8話 同じ痛み、違う傷
※残酷描写あり
「この施療院で怪我人や病人を診てるんだが、ちょっとややこしくてな…あんたには、その診察と治療を手伝ってほしい」
アルは苦い表情で先を歩き、施療院のドアを開ける。
施療院は教会に併設された病院だ。礼拝堂の長椅子には労働者たちが座り、修道士が軽傷の手当をしている。
左右の扉の先には病棟が続いているようだ。
彼らに軽く手を挙げながら、アルはふたりを伴って左の棟へ向かう。
「でもあたし、さすがに医療のほうは素人よ? 手伝えるかな…」
エミリーが少し不安げにそう言うと、隣のアッシュが少し困った顔で答えた。
「治療のほうは、看護修道会から応援が来てるから大丈夫。問題はそれより前の段階っていうか…。」
「どういうこと?」
疑問符だらけのエミリーに向き直って、アルが真っ直ぐにこちらを見る。
「こっちの棟の患者は、工場婦や娼婦たちだ。
そのなかに男じゃダメなやつも多いし、医者ですら拒否するやつもいる。あんたでもダメかもしれねぇ。
……そういう女たちの相手、する覚悟あるか?」
その真剣な目と言葉の重さに、エミリーは思わず固唾を飲む。恐らく、かなり悲惨な状況なのだろう。
強張るエミリーの表情を見て、アルとアッシュが声をかける。
「…無理強いはしない。ここで帰るって言っても、責めもしない」
「…エミリーは、どうしたい?」
アッシュとアルの視線を受けながら、エミリーは先ほどの泥攫いのヒバリたちとのやり取りを思い出す。
彼らとはたまたまうまくいっただけだ。きっと、女であっても貴族であるエミリーは、彼女たちにとっては敵の仲間のようなものだろう。傷つけるだけなのではないか。
(でも、だからこそ、この社会を変えるには…彼女たちの傷こそ、受け止めないと…!)
エミリーは顔を上げて、しっかりと頷く。
「あたし、行くよ」
アルもアッシュも、その瞳に決意の炎が上がるのを見た。
頷きあい、アルが入院棟のドアを開けてエミリーとアッシュも後に続く。
*
廊下には何人かの女たちが座り込んでいた。
汚れて破れたドレスや労働服、ぐしゃぐしゃになった髪。泣き声とも唸り声ともつかない声を発している者もいれば、茫然として動かない者もいる。
そのうち、娼婦らしき女がアッシュのジャケットを掴んで縋り付いてきた。
女はガリガリに痩せていて、乾燥し切った肌が目立つ。ドレスの胸元から浮き出た肋が、死のにおいを感じさせる。
「ねえボク、どお? 遊んでかない?」
陰を落とす眼窩の奥から、瞳孔の開いた目がアッシュを見つめる。
「お姉さんはまず治療が先だよ。シスターに診てもらおうよ。」
アッシュが引き離そうとするが、その娼婦はさらに身を寄せる。アッシュの身体を、女の骨ばった指が這う。
「ボクかわいいからサービスしたげるわよ」
「いやほんとに、お願いだから…。」
アッシュの顔に悲痛な色が浮かぶ。
治療を受ける前の段階で問題がある、と言っていたのはこれなのだとすぐにわかった。アルが間に入って宥めるが、火に油だ。
何もできずおろおろするエミリーに、後ろから声がかかった。
「あなたがお手伝いしてくださるという方ですか?」
振り向くと、シスターがいた。修道服の上から丈の長い白いエプロンを着て、口元も白い布で覆っている。
「あ、はい。あたし、エミリー・ハーストです。」
「よろしくお願いいたします。
顔の半分が覆われていても、その精神のタフさが目元から十分に感じられる。医療人としても経験を積んできているのだろう。
カタリナはエミリーの服を見て思い切り眉を顰める。
聖職者を前に、こんなに足をむき出しにした服は、確かに咎められても仕方ないか。さすがにエミリーもバツが悪い。
カタリナは眉間に皺を寄せたまま、後ろのワゴンからエプロンを取り出してエミリーに差し出した。
「…不衛生すぎます。
せめてこちらを着てください。
靴もこちらに履き替えて。」
「は、はい…っ」
カタリナの圧に押されて、エミリーは素直に従う。着替えている間に、アルとカタリナが話していた。
「俺たちは大丈夫そうなひとに、水とか食事の介助してきます。治療のほうはお願いします」
「そうしてください。
おふたりなら大丈夫かと思いますが、くれぐれも不埒な真似はなさらないように。」
「わーってますって!
… 気の毒で、とてもそんな気になりませんよ。
おい、アル! そのねえさんに食事だ」
「うん…お姉さん、向こうで食事にしましょう、ね?」
「あら、やっと乗り気になったの〜?」
アッシュが娼婦を抱えて長椅子に座らせる。その軽さに、アッシュの表情がまた苦々し気に歪む。
靴も履き替えたエミリーの肩を、アルがぽんと叩いた。
「…頼んだぞ」
最初に仕事を任せてきたときの、値踏みするような表情とは違う。一定の信用と、一縷の希望をかけた表情。
「…うん、いってくるよ」
アルはエミリーの言葉に頷いて背を向け、アッシュのほうへ向かう。エミリーも、カタリナの後へ続いた。
廊下からいくつか続く部屋は、いずれもベッドが並ぶ相部屋だ。
カタリナがベッドを順番に訪れる。患者の薄い反応を意にも介さず、テキパキと症状を確認しては、怪我の手当を進めていく。
エミリーは包帯を替えたり薬を用意したりと、カタリナに指示されるままに動く。
文字通り目が回りそうだ。
ある患者の手当にあたると、強い匂いがエミリーの鼻を刺激した。アンモニア臭に似たそれに、エミリーは思わず顔を顰める。
患者の女は虚ろな表情だったが、エミリーの姿を見て勢いよく起き上がって手を掴んできた。
「あんた、貴族だね!
なあ、あたしを助けるってんならアヘンを買っておくれよ!」
骨と皮だけのような腕からは想像できないほどの力の強さだ。
「アヘン?! それでこんな…
ダメよ、そんなこと…。自分を大切に、」
エミリーは女に手を添えるが、払い除けられた。
女は顔面蒼白で汗をかき、虚ろな目のまま大声を上げている。完全に禁断症状だ。
「お前みたいな…ふかふかのソファに座ってるような貴族に……あたしの何がわかる!」
カタリナが必死に抑えるが、女はエミリーに憎悪の目を向けて叫び続ける。
「ご主人様のお手付きになって、子どもができてクビになって、行くとこもなくて仕事もない。
そうなりゃ娼婦くらいしかないんだよ!
身体も売らなくて済む、クスリがなくても生きていけるお前に、何が…何がわかる!
お前になんか、何も、わかるわけない!!」
「っ…!」
限界だったのか、女は不意に脱力してベッドに倒れた。
カタリナは、女の口元に濡らした脱脂綿を絞り、少しずつ水を与えた。薄らいでいく意識のなか、女の喉が上下する。
いくらか水を飲んだあと、女はそのまま眠ってしまった。
カタリナは、茫然とするエミリーに声をかける。
「…こういうことはよくあります。
…次の部屋は、もっとつらいかもしれません。気をしっかり持って。」
「はい……」
なんとか足を引きずって次の部屋へ向かう。
ある程度覚悟はしていても、やはり面と向かって言われると心にずしりと重たく響く。
それが図星なだけに、余計、胸が詰まる。
階級社会に傷ついているのは同じでも、エミリーと彼女たちの傷は決して同じ傷ではないのだと、まざまざと突きつけられたのだった。
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