第七話 メンソールの残滓 ②
当然のように収穫はなかった。あれだけ探して見つからなかったうえ、おそらくは紺洋さんが本気で隠したものなのだ。一日ですぐ見つかるはずもなかった。
私たちは最後に進捗を確認し合い、ため息交じりに『やっぱり』という顔を作った。その顔のまま明日の分担を相談して、私は帰り支度をする。
埃の散った喪服にブラシをかけていると、蘭さんが文机の前で難しい顔をしていた。珍しく、ノートパソコンなんて開いている。
知見寺屋敷は、一見時代に取り残されたような旧家だが、実際の中身は案外近代化している。水回りはすべてリフォーム済みだし、この地下牢もしっかり電気が通っている。なんでも、夏や冬はポータブルエアコンまで出すらしい。ネットも当然通っていて、このパソコンに至っては、紺洋さんの遺品だというから驚きだ。
そのノートパソコンをじっと見つめ、蘭さんはおい、と言った。画面を見たままの手招きがひらりと私を呼ぶ。誘われるまま隣に腰を下ろせば、画面にはメーラーが表示されていた。
「町内会のメールマガジンが来てる」
首をかしげる。だからなんだと言うのだろう。別に私はこの町に住んでいるわけではない。特に関係ないはずだが。
しかし蘭さんは、ますます表情を険しくした。
「このへん、ジイさんバアさんが多いから。普段は回覧板なんだよ。メルマガなんか、緊急連絡でもなきゃ使わねえ」
緊急。その言葉に私は、かすかに口を引き結んだ。蘭さんがかち、とマウスを操作してメールを開く。色の薄い瞳が左右に動いて、文面をざっとさらっていった。あー、と低い声。
「……不審者情報だと」
ぴく、と指先が動いた。そっと身を乗り出し、画面を覗き込む。そこには、一週間前から何度も不審者が目撃されている、警戒のすえ必要とあれば警察を呼ぶこと、と書いてあった。
「添付ファイルがある」
蘭さんがさっとそれを開いた。町内地図だ。不審者の出没地点に赤い点が散らばっている。ますます蘭さんが顔をしかめた。
「げ。うちの近くじゃねえか」
「それは……物騒ですね」
淡々と言う私に、蘭さんがあのなあ、と苦い声を出す。
「他人事みたいに言うな。帰り道、暗くなることもあんだぞ」
「そうですけど」
「いいか。よくよく気をつけろよ。防犯ブザー持ってるか? なんだったら今日はあたしが送って──」
「いりません」
ぴしりと言い放つと、蘭さんが目を丸くした。私はかすかに顔を背けると、もう一度いりません、と繰り返す。
「女ひとりから二人になったからって、なんになるんです。蘭さん、私よりよっぽど非力でしょう。足手まといが増えるだけです」
「てめぇなあ……」
なすすべなく押し倒された記憶が蘇ったのか、蘭さんは自分の手首をそっとさすった。そういうことです、と私は言う。
「私なら大丈夫です」
「あたしは大丈夫じゃなかったときのことを」
「最低限の護身術くらい知ってますから」
「あー……」
さらっ、と言ってやると、蘭さんはだからか、と小さく呟いた。たぶんあの足払いのことを言っているのだろう。ご明察だ。
しかし蘭さんはまだ納得がいかないのか、眉を寄せたまま私を覗き込んできた。
「あのな。あんま自分を過信しねぇほうがいいぞ」
「過信なんてしてません」
「してんだよ。大丈夫ってなんだ。いくらてめぇが合気道だの柔術だの知ってても、相手がでけぇ男で、武器持ってたらどうする」
蘭さんの心配はまっとうで、正しくて、とてもやさしい。それがますます私に引っかき傷を残していく。胸の底になにか重いものが溜まっていく気配がして、ますます顔を背けた。
「そのときはすぐ逃げます。こう見えて、足も早いので」
「バカ。相手がもっと早かったら、バイクや車だったら、どうすんだ」
「……っ、本当、ああ言えばこう言いますね」
「当たり前だ。ここでふざけてられるほど、あたしは世間知らずのガキじゃねえんだよ」
なあ、と手首を掴まれた。思わず顔を戻せば、ものすごく真剣な表情と視線がぶつかった。なんのためらいもない、まっすぐで誠実な気遣いを込めた眼差しが、深い情をたたえて私を見つめている。
「大人ぶられんのが気に食わねえのはわかる。けどな、ここは黙って守られとけ。今からタクシー呼ぶ」
「……大丈夫、です」
「意地んなって根拠のねぇ大丈夫を連呼すんな。そういうとこがガキだっつってんだよ。あんたにもしものことがあったら──」
「──大丈夫だ、って言ってるんです!」
ばっ、と掴まれた手首を振り払う。蘭さんが弾かれたようにびくりとして、小さく息を呑んだ。
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