるかもしれない。分かってるけど、気遣いで距離を置かれたところで俺はありがたくもなんともねえよ」
「……分かった。すまなかった」
須川は申し訳なさそうに額を掻くと、茶を飲んだ。まだ食事には手を付けていない。話が終わるまで何か食べる気にはならないんだろう。
「とりあえずこの家のことを話すが、古い家だ。祟化した人間の対処を行なうようになった初めは鎌倉の頃まで遡る」
「……何年ぐらい前だ」
「大雑把に数えて七百年前の話だ。イヌワシの遺骸を口にして祟化し、人間を襲っていた人間を殺したのがきっかけで役目を与えられるようになった」
矢至は箸から傍の麺を落とした。
「七百……!? そんな前からあったのかよ」
「ああ。昔は今より情報網も交通の便も悪かったし、肉食、そして神使と呼ばれる者を口にすることへの忌避感は今よりずっと強かったから、一族だけで対処が出来てたんだ」
「管理局が設立されたのは結構最近の話なんですよ。それまで祟化の対処を須川家のみで行なっていましたが、件数が増えてくるに連れて手が回らなくなり、専門の機関が設立されました。須川家はそれ以降も管理局内で祟化事案の対処局員として働いています」
鹿倉は肉じゃがをの豚肉を頬張りながら説明を付け加えた。歴史の授業が始まったかのような感覚を矢至は頭痛を覚え、頭を押える。出来ればあまり頭を使うようなことはしたくない。
「見かけたことないけど、管理局にはあんた意外の須川家の人間もいたのか」
「いないと言っても変わりない人数だ。俺の曾祖父の代の時に一族は仕事を選べるようになったんだが、そこからどんどん人が離れていった」
襖の向こうからは物音が聞こえない。須川夫妻は遠くの部屋にいて物音が聞こえないだけかも知れないが、そうだとしても家の中には寂しげな雰囲気が漂っていた。天井付近に並ぶ遺影の誰かが曾祖父なんだろうが、現状をどう思ってるんだろうか。矢至には全く想像出来なかった。
「一つ付け加えると、管理局が出来てからも人間の祟化事案のほとんどは須川家が行なってきました。主な理由は須川家の持つ技です」
「技?」
「ええ。須川さん、気は向かないかも知れませんがジャケットの内側を見せて下さい」
ジャケットのボタンが渋々外されていく。シャツにはホルスターが巻き付けられていて、須川に対する重しのような銃もそこにあった。
「これのことか。ここまできたら話さないのも変な話だな」
須川は一瞬だけ端の方にある仏壇に顔を向けた。よく見ると仏壇の扉には水の上に浮かぶ百合の花が描かれている。どこかで見た模様だ。矢至は須川が以前腕に巻き付けた腕章を思い出した。家紋のようだと思ったが、あの感覚は合っていたらしい。
「安楽処置に使われるこの銃には弾が込められていない。空気圧で銃内部の突起物が押し出され、また戻る。安楽処置を行なう際は脳の中でも特に急所のところを破壊するようにこれを撃つことによって、一瞬で頭蓋骨と脳は破壊され事切れるんだ」
「祟化している対象に近づく体術と、的確に打額を行なう技量と覚悟。須川家の人間はこの訓練を積んできているんです」
「危険、だよな」
「ああ、至近距離まで近づかなきゃいけないから負傷率は高い。それでもこの方法なら確実に苦痛を最小限にとどめられる」
須川はジャケットのボタンを留めた。ショルダーホルスターに収められていた銃の意味を知った矢至は呆気に取られそうになっていた。
息を吸うと、畳と食事の匂いが鼻腔に入り込んでくる。
「それで、だ。ここからは俺が死体遺棄事件の犯人を追っている理由になる」
「それは、私も知りませんでしたね。席を外しましょうか?」
「いや、話したくないわけじゃない。座って飯食いながら聞いてくれれば良い」
「そうですか」
テーブルに置かれた蕎麦が入っていた器は、須川の物を除いてほとんど空になっていた。鹿倉は変わりに湯呑みからお茶を啜り始める。
須川は襖を開けた。すぐそこが縁側になっている。須川は縁側の縁に座り煙草を取り出すと火を付けた。外は小雨とも言えないような霧のような雨が静かに降っていた。
「俺には姉がいた。姉貴は、今の俺と同じように祟化の対処を行なっていたんだ」
「姉って……」
矢至はそこで言葉を止めた。遊垣旅館で姉の話をしていた須川の表情を思い出したからだ。須川は矢至の意図を察してか、僅かに苦笑した。
「お前が思っている通り、姉貴はある日突然、遺書を残して消えた。次に見つかったのが山の中だ。首から下は全て骨になっていた。周りには祟化の痕跡も残ってたよ」
「死体遺棄事件と同じ特徴だよな……」
「ああ。姉貴が初めての被害者だ。そこから定期的に似たような事件が起きていて、近年はペースが速まっている。その連鎖を、俺は止めたい」
須川は煙草の火を消すと、襖を閉めて食卓についた。冷えた空気が余韻のように残っている。
「私情でお前をわざわざ危険に近づける真似はしたくない。俺が山に入っている間、ここで待ってても良い」
「冗談言うなよ」
矢至の掠れた声に、須川は目を見開いた。
「俺はここに来るまで、自分のためだけに目的も理由も分からない違法ギリギリのことを頼まれてやって来た。禄でもない人間だ。今だって、他人を守るためってのを理由にして動けるのか分からない。でも前みたいになるのは嫌なんだ。だから、助けられる人間は助けたい。道理の叶った人間になりたい」
矢至は須川をまっすぐ見据えた。
「理由も目的も知らないまま付いていったり、世話になった人間をここで突き放してたら俺は前と同じままだろ」
須川はまるで眩しい物でも見るみたいに目を細めていた。
「管理局の仕事とあんたの姉貴を殺した犯人確保、両方手伝わせてくれ」
「良いのか。危険な目に遭うかもしれないんだぞ」
「それでも目を逸らさないでいたら一人前ってことだろ」
「変わりましたね。病院のベットで祟化に怯えていたのが嘘みたいです」
「……それはまだ怖いんだが」
短いため息を須川はついた。縁側から部屋に戻ってくると、箸を持って蕎麦を啜っていく。あっという間に器は空になった。
「早食いだな、犬かよ」
「もたもたしてられないからな。今日はとっとと休んで、明日早朝に山へ向かうぞ。親父の考えている囮を使う方法は合理に叶ってるんだろうが気に食わねえ。山を散策して、俺達で遺骸を食った人間を保護する。例の男もとっ捕まえられれば万々歳だ」
須川の言葉に、鹿倉も頷いた。
「私も仕事して手伝いますよ。例の男、遊垣旅館の証言が本当なら殺人以外にも祟化の要因をばらまいていいますからね。管理局員として動く理由には十分すぎます」
「決まったな。矢至も寝坊すんなよ、起きなかったら叩き起こすからな」
「それはいいけど、今から向かうわけにはいかないのか。何か証拠とかあるかもしれないだろ?」
「裏山はガキの頃何度も入ったが、夜に向かう場所じゃねえよ。山道が狭いうえに斜面が急で少し足を踏み外したら滑落する所だってある。今日はさっさと寝るしかねえな」
鹿倉は宿泊の場所として与えられていた自分の部屋へと戻っていき、須川はテーブルと食器類を片付け始める。元の調子に戻った須川を見て、矢至は密かに胸を撫で下ろした。
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