第18話 ほんとうの気持ち
リリヤヴァ宮の大きな特徴の一つである中庭。
人工の池があり、そのまわりにはきれいに花が植えられている。
池のそばに木製の小さなベンチが置いてあり、そこに私は座った。
東屋もあるが、静かな水面を見つめたかった。
この庭でひとりで過ごす時は、用事がない限り、金糸雀隊は少し離れた場所にいるルールがいつの間にかできていた。
水草が浮かぶ池は、静かだった。
季節によっては渡り鳥がやってきて羽を休めることがある。
その時期がくると、私とミランはパンくずを池のふちに置いてみる。
普段は見かけないきれいな鳥がついばむのを、テラスルームからこっそり覗くのが楽しみなのだ。
私たちはどこにも行けないから?
ローベルトお兄様もリヒャルトお兄様も、今の立場が窮屈だと感じているようだ。ミランはまだ小さいけど、将来そう思う時もくるだろう。王位につかない可能性が高い人たちでも、立場ゆえの苦しみがある。
私はどうなるのだろう。今、この胸の中にあるもやもやしたものを抱えて生きていくのだろうか。
クラーラ姫のことを思い出す。優しかった伯母様。伯母様が死の床にふせっていた時、私はまだ七つ。伯母様はすでに一人娘のヤルミラ姫を喪っていた。
お父様、お母様に連れられてお見舞いに行った時のことを思い出す。
お母様は私を連れていくことに反対していたそうだけど、クラーラ姫の強い希望だったと後からきいた。
その日、クラーラ姫はまだ体調がよかったのか、ベッドで身を起こせるぐらいだった。
「ルミドラ、もっとこっちにいらっしゃい」
私は言われるがままに近寄った。
「赤ちゃんの時にようにだっこさせて? それとももう恥ずかしいかしら」
私は少し戸惑ったけど、お母様をみると頷いたので、遠慮無くベッドに上がった。そして、伯母様に寄りかかるようにして抱きしめてもらった。
「きれいな金髪。ルミドラは将来きっと美しい姫様になるわね」
私の髪を撫でながら、伯母様はつぶやいた。ゆっくりと動かす手が以前より痩せていることを、子供心に気がついた。
「ごめんね……ルミドラ」
「伯母様?」
「あなたに大きな荷物を残してしまうわね……許してね……ルミドラ」
その時は、伯母様は何を言っているのだろうとよく判らなかった。
ただ、伯母様の御前を辞し廊下に出たあと、お父様が壁に向かって肩をふるわせているのを見て驚いた。お父様が泣いているのを初めて見たから。
しばらくして、王太女・クラーラ姫はこの世を去った。
クラーラ姫の夫・ディーター公は喪が明けた後、故郷のツァーガルデン王国に帰国した。
クラーラ姫は、両国の橋渡しになるようにと、ツァーガルデンの貴族の男性と結婚していたのだ。それほどに国を第一に考えていた人なのだ。
あの時の伯母様の言葉の意味が今なら分かる。
自分が死に、時間が過ぎ去った後に王太女になるのは私である可能性が高いということを伯母様は判っていたから、私に謝ったのだ。
女王という大きな荷物を背負わせてしまうことを謝ったのだ。
伯母様は女王になることに葛藤はなかったのだろうか。
他国の貴族と婚姻し、この国のことを一番に考えていた聡明な姫。
国民みんなに愛されていたし、私たち親族も誰もが伯母様のことが好きだった。
だけれどもご本人はどうだったのだろう。
伯母様も、私のような年頃の時に悩んだりしたのだろうか。
今、伯母様に会いたかった。
会ってお話したい、聞いてみたい。
伯母様も、この胸の中のもやもやを持っていたの?
私のことを伯母様は理解してくれるような気がした。そして私も、今の私なら、あの時の伯母様の気持ちを一番理解してあげれるような気がした。
でも、それは決してかなわぬこと……。
今の私を理解してくれる人は、もう絶対会えない場所に行ってしまった。
この先、私はひとりで抱えていかなくてはいけないのだ。
ひとりで。
「姫」
俯いていた顔をあげると、まず池の水面がみえた。
そして振り向くと、カグヤがすぐそこにいた。
「カグヤ」
「ごめんなさい。ほんとは声かけちゃだめなんだろうけど、なんだか……ひとりにしておけなくて」
どきりとした。
まるで私の心を見透かされたよう。
「今はカグヤだけ?」
「うん、みんな、それぞれの仕事があるから。私は今日は一日、姫様の側にいるよ」
そういえば、カグヤはこれといって特別な能力があると聞いていない。
マリアナ、ディアナは王族のしきたりにも精通している。サシャ、アマーリエは武術の腕前がある。ノエミは異国の風習もよく知っているし礼儀作法も完璧だ。マルタとユディタは勉学に優れている。ゾラは、軍の訓練学校に在籍していただけあって、小柄ながら武術も一通り学んでいるし、ある専門分野に精通していると聞いた。それが何かは教えてもらえなかったけど。
カグヤも金糸雀隊選抜の試験を突破してきているのだから、優秀は優秀なのだろう。馬術も十分上手かった。だけど、これといった特技があるわけではなさそうだった。
でも、私はカグヤは勘がいいというか、人の心が読める、よく判る人ではないかと思った。
私が独りなのを感じ取ってくれたのだから。
「隣に座りなさい」
「いいの?」
「私がいいって言ってるのだから、いいに決まってるでしょう?」
なんだか優しく言いたくなくて、すこしつっけんどんになってしまったかもしれない。
「なんか……怒ってる? めずらしい」
カグヤはそう言いながら、私の隣に座った。ちょっと笑っているみたいだ。
「でも、それでいいと思うな。ルミドラ姫はきっといろんなことを我慢しすぎてるような気がして」
かっと頬が赤くなる。カグヤに指摘されてすごく恥ずかしい気持ちになった。
これまで頑張ってきた自分が薄っぺらいような気がしてしまった。
自分がいつか王太女になると意識したのはいつだったろう。
思い返すと、五年前に先代の祖父でもあるゾルターン王が亡くなった時のような気がする。
国王逝去に伴い、伯父であるダヴィトが国王になり、息子のローベルト王子が立太子となった。
ーーローベルト王太子は、ルミドラ姫が成人するまでのつなぎだろう。ダヴィト王はまだ若く健康だから、数年のうちに退位ってことはない。
これが大方の国民の見立てであり、王族や貴族の中でもそれが当然といった雰囲気だった。当のローベルト王太子自身が「僕は数年だけの王太子だからね。その間はちゃんとやらせてもらうよ」などと軽口を叩いていた。
私はいつか王太女になり将来は女王になる。国民が待ち望んでいる女王に。
いつの間にかそう思っていたし、それが規定された未来でもあることが判っていた。
だから、私はその期待に応えないといけないと思っていた。
それが我慢だったのかもしれない。
黙っている私の横でカグヤが言う。
「さっきは力になれなくてごめんなさい。でも、いつか私が姫様の行きたいところにつれていくから」
カグヤは私を慰めてくれている。判っている。
なのに私は、急にカッとなってしまう。
「出来ない約束なんてしないで!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます