7話 スカートと自転車

手助けや気遣いが必要なひとに手を差し伸べる。それが、彼らの自尊心をどれほど挫くものなのか、考えてもいなかった。


エミリーがやろうとしていたことは、貴族が義務として行う慈善事業ほどこしと、何が違うだろうか。少なくとも、受け取る側にしてみれば、エミリーだって貴族様だ。


上から訳知り顔でにこやかに施されては、悪態のひとつも出る。


エミリーは恥と後悔に苛まれながらも、ぐっと堪えて老父に向き直る。


「おっちゃん、鋲か針金、持ってない?」


「…はあ?」


「あたしに売ってほしいんだ。お代はパンで、どう?」


気遣いと憐れみの笑顔とは違う、溌溂とした表情のエミリーを、老父も真剣な目で見据える。

これは、偽善的なではなく、だ。


エミリーはパンをひとつ差し出す。老父はそれを、今度は奪い取るのではなく、無言で受け取る。代わりに、傷んだ上着のポケットから取り出した小さな鋲を、エミリーの手のひらに置いた。


交渉成立だ。


「ありがとね!

他にも何か売ってくれるひといるー? 」


エミリーがそう呼びかけると、警戒していた周りの者たちがいそいそと収集物を取り出しながら近づいてくる。


気づけば大盛況だった。

エミリーの籠はパンから金物や雑貨で一杯になり、すっかり泥攫いの面々とも打ち解けた笑い声が広場を満たした。




広場の中心に座り込んで、エミリーは大きく足を開いて座り込んでいた。その周りを囲む工場婦やヒバリたちも、興味津々に覗き込んでいる。


「えっと…、これどういう状況?」


後からやって来て、全く状況が飲み込めないアッシュの問いかけに、エミリーは明るい声で応えたが、視線は自身のスカートに向いたままだ。

指で大まかな長さを測り、籠から取り出したハサミでスカートを膝上あたりまで一気に切り開いた。


「このスカートやっぱり動きにくいから改造しようと思って! 」


下着ドロワーズや素足が見えるのも構わず、エミリーは籠から針と糸を取り出してざくざくと縫っていく。


アッシュは慌ててジャケットを脱ぎ、エミリーの腿の上にかける。


「ちょっと! 足見えてる!

もう…僕に世話焼かせるなんて君が初めてだよ 。」


「あっ…そうだよね。ごめんごめん」


アッシュの慌てようを見て初めて、エミリーも自分の格好のまずさに改めて気づいた。


だが、淑女の振る舞いと技術者の好奇心では、圧倒的に後者の皿に天秤が傾く。


申し訳程度に股をジャケットで覆いつつ、エミリーの手は止まらない。


足を包むように、切り開いたスカートの端を袋状に縫い留める。

なみ縫いでざくざくと縫い進めていると、そばで見ていた女が声をかけてきた。


「あんた、それじゃすぐほつれるよ

貸してごらん。まつり縫いのほうが丈夫さね」


「え、そうなの?」


エミリーが目を丸くすると、女は手慣れた様子で針を動かし、布の端をすくってきれいに縫い留めていく。


「ほら、こうすりゃ縫い目の隙間もなくて、引っかからない」


「すっご! じゃあここも変えてみよっかな」


エミリーが感心していると、また別の女が横から入ってきた。


「ここは、もうちょっと広めにとったほうが動きやすいんじゃないかい?」


「それならこれ使いな」


止めるどころか、周りで見ていた女たちまで加わり出して、さらに盛り上がっている。

アッシュは観念したように息を吐いて、吹っ切れた顔で笑った。


「わかったわかった、裁縫は女子の独壇場だもんな。存分にやってくれ。」


「なーなーアッシュ、自転車乗っけてくれよー!」


「ああ、そのために持ってきたんだ。」


じゃれつく子どもたちと手を繋いで、アッシュは自転車を取りに行く。



アッシュが自転車を押して広場に戻ってくると同時に、ひとの輪から歓声と拍手が上がった。


アッシュの姿を見つけると、エミリーはアッシュのジャケットを差し出して、自慢げな顔で完成品を披露する。


「見て! みんなのおかげで想像以上の出来になったの!」


先ほどのスカート姿から一転、裾が広めのパンツスタイルへと変貌していた。


機動性が格段に向上したことがなにより嬉しい。その場で駆け足してみせるエミリーを、周りの女たちも囃し立てた。

ふくらはぎあたりまで素足がむき出しになる。


眉を顰める女もいれば、遠巻きに顔を逸らしつつもしっかりとこちらに視線が向いている男もいる。

それらの意味がわからない年齢ではない。だが、だからこそ、この姿を晒すのだ。


エミリーが差し出したジャケットを、アッシュが受け取る。


「その、思い切ったね。」


「はは、アッシュ坊ちゃん、照れてるよ」


「ち、違うっ!僕は、ただ、その…」


アッシュはひとつ咳払いをして、自転車を押して背を向ける。


「ま、まあ、活発なエミリーに似合ってるよね!うん!

