灼熱の夜に交わった二つの人生は輝きを求めて
穂村大樹(ほむら だいじゅ)
第1話 失意の夜に響く歌声
昭和レトロな雰囲気の中で、俺の耳に聞こえてくるのは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。
周囲を見渡しても暗い表情の人間なんて一人も存在していないし、こんな賑やかな場所に、俺のような暗い表情をした人間は似つかわしくはない。
世界に取り残されたような、そんな感覚に苛まれる。
やはり、俺はこの場にいるべき人間ではない。
そう思い席を立とうとしたそのとき----。
どこからともなく聞こえてきた歌声が、俺の耳に届いた。
周囲の喧騒はあい変わらず鳴り響いている。
けれど、その圧倒的な歌声は、その喧騒をかき消して、俺の耳を通り越し、頭の中で直接再生されているのではないかと思うほど、確かに俺の頭の中を支配した。
その歌声の持ち主を目にした俺は、思わずこう溢してしまったんだ。
「…………天使だ」
◆◇
彼女と付き合って三年目の記念日。
そんな記念の日に、俺はプロポーズをしようと決意し、彼女に隠れてこっそりと購入していた婚約指輪をポケットに忍ばせていた。
この指輪を渡したら、彼女はどんな表情を見せてくれるだろうか。
喜んで抱きついてくるだろうか、その場にしゃがみ込み涙を流すだろうか、意外とあっさりと受け入れてくれるのだろうか--。
そんな想像を膨らませながら、予定より早く仕事が終わった俺は、大切な彼女と幸せな一日を過ごすため、急ぎ足で自宅へと向かっていた。
これまで彼女と付き合ってきた三年間は間違いなく幸せで、この先、今以上に幸せになることを信じて疑わなかった。
----そんな俺が今いるこの場所は、真夏のコンクリートジャングルに現れたオアシス、とは言っても野外なので灼熱地獄ではあるのだが、デパートの屋上に位置している、昭和レトロな雰囲気の漂うビアガーデンだ。
--俺はプロポーズに失敗したのだ。
いや、正確にはプロポーズすることさえできなかった。
俺が帰宅すると、俺たちの愛の巣で、彼女が見知らぬ男と体を重ねていた。
俺は浮気されていたのだ。
そんな衝撃的な場面を目の当たりにした俺は、逃げるようにしてこのビアガーデンにやってきた。
プロポーズをしようと思っていた彼女に浮気をされていたのだから、怒り心頭で怒鳴り散らかしてもおかしくないというのに、意外にも怒りの感情は浮かばず、俺の心を埋め尽くしたのは失意だった。
二十二歳になって、人生で初めてできた彼女。
そんな彼女を幸せにするために、友達との遊びは全て断り彼女との遊びを優先した。
彼女が嫌がるから、人生を賭けてやっていたアイドルオタクも卒業して、大好きだったアイドルのグッズも全て捨てた。
そして、二十五歳になる年には結婚したいという彼女の願いを叶えるため、僕は三年目の記念日にプロポーズをすることにしたんだ。
それなのに、全てを捨てて尽くしてきた彼女が、無惨にも捨て去ったのは俺だったのだから、なんとも皮肉なものである。
そんなことを思っているつもりは無いが、彼女に裏切られ全てを失った俺は、少しでも賑やかな場所に行きたいと思いビアガーデンにやってきたのかもしれない。
一人でいると、失意に押しつぶされそうな気がしていたから。
しかし、その賑やかさが仇となる。
ビールを五杯ほど胃袋に流し込んだ俺は、実感してしまった。
(あぁ……。俺は一人になったのか)
周囲は大勢で卓を囲み、嬉々とした表情でビールを飲み干している。
それなのに俺は、一人で、淡々とビールを胃袋に流し込んでいる。
酔うと蓋をしていた感情が表に出てきてしまうな……。
これまで堰き止めていたものが溢れ出し、涙が止まらなくなった。
こんな場所にいても悲しいだけだ。もうこの場を離れよう。
そう思ったそのとき--ーー。
頭の中で直接再生されているのではないかと思うほどの歌声が、突如として俺の頭の中を支配した。
これは一体誰の歌声かと、音のする方向に視線を向けた俺は、自分でも気付かぬうちにこんな言葉をこぼしていた。
「…………天使だ」
それからしばらくは、あまりの衝撃に席を立つことができず彼女の歌を聞き入っていた俺だったが、その歌をもっとそばで、もっと近くで聞きたいと思い、花に引き寄せられる蜜蜂のように、ふらふらっと、彼女に吸い込まれるようにして、ステージの前に立っていた。
※この作品は「わたしのアイドル」コンテスト参加作品です。
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