第2話「消えた患者」
「天城先生、いつもお世話になっております」
中央病院への転職から1か月が経ち、玲奈は新しい環境に少しずつ馴染んでいた。前の病院での奇妙な出来事から逃れるように転職したものの、あの患者とその中に閉じ込められた双子の兄の魂のことは、今でも彼女の心に重くのしかかっていた。
「河野さん、調子はどうですか?」
診察室に入ってきた患者は、30代の女性。手術予定の胆石症の術前検査のために来院していた。
「おかげさまで。ただ、手術が少し怖くて...」
「大丈夫ですよ。よくある手術です」玲奈は安心させるように微笑んだ。
しかし、診察を終えて患者を送り出した後、玲奈は不思議な感覚に包まれた。河野さんの周りに、薄い霧のようなものが見えた気がしたのだ。あの事件以来、玲奈の「視る」能力は以前より敏感になっていた。
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「天城先生、明日の腹腔鏡手術の準備は整っています」
外科部長の高橋医師からの連絡だった。中央病院では、玲奈も時折手術に携わることがあった。
「はい、ありがとうございます」
高橋医師は50代の堅実な外科医だったが、何か隠し事をしているような雰囲気を玲奈は感じていた。
翌日、河野さんの手術は無事に終わった。玲奈は術後の経過を見るために病室を訪れたが、ベッドには患者の姿がなかった。
「河野さんはどちらへ?」看護師に尋ねると、看護師は不思議そうな顔をした。
「河野さん?そういう患者さんはいらっしゃいませんよ」
「昨日手術した胆石の患者さんです」
「昨日の手術予定は急遽キャンセルになりましたよ。患者さんの体調不良で」
混乱する玲奈。確かに昨日、河野さんの手術を執刀したはずだ。手術室の記録を確認しようとしたが、不思議なことに河野さんの手術記録も消えていた。電子カルテにも、河野さんのデータがない。
「何かの間違いかしら...」
疑問を解消するため、玲奈は手術室のスケジュール表を確認した。そこには確かに「河野由紀子・胆石症・腹腔鏡手術」と記載されていたのに、実際の手術記録からは消えていたのだ。
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「あの、高橋先生」玲奈は外科部長に声をかけた。「昨日の河野さんの手術のことなんですが...」
高橋医師の表情が一瞬こわばった。「河野?昨日はキャンセルになったはずだが」
「いえ、確かに手術しましたよ。私も立ち会いました」
「天城先生、疲れているんじゃないですか?少し休んだほうがいい」
その日、玲奈は病院の記録を徹底的に調べた。すると、過去半年間で10人近くの患者が同様に"消えていた"ことが分かった。全員、腹腔鏡手術を受けた患者だった。
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夜勤の時間、玲奈は誰もいない手術室に忍び込んだ。何か手がかりがあるかもしれないと思ったからだ。
薄暗い手術室に足を踏み入れると、冷たい空気が彼女を包んだ。そして、手術台の上に薄い人影が横たわっているのが見えた。
「誰...?」声をかけると、影はゆっくりと起き上がった。
それは河野さんだった。しかし、その姿は半透明で、まるで実体がないかのよう。
「天城先生...助けて...」河野さんの声はかすかに響いた。「私たちは...どこにも行けないの...」
「河野さん、あなたはどうしたの?」
「手術の後...私たちは連れて行かれたの...体から...引き離されて...」
その時、手術室のドアが開き、高橋医師が入ってきた。彼は驚いた玲奈を見て、深いため息をついた。
「やはり、あなたには見えるんですね」
「高橋先生、これはどういうことですか?河野さんはどうなったんですか?」
「これは医学の進歩のための必要な犠牲なんです」高橋医師の声は冷静だった。「この病院では特別な研究を行っています。人間の意識と肉体の分離と再結合...」
「そんな...人体実験を?」
「実験ではありません。すでに確立された技術です。問題は、一部の患者の意識が手術室に残ってしまうこと。あなたのような"視える"人には、その残留した意識が見えるようですね」
玲奈は震える声で尋ねた。「患者の体はどこに?」
「安全な場所で保管されています。意識だけを抽出し、必要な時に別の体に移植する...それが私たちの研究です」
恐怖と怒りで玲奈は叫んだ。「それは犯罪です!すぐに警察に...」
「無駄ですよ」高橋医師は冷たく笑った。「この病院の幹部は全員、この研究に関わっています。あなたの言葉など誰も信じません」
その時、手術室の中で複数の影が形を成し始めた。全て腹腔鏡手術を受けた患者たちだった。彼らは高橋医師に向かって怒りの声を上げ始めた。
「返せ...私たちの体を...」
「家族に会いたい...」
「なぜ私たちを...」
恐怖に顔を歪める高橋医師。「こんなことは初めてだ...なぜ彼らが集まって...」
影たちは高橋医師に近づき、彼を取り囲んだ。医師は苦しそうに胸を押さえ、床に崩れ落ちた。心臓発作のようだった。
玲奈は急いで救急処置を始めたが、高橋医師の意識は戻らなかった。
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翌朝、病院は高橋医師の突然の死で混乱に陥っていた。玲奈は昨夜の出来事を誰にも話せず、一人で調査を続けることにした。
病院の地下には普段立ち入ることのできない区画があった。セキュリティカードを使って侵入した玲奈は、そこで衝撃的な光景を目にした。
無数の保存容器が並び、その中には人間の体が浮かんでいた。河野さんの姿も確認できた。全員、生命維持装置に繋がれていた。
「これが...高橋先生の言っていた"保管"...」
部屋の奥には巨大なコンピューターがあり、複雑なデータが表示されていた。それは意識の波形のようなものだった。
玲奈は急いで証拠を集め始めた。この状況を外部に知らせるには、確固たる証拠が必要だった。
そのとき、部屋の入口に人影が現れた。病院長だった。
「やはりあなただったか」病院長は冷ややかに言った。「高橋の死後、セキュリティログを確認したんだ。彼があなたに話したようだね」
「これは人道に対する罪です」玲奈は震える声で言った。「患者を実験台にして...」
「我々は医学の限界を超えようとしているんだ」病院長は熱っぽく語った。「死の克服、意識の永続...それが我々の目標だ」
「そんな目標のために、無実の患者を犠牲にするなんて...」
「君も我々の仲間になれば」病院長は提案した。「"視える"能力を持つ医師は貴重だ。意識の分離と結合の過程を直接観察できる...」
「断ります」玲奈は毅然と答えた。
「残念だ」病院長はボタンを押した。アラームが鳴り響き、セキュリティが駆けつける音が聞こえた。「君も患者の一人になるしかないようだね」
玲奈は急いで逃げ出そうとしたが、ドアは施錠されていた。絶体絶命のその時、手術室の霊たちが再び現れた。彼らは病院長を取り囲み、彼もまた胸を押さえて苦しみ始めた。
混乱に乗じて、玲奈はドアをこじ開け、証拠の写真とともに病院から脱出した。
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一週間後、中央病院は大規模な警察の捜査を受けていた。玲奈の提供した証拠により、病院ぐるみの非合法実験が明るみに出たのだ。
患者たちの体は救出され、特殊な装置によって意識を元の体に戻す処置が進められていた。しかし、全ての患者の意識が完全に戻るかは不明だった。
玲奈は警察の保護下で証言を続けながら、自分の「視える」能力の意味を改めて考えていた。それは単なる異常ではなく、助けを求める声を聞き取るための贈り物なのかもしれない。
河野さんが意識を取り戻した時、最初に会ったのは玲奈だった。
「ありがとう、天城先生」河野さんは弱々しく微笑んだ。「あなたがいなければ、私たちはずっとあそこに...」
玲奈は患者の手を握りしめた。「もう大丈夫ですよ」
しかし、玲奈の心の奥では不安が渦巻いていた。この事件はこれで終わるのか。そして、他にも同様の実験を行っている医療機関はないのか...
玲奈の前には、「視える医師」としての新たな使命が広がっていた。そして彼女はすでに、次の不可解な現象に巻き込まれつつあったのだ...
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