【番外編】おかゆ大騒動

 一月七日。

 俗に言う、七草粥の日である。

 一年に一度、お正月のご馳走で疲れた胃を休めるために、七草粥を作って食すると共に病や邪気を祓うという、日本の古来からの伝統文化は、このオメガバースの世界にも今なお形を変えつつ残っていた。


 が、この古民家然とした家で今年も賑やかに正月を迎えた鈴木家では、病を祓うどころではない大変な局面を、今まさに迎えていたのであった。

 布団で天井を見上げる愛理あいりを、恵李朱えりすが真顔で見下ろす。


「なにこの大惨事( ˙꒳​˙)」

「うーん、まさか一家全員風邪でダウンするとは……」


 魔法使いの夜羽よるは恵李朱えりすは、このオメガバース世界とは別世界の住人だが、まるで親戚の子供のような顔をして、親しくなった鈴木家の面々によく会いに来ている。

 今日も冬休みを利用して遊びに来たのだが、家長の愛理を始め、同居している子供たちまで全員が風邪に罹ってしまったらしい。

 今まさに自室へ赤い顔の愛理を運び込み、横にならせたらん直生なおも、各々具合悪そうに鼻を啜ったりくしゃみをしたりしている。


「ご、ごめんねぇ、私のせいだぁ……私が学校で変な風邪もらってこなきゃ、こんな事には……」

「気にすんな、藍。誰のせいでもねーよ。最近かなり寒かったし、年末年始はみんなそれなりに忙しかっただろ? 気にすんなって。それよりお前もさっさと部屋戻って休……っくし」

 

 どうしたものかと途方に暮れる恵李朱と、おろおろする夜羽。二人が障子戸の入り口あたりに立っていると、直生や藍の兄であるようが、ふらふらとひどい顔色で入ってきた。


「とりあえず、夜明ヨアにはしばらくこっち戻ってくんなって連絡しといたよ……あいつはまだ無事みたいだから、とりあえず直生と一緒に受けてた撮影の仕事は、一人で先に行くって。しばらくはライラさんのとこで世話になってると思う」

「サンキュ。とりあえず事務所のメンツにまでうつんなくてよかったわ……」


 舞台俳優として活躍する直生は、マネージャーのライラが立ち上げた個人事務所に所属している。

 夜羽たちと同じように異世界からやって来たヨアは、この世界にいる間は直生と共にモデルやダンサーなど芸能活動をしている事が多く、普段は鈴木家で寝泊まりしているのだが、流石にこの状況で家に泊まらせる勇気は直生にはない。


「葉兄も無理すんなよ。兄貴の部屋二階なんだから、わざわざここまで言いに来なくてよかっただろ」

「でもほら、夜羽たちが来たって聞いたから……ぐしゅん。うー、寒気やべ。そういうわけだから、折角来てくれたとこ申し訳ないけど、お前らも帰んな。今日は誰も遊べないよ。うつしたら大変だし」


 屈みながらそう言って、二人の頭を撫でかけた葉は、ふと感染させるのを恐れてその手を引っ込めた。

 ぱちぱちと、瞬いて顔を見合わせる夜羽と恵李朱。


「せっかく新しい年になったのに、みんなで風邪なんて可哀想だよ」

「これは、ボクたちで看病しないといけませんな( ˙꒳​˙)」

「ボクたちで、おかゆ作ってあげようか」

「夜羽、作り方知ってんの?」

「たぶん……。ヨアが風邪引いた時に作ってくれたの見てたから、ちょっとだけ、わかるかも……」

「えー、心配だなぁ」


 話し合う二人を見て、直生や藍たちは本格的に慌て始めた。


「いやいや! 大人が四人もいりゃ、さすがに大丈夫だって!」

「そうだよっ。缶詰とかの買い置きもあったはずだし、なんとかなるから!」


 葉も、鼻を啜りながら大きく頷いている。


「そもそも、こんだけ病人いる家に長居したら、間違いなくうつっちゃうぞ」


 しかし、恵李朱と夜羽は慎ましやかにその胸を張った。


「大丈夫。ボクらインフルエンザ魔クチン受けてるから、並大抵の人間界の風邪じゃうつんない( ˙꒳​˙)」

「なんじゃそりゃ……」

「魔界の予防接種なの。ボクは天使だけど、メイコママの紹介で、魔界の病院に行って恵李朱と一緒に受けさせてもらったんだ」


 もちろん直生たちには何のことやらちんぷんかんぷんの説明だったが、ぎゅっと手を繋いだ夜羽と繋がれている恵李朱には、摩訶不思議的なパワーが働いていて風邪がうつらないらしいということだけはわかった。

 今度は、直生と葉が顔を見合わせる番だ。


「とは言ってもなー……お前らだけで台所に立たせるのはさすがに」

「ねーおばあちゃん( ˙꒳​˙)七草粥の材料って買ってあったんじゃないの? 冷蔵庫にしまってある?」

「最近は寒いから、野菜はざるに乗せたまま廊下に出してあるんだ。この間、近くの市場で安く買えたやつでね。二人が作ってくれるのかい?」


 しんどそうな顔をしながらも、身を起こして頭を撫でてくれた愛理に、夜羽と恵李朱は目を細めて元気よく答えた。


「うん、まかせて」

「がんばるっ」

「ふふ、ありがとう。いい子だね、二人とも」


 少なくとも愛理は、すっかり作ってもらう気満々のようだ。

 根負けした直生たちは、ついに溜息をつきながら肩をすくめた。


「わかった……けど、無茶すんなよ。オレら自分の部屋で寝てるから、スマホの電話は繋ぎっぱなしにしとけ」

「わからない事があったらすぐ聞いてね? テレビ通話なら、私が教えられるし」

「火使う時は気をつけなよ? あと、踏み台は台所の勝手口にあるから……」


 幾ら二人が魔法の使える天使と悪魔とはいえ、見た目にはどこからどう見ても子供なので、鈴木家の面々の心配は尽きない。


「も〜、大丈夫だよみんな、そんな心配しなくても( ˙꒳​˙)子供じゃあるまいし」

「う、うん……みんなはゆっくりしてて。二人いればなんとかなるもん」


 恵李朱は謎に自信満々で胸を張っているが、夜羽はまだ若干不安そうな顔つきだ。


 とりあえず、体も冷えるのでその場は解散し、皆部屋に戻ってから改めてグループ通話を開いた。

 枕辺でハラハラしている面々の気持ちも露知らず、台所に移動した恵李朱は、使い魔のサソリにスマホを持たせながら呑気に手を振っている。


「みんなやっほ〜。これから作りま〜す」

「おばあちゃんのカメラだけ、天井映ってるね」

『あー……多分繋げるだけ繋げて寝ちまったんだろ。愛理の奴、一回ぐっすり寝入っちまうと全然起きねえからな』

『まぁ、病人にはその方がいいけどね……』


 直生と葉も、各々布団を被りながらこっちを伺っている。藍は呼び出されるまで休息を取ることにしたらしく、カメラには暗い室内と、チェックのカバーが掛かったベッドが映っていた。

 うんこらしょとザルを運んできた夜羽がそれをテーブルに置いて、二人は野菜を選別し始める。


「七草ってどれかな( ˙꒳​˙)」

「えっと……すずな、すずしろ、ほとけのざ、あとはなんだっけ。はこべ……? すずしろは、大根のことだよねぇ」

「めんどくさいから全部入れちゃおうぜ( ˙꒳​˙)」

「あっあっ、恵李朱、ちぎっちゃダメだよ、根っこは包丁で切るんだよ!」


 寝落ちてしまった愛理と藍を除くと、結局起きているのは、子供二人が心配で寝ていられない直生と葉だけになった。

 エプロンと三角巾姿の二人が踏み台の上で米を研いだり、ザルと土鍋を流しの下から出そうとしてひっくり返ったり、重そうな包丁を覚束ない手で持ち上げる様は何とも危なっかしく、眠気も吹き飛んでしまうほどだ。

 直生も葉も、今にもベッドから腰を浮かしかけそうになったが、なんとか作業が水を測るところまでいったあたりで、やっと二人で一息ついて声を掛け合った。


『やっぱ、オレらが行った方がよかったんじゃねぇかな……』

『そしたら休んでる意味ないだろ』

『ここで起きてても休んでる意味ねぇだろ……ったく、いくらあいつらが愛理の手伝いした事あるとはいえ