じゃ、自転車乗りたい子は並んでー」


子どもたちの歓声を背に、アッシュが自転車に跨った。一番乗りの少年が飛び乗ってくる。小さな手が背中を掴んだのを確認して、アッシュはペダルを踏み込む。


「わー!すごいすごい!」


広場をぐるりと回って帰ってくると、少年はひょいと飛び降りて、別の少女がよじ登ってくる。1周回ったら交代、という約束をみんな心得ているらしい。


アッシュは日頃からこうして何度も遊び相手をしているのだろう。


少女を乗せて、アッシュはまた広場を回る。少女はアッシュの背に抱きついて感嘆の声を上げた。


「すごーい!おーい、おねーちゃーん!」


少女の声に応えて、エミリーも手を振り返す。アッシュの背中をしっかりと掴む小さな手を眺めて、エミリーは隣の女に尋ねた。


「アッシュはここよく来るんだ?」


「ああ。子どもらと遊んでやってるよ。

このへんはあの年頃なら客を取ってる子もいるからね…子どもらしい時間を過ごせるのは、こういうときくらいさ」


「こっちの地区ってそうなんだ……」


「まあ、当のアッシュ坊ちゃんは『何もできなくてごめん』ばっかり言ってるがね。

あたしらのような娼婦は門前払いの教会と比べたら、よっぽどいいよ」


「そうなんだ…」


自転車を漕ぐアッシュは、笑顔だ。だが、わずかに曇りも感じる。

エミリーより経験を積んできているアッシュでさえ、無力感に襲われているのだろうか。


(…それでもやっぱり、あたしたちにも何か変えられるって、信じたいじゃない…)


一通り子どもたちを乗せ終わって広場の中心に戻ってきたアッシュを、待機列の最後でエミリーが待ち構えていた。


「まさか君も乗りたいの?」


「うん、漕がせてほしくて」


「なんだって?!」


予想外の返事に、アッシュは目を白黒させている。

色々と言いながらも、アッシュならきっと応えてくれる。この数時間でその人の良さはわかってきた。


期待に満ちたエミリーの目に気圧されて、アッシュは今日何度目かのため息を盛大に吐く。

自転車から降りてエミリーに譲った。


「いいけど、僕が後ろ支えてる間だけだよ!

そんな格好で転んだら、足が傷だらけになる。」


「わかった。ありがとう、アッシュ!」


言い終わらぬうちに、エミリーはもうサドルに跨っていた。アッシュは慌てて荷台板を掴んで支える。


かなりふらついてはいるが、後ろに乗っていたときよりも重心は安定している様子だ。

スカートを改造して足捌きが自由になった分、バランスも取りやすいのかもしれない。


少し漕いでは何度も倒れかかる。

足をつくたびにエミリーの踝は砂で汚れていったが、アッシュが支えているおかげで大きな怪我はない。


それを繰り返すうち、平坦な道なら自走できるまでになってきた。


「おや、上手に乗れてるじゃないか」


「もうちょい改良して、あたしらもあのスカートにしようよ。ありゃ使える」


スカートの裁縫を手伝った女たちも、エミリーの軽快な動きを見て湧き立っている。


ハラハラしているアッシュの気持ちも露知らず、エミリーの足は軽やかにペダルを漕ぐ。


すっかり自転車にも慣れた様子で、エミリーは颯爽とテント前に止まって見せた。

ヒバリや娼婦、工場婦たちが笑顔でそれを迎えてくれる。


「いやー乗れるもんだね!」


「そのスカート、あたしらも作ろうって話してたとこさ」


「そうさ! それがありゃ、仕事のときも楽そうだ」


「いいね! 今度みんなで作ろっか」


「なんか変な流行になってるよ…」


女たちと盛り上がるエミリーに、アッシュはもはやただ受け入れるように微笑んだ。


賑やかな笑い声が満ちた広場に、引き摺るような足音が近づいてくる。

振り返ったエミリーの視線の先にいたのは、ポケットに手を入れて猫背で歩くアルだ。


「よう、元気だな、ねえさんたち」


「アル! おもしろい子を連れてきたね!」


アルと労働者たちが気さくな笑顔で話していると、遠くから時計塔の鐘の音が聞こえてきた。


広場で食事をとっていた人々も、がやがやと動き出す。

家に帰る者、飲みに行く者、次の職場に向かう者、地下街の娼館や賭場に行く者…様々だ。


アルはエミリーに渡した籠に視線を遣る。

金物や雑貨でいっぱいのそれを見てからアッシュのほうを見ると、気づいたアッシュがしっかりと頷く。


アルはエミリーに声をかける。


「…、そのカッコでうろついてたのか…?」


「ああ、これ? みんなで作ったの!」


「……あんたが良いなら良いが…

…ただまあ、気をつけろ。あんたが想像もしないようなことをするやつもいる」


「え? どういうこと?」


エミリーの戸惑いに応えることなく、アルはちょっと手招きをして背を向ける。


「さ、次の仕事がメインだ」


アッシュもエミリーに頷いて、着いていくように促す。その言葉に、エミリーはひとまず疑問を飲み込んで着いて行くことにした。


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