ひなまつり
陋巷の一翁
ひなまつり
ひな祭りの日、ひまりは着飾って、着飾ったことに喜んで、他のことには無頓着で。
僕のことなど参加者の一人程度の存在だと思っていることだろう。
ああ、君は綺麗だ。そうして可愛い。赤い織布が引かれたひな壇の前でうっとりこっちをみつめる様は、
「ほめてほめて、可愛い私を褒めて」といっているかのようだ。
「けれど似合ってるよ可愛いね」なんて言うのはきっとこの場にいる男どものだれもが言うのが悔しくて。
ただ沈黙の間が訪れている。
この空気が重苦しい。正座している足がじんじんする。
「おや男どもを連れてご満悦かい? それにしてもひまりちゃん和装が似合っていて可愛いね」
おじさんの声がする。たぶんひまりのおじさんだろう。
言いたいことを言われてしまった。男の子たちは嫉妬心の目を向ける。本当は僕が言いたかった、こいつらがいなければ、おじさんが言わなければ、ひまりと二人きりならば。
そうしてひまりは褒められた愛想でにっこりおじさんに笑顔を向けて。その笑顔すら妬ましい。
……。
ひまりはこの地区で久しぶりに生まれた女の子だ。男の子たちはみんなひまりを妹みたいに思っていたし、年下の男子は姉みたいに思っていたし、同年代の男の子たちはそれ以上の感情を抱いていた。
独占したい。独り占めにしたい。だけど自分たちで作った監視の網でがんじがらめになっている。
ひまりなんて放っておこう。そんな男の子たちのグループもいた。そうしてひまりはそう言う男の子たちにこそ憧れていることに僕は気づいている。
でも僕はひまりのそばにいたいんだ。放っておくなんてふりでも出来はしない。
悲しい悲しい悲しい。ひまりは姫だ、お姫様だ。僕はそれにかしづきたい。それとちょっとの優しい言葉。それさえかけててくれれば僕はひまりのことを一生守るのに。
何からかはまだ、よくわからないけど。
ああ好きだ。好きなんだよ。好きでどうにかなりそうだ。その言葉が頭の中から出てきて驚いた。でもぎゅっと我慢する。ひまりは見るからにご満悦。幸せそうでなによりだ。
「ひまりーそろそろひな壇片付けちゃうわよー」
ひまりの母の声がして、ひまりは急に不機嫌になった。
「えーなんでー」
「ひな壇を出しっぱしにするとね、結婚するのが遅れるっていう言い伝えがあるからよ」
「結婚……かぁ」
ふとつぶやいたひまりの言葉にどきっとした。いまひまりは誰のことを思っただろう。
「ほらほらあんたたちも人形外すの手伝って」
ひまりの母は僕たちに呼びかける。僕たちはしびれた足でなんとか立ち上がり、ひな人形たちを規律良く片付けていく。
それをさみしそうに見るひまり……。ついに悲しそうな顔で下を向き泣き始めた。男の子連中はピタッと片付けをやめる。
「あらあら、困った子ね、ほらみんな、ひまりのことはいいから早く片付けちゃって」
「はい……」
横目でチラチラ見ながらひな人形を片付ける僕ら。
なんとかしたい、けれどもなんともできない。
そうこうしているうちにとうとうひな人形は最後の一体まで樟脳の匂いのする箱にしまわれた。
「また来年よろしくね」
ひまりの母はひな人形の箱にそう呼びかけて、すっと立ち上がり箱を押し入れにしまっていく。
その間ずっとひまりはうつむいたままだった。
そしてそのままひな祭り会は解散となった。
……。
僕に何が出来ただろう。そのときの僕らになにかが出来ただろう?
こうしてひまりは僕たち男子の妹や姉のままで、それから小学校低学年になるまでひな祭り会は続いた。
そして毎回ひな祭り会が終わるときに思う、僕に何が出来ただろう、僕たちに何が出来ただろうって。
そうして僕らが何か出来そうな力を得たときにはもうすでにひな祭り会は開かれなくなった。
ひまりも姫の装いを外し、元気に男子に交じって外を駆け回るようになった。僕もひまりのことをあまり考えなくなった。
そして中学の頃、僕はひまりに告白された。好きだって言われた。あのころどんなに胸から手が出るほどほしかった言葉だったろう。けれどその頃の自分は別の人に夢中で。
僕はひまりの告白を断った。
ひまりはそれから不良たちとつるみ始め、中学卒業と共に東京へ出て言ったと聞く。
僕が地方都市の大学から地元に帰ってきたころにはひまりは町へ戻っていたけど。子供を二人連れて。年を取ったひまりのお母さんとケバ目のメイクをしたひまりと子供二人でで仲良く田舎の道を歩く姿をよく見かけた。
ひな祭り会で何も出来なかった僕には何も言う権利はないが、あのとき力ずくで奪ってしまえば良かったとふと思うんだ。力ずくでひな人形を片付けるのを止めれば良かったって。
けれども、それはもうできないことで。僕は中学の頃からの思い人で今は婚約者の女性にごくつまらないリーンを返信する。
ひなまつり 陋巷の一翁 @remono1889
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます