第七話 メンソールの残滓 ①

 それから、五月はしだいに過ぎていった。知見寺屋敷の捜索は地道に進み、蔵の整理はほとんど終わり、母屋もだいたい探し終わった。それでもなお、紺洋さんの日記は見つからなかった。


 進捗のまるで芳しくないまま、もう五月も最終週にさしかかる。途方に暮れた私たちは、とうとう作戦会議をすることになった。


 いつもの定位置、あの文机の前に二人で座る。すっかり使い慣れた座布団の上に正座して、私は膝の上に両手をそろえた。蘭さんはといえば、あぐらに腕組みで難しい顔をしている。


 蘭さんの視線が動いて、文机に広げている紙を見た。知見寺家の見取り図だ。こうして見ると本当に広い。唯一の救いは、母家も離れも一階のみの平家だったこと、くらいだ。


「探す場所、なくなっちゃいましたね」

「あー……こうして書き出しても、ほとんど残ってねぇな……」


 すでに探した部屋には印がつけてある。ほぼ全ての部屋に印がついており、中には二つ以上印がついている部屋さえあった。


 蘭さんがくちびるを尖らせて、むむ、と考え込む。


「残ってんのは客間とか厠とかだろ? さすがに、不特定多数が使う場所にはねぇと思ってたんだが……」


 んー、と小さな声。そのとき、私はふと気がついた。


(あ。髪、埃ついてる)


 きらきらした金髪の端に、小さな埃のかたまり。その上、相変わらず櫛も通していないらしい。長い金色はもつれてからまっていた。


(……もったいないな)


 せっかく綺麗なのに。口の中だけでつぶやく。ぶつぶつ考えている蘭さんをよそに、私はそっと身を乗り出した。膝をつき、手を伸ばす。指先で埃をつまみとった瞬間、蘭さんがびくっ、と固まった。


 三白眼が、ぎろりとこちらを睨む。私は真顔のまま、今つまみあげたものを掲げてみせた。


「埃です」

「……あっ、そう……」


 さっ、とゴミ箱に埃を捨てる。蘭さんがそれに気を取られた隙に、私はふたたび手を伸ばした。もつれた金髪を指で梳いて、乱れた髪を整えてやる。おまけでちょいちょい、と指の背で頬を撫でるように触れると、蘭さんがものすごい顔をした。


 はあーっ、とため息をつき、蘭さんが額に手を当てる。


「……もうしねぇんじゃねえのかよ……」

「押し倒すのはしません」

「いや、こういうのもすんなよ……」


 沈黙する。なにがいけないのかわからない。


 あれ以来、蘭さんが本気で嫌がることはしていない。どんなに軽い接触だろうと、少しでも強めの拒絶があればすぐに身を引くことにしている。この上なく尊重していると言えるはずだ。それなのに、なぜそんな反応をするのかわからない。


 真顔で率直にそう告げると、蘭さんは絶句して、さらにすごい顔をした。


「いや。……いや、いや……そうじゃねえだろ」

「説明になってません。聡明な蘭さんらしくないです」

「って言いながら近付くな、身を乗り出すな、髪に触るな、こら待て!」


 大人しく身を引いて、ちっ、と舌打ちする。蘭さんがああもう、と悲壮な顔になった。


「舌打ち……あれだけお行儀の良かった雨宮が……あたしの教育ミスか……」

「黙っててください、情緒のない」

「この状況でいるかそんなもん!」


 もう一度舌打ちをしようとして、さすがにやめた。蘭さんの真似も良いけれど、あまりこれを乱発するのは美しくない。代わりにため息をひとつついておいた。


「ため息つきてぇのはあたしだっつの……」


 あー、とへろへろの声をあげ、蘭さんが髪をかきむしる。せっかく綺麗にしてあげたのに。けれど私がなにか言うより先に、恨めしげな視線がじろりとこちらを睨んできた。


「普通さあ、もうちょっとこう、気まずそうにするとか、距離置くとか、ぎこちなくなるとか、あんだろ。なんで開き直ってんだ……」

「どうしてだと思いますか」


 まっすぐに言い放つと、蘭さんはぐっ、と黙り込み、頭を抱えてすごい声でうめいた。てめぇ最近ちょっと怖ぇよ、と何度か聞いた文言が聞こえて、


「なんでこうなっちまった……」


 ほとんど独り言、みたいな声がする。ぴくっ、と指先が動いた。


(なんで、って、そんなのは決まってる)


 このひとが私を拒むのは自由だ。でも、私の気持ちは誰にも触らせない。否定なんてさせない。どうせ運命なら、私はただ、好きな人を好きでいたい。望むのはそれだけだ。そこに他人の介入する余地はひとつもない。


 視界の隅、壁に吊られたカレンダーが目に入った。五月の最終日に、『四十九日法要・納骨式』と書かれている。少しだけ目が細くなった。わずかに息が苦しくなる。


 紺洋さんとの契約は納骨式までだ。四十九日はもう近い。蘭さんと契約した日記だって、いつまでも見つからない、なんてことはない。おしまいはいずれ来る。


(だから──せめて、後悔したくない)


 たとえ拒まれても、鬱陶しがられても、関係ない。私の気持ちは触らせない。いずれこのバイトも終わる。それまでは、私は自分の『好き』は、それだけは、絶対に偽らないことに決めたのだ。


 ようやく頭をかきむしり終わった蘭さんは、チッ、と盛大な舌打ちをした。ばっ、と文机の上から電子タバコをむしり取る。


 なめらかな手つきで電源を入れ、煙草をセット。薄いくちびるの間に電子タバコが突っ込まれる。すうっ、と息を吸う音とともに、漂うメンソールの匂い。


 その一挙手一投足をじっと見つめていると、私の視線に気付いたらしい。蘭さんがふと目を持ち上げて、ん、と小さな声をあげた。


「あんだよ、じっと見て。吸ってみてぇのか?」

「興味はあります」


 本当は、ただその手を見ていたかっただけなのだけれど。とはいえ、事あるごとに蘭さんが咥えているのだ。どんなものなのか、興味くらいは一応湧く。


 けれど蘭さんは思い切り顔をしかめて、はっ、と吐き捨てた。


「やめとけこんなもん。まずいぞ」

「まずいなら誰も吸わないでしょう」


 ごくまっとうな反論に、しかし蘭さんは強い口調で「まずいんだよ」と断言する。思わず首を傾げた。ふーっ、と天井に向けて煙のない息を吐いて、色の薄い瞳がじろりとこちらを睨んだ。蘭さんがふん、と鼻を鳴らす。


「ガキのうちからまずいって思っとけば、手出しせずに済むからな。てめぇは知らなくていい、こんなの」

「……そうやってまた大人ぶる」

「実際大人なんだよ。……とにかく」


 口元から電子タバコを離すと、蘭さんは空気を切り替えるみたいに文机に目をやった。とんとん、と指先が見取り図を叩く。はっきりと、話題がスイッチする気配。


「こんだけ探して見つかんねえ、となるとだ。おそらくジイさんの日記は──」

「しまわれているのではなく、『隠されている』ということですか」

「……たぶん、な」


 そこまで言って、蘭さんは見取り図の端から端まで視線を走らせた。私も同じようにする。そして、ほとんど同時に、ふたり重ねてため息をついた。


「あー……クッソめんどくせえ……」

「たしかに……この敷地面積で隠されると、致命的ですね……」


 揃ってがくりと項垂れる。それでも、諦めるという選択肢はないらしい。蘭さんは舌打ちして、がしがし頭をかきむしると、きっと顔を上げた。


「雨宮。悪ぃがもう一度、屋敷中洗い直すぞ」

「これも仕事ですから。お付き合いします」


 ただ、と私が続けると、蘭さんが無言で続きを促す。私はちらと見取り図を見ると、少しだけ息を詰めた。意を決して、ぴん、と指を立てる。


「ここからは、手分けして探しませんか。私も知見寺屋敷の構造はだいたい覚えましたし、二手に別れた方が効率的です」


 私の言葉に、蘭さんが腕組みをして俯いた。色の薄い瞳が、んー、と見取り図をしばらく眺める。少しの間を置いて、蘭さんがぱっと顔を上げた。


「りょーかい。ただし」

「ただし?」


 蘭さんが、少しいたずらっぽく笑った。肩をすくめて、笑みの端に八重歯がこぼれる。


「……隠れてイタズラすんなよ?」


 言うに事欠いてそれか。私は思い切りため息をついた。眉間に指を当てて、寄ってしまったシワをぐりぐり伸ばす。渋い顔でつぶやいた。


「……したくないですよ、そんなの」

「ならよし。じゃ、今日の作業はじめっか」


 ぱん、と蘭さんが両手を打ち鳴らす。そして、私たちは簡単な打ち合わせのあと、めいめい作業に移ったのだった。


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