二話 屋敷の住人
こぽぽぽ、とティーカップに紅茶が注がれていく。
ふわりと湯気が立ち、落ち着く香りが広がった。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「……どうも」
ホールの長机についたルーカスとエマは、さっきまで首を吊っていた老人からお茶を振る舞われていた。
机の燭台に火が灯されて三人の姿を照らし出している。
あの後、老人はひょいとロープを外して降りてきた。
よく見るとその足元には脚立があった。浮いていたというか上に乗っていただけのようだ。
老人は「何のお構いもできませんがどうかお茶だけでも」と二人を席につかせ、今こんな状況になっている。
「すみません。勝手に入ってきたのに、こんなお茶まで振る舞っていただいて」
「いえいえ、廃墟と間違えて入ってくる方はよくおられますので」
「いやもう本当にすみません……」
朗らかに笑う執事にルーカスは平謝りする横で、エマは緊張した面持ちで執事を凝視している。
「ひとまずお茶をどうぞ。冷めてもいけませんから」
「あ、はい。……紅茶なんて飲むの初めてだなぁ」
ルーカスはそっとお茶を口にする。
その瞬間にカッと目を見開いた。
「うわ美味しい!?」
「お口にあいましたか」
「あなた警戒心とか無いの……?」
エマが信じられないという顔でルーカスを見てくる。
「え、でも本当に美味しいですよ。匂いだけでも嗅いでみてください」
「いらないわよ」
「まあまあ」
「いらないって!」
ぐいぐいと紅茶を押しつけられてエマがきっとルーカスを睨む。
「いい加減に――」
その時、ぐぅぅ、と差し出された紅茶の香りにエマのお腹が鳴った。
机の下でガンッと鈍い音が響く。
紅茶をこぼさないようルーカスは静かに足の痛みをこらえる。
「だ、大丈夫ですか?」
「は、はい。あの、それと図々しくて申し訳ないんですが……お茶と一緒にご飯も食べていいですかね?」
「それはかまいませんが……」
「ありがとうございます!」
痛みから立ち直ったルーカスはいそいそと鞄をひっくり返す。するとどさどさと新聞紙に包まれた食べ物が机に積みあがっていった。
明らかに多い量にエマは怪訝な顔をする。
「買いすぎじゃない? 全部一人で食べるつもりだったの?」
「いやぁ、同僚や先輩にいつも足りないもの取ってこいって頼まれてたんで、鞄が重くないと落ち着かなくて」
「……使用人の使用人」
「なんか今凄いヤなこと言いませんでした!? あ、執事さんもどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
サンドイッチを渡された執事は戸惑いながら受け取る。
そうして食事が始まった。
「それで……一つ、というかいくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
いくつかの包み紙を空にしてから、エマが執事に話を向ける。
執事はサンドイッチを飲み込んで「はい」と応じた。
エマは執事へと向き直り頭を下げる。
「まず、屋敷へ勝手に入ってごめんなさい」
「すみませんでした」
「いえいえ。先ほども申しました通り廃墟同然ですので。間違えて入ってこられる旅の方はたまにおられますし……ただ、一つこちらからお聞きしたいことが」
苦笑していた執事がふとエマの顔をじっと見る。その視線へ怯えるようにエマは仰け反る。
「どこかでお会いしたことはございませんか?」
エマは怪訝そうに首を横に振った。
「いいえ。きっとない、と思うけれど」
「そうですか……だがよく似て……ああ、それで聞きたいこととはなんでしょうか」
ぼそぼそと何かを呟いていた執事が話を戻す。
「え、えぇと。そうね、まずなんであなたは首を吊っていたの?」
「ああ、それは……単なる失敗といいますか。あちらをご覧ください」
恥ずかしそうに苦笑しながら執事が手で示すのは、執事を見つけた場所。
その天井にルーカスの頭が入る程の穴が開いている。
「先ほどはあの穴を補修しようとしていたんです。ただ手元が狂い、命綱のロープが変に首に巻きついてしまって」
「白目を剥いていたのは?」
「ちょっと寝不足でしてね。縄が巻きついた時のひやりとした気持ちよさで眠っていました」
それは気絶したというんじゃなかろうか、とルーカスは冷汗を流す。
「補修ということは、あなたはこの屋敷の使用人?」
「ああ、申し遅れました。わたくしは当屋敷の執事(バトラー)でございます」
立ち上がり、胸に手を当てて執事がお辞儀をした。
「ああ、掃除が行き届いてたのは執事さんがやってたからですか」
変な納得をするルーカスにエマはジト目を向け、質問を続ける。
「執事がいるなら、ここには主人もいるということ? 町ではもう誰も住んでいないし近寄らないと聞いたけれど」
「町の噂はほとんど正しいですね。誰かが近寄ってくることはなく、住んでいるのもわたくし一人ですから」
「ということは、ここは別荘なんですか? シーズン以外では使われないとか?」
「いいえ。……この屋敷はね、もうずっと前に放棄されているんです」
執事はふっと視線を下げる。
「この辺りで疫病が流行ったことがある、というのはご存知ですか?」
ルーカスは首を横に振った。町について僅かしか経っていないとはいえ、少しもそんな話は聞いたことが無い。
エマも同様のようだ。
「かなり前の話ですが、かかると酷い嘔吐や下痢を起こし、数日程で死に至るという病が町中に蔓延したのです。この辺りの領主であるわたくしの主人一家もそれにかかってしまわれて……あの時は屋敷中が酷い有様でした。そして当時は治療のめども立たず、一家諸共に亡くなってしまわれたのです」
「そんなことが……」
「ただ旦那様は亡くなられる前、わたくしに命じました」
『どうかこの屋敷の全てを守って欲しい』
「……しかし力及ばず、旦那様が亡くなられてからすぐに奥様や坊ちゃまも疫病の魔の手にかかり……」
当時の無念を思い返したのか執事は強く目をつむる。
「他の使用人達は町から避難するか発症するかでどんどん人は少なくなっていきました。そして一家が亡くなったことで残っていた者達も屋敷を離れ……わたくしだけが、旦那様の命を果たすためここに残ったというわけです」
「でも土地の所有権はどうなっているの? 主人どころか一家そのものが亡くなったなら、国に返還されるのが普通だと思うけど」
「旦那様はもしも家族まで死亡した場合はわたくしに土地を譲る、という遺言をのこされました。管理するための財産も一緒にです」
「そ……れは」
どれほど頼りにしていようとも使用人の身分に財産を残すなど。
エマはその行動に絶句し、ルーカスですら目を丸くする。
「驚きますよね。当時のわたくしも少しどころでなく怪訝に思いました」
「あの、どうしてそこまで屋敷を残そうと……?」
「旦那様にとっては、先祖の代から何百年と受け継いできた土地であり——屋敷ですから」
微笑んだ執事。
同時にかたん、とルーカスの隣から小さな音が響いた。
見ればエマが俯いていた。僅かに体が震えているように見える。
執事はそれに気づかないのかそのまま話を締めくくりに入る。
「旦那様は自身の代でここを破棄するなど耐えられない、と考えたのだと思います」
「領主として、貴族としてのプライド……っていうこと?」
口を開いた時、エマは顔を上げて平然とした様子だった。さっきの反応を疑問に思いながらルーカスは話に乗っかることにした。
「でも屋敷だけが残ったとしてそれでよかったんでしょうか。疫病が流行ってる中で執事さんも屋敷に留まらなきゃいけないんでしょう?」
納得のいかなそうなルーカスに執事は苦笑する。
「わたくしは望んで残りましたので。それに旦那様が遺書をのこされたのはお亡くなりになる前日でした。意識が朦朧としていたのかもしれません。……しかし、それでも主人からの言いつけです。わたくしは財産をどうにか活用しつつ、ここの管理をしてきたのですが……最近は少しずつ屋敷もガタが来ていまして」
執事の言葉にルーカスはホールを見回してみる。
燭台によって照らし出されたホールにはやはり埃一つない。執事によって清掃されているのだろう。
隅々まで細かくは見えないが問題があるようには見えなかった。
「綺麗に見えますが……」
「表面上はどうにか整えていますが、やはり老朽化は隠せません。あの天井の穴ができたのも板が腐って剥げてしまったからなのです。それ以外に侵入してきた者達によって荒らされることもしばしば……」
ため息をつかれてルーカスが申し訳なくなる。
「いやほんとにすみません」
「ああいえ! お二人には全く乱暴さなどありませんし! というか暗い話をしてしまいましたね」
申し訳ないと謝り執事は笑顔を作った。
「そちらのお話もお聞きしたいですね。ルーカス様とエマ様はどうしてこのような屋敷にいらっしゃったんでしょう? 観光ではないでしょうが」
話を変えようとしているのを悟りルーカスは自分から口を開く。
一瞬だけ浮かんだ、名乗ってたっけという疑問はその時点で流された。
「えぇと、俺はちょっと勤め先から追われてまして」
空気を明るくしようと、少しふざけてルーカスはここに逃げてきた理由を語る。
元は貴族のもとに勤めていたこと。
金庫番をしている時にお金が盗まれたこと。
盗んだ犯人だと疑われ捕まりそうになったことなど。
話し終えた後、最後に残ったクッキーをかじりながらエマが感想を口にする。
「それ、他の使用人に罪を擦りつけられたんじゃないの?」
「えっ」
「あるいはその主人か奥方が使い込んだのを誤魔化すために擦りつけたかですね」
「あれっ!? なんか思ってた反応と違う!」
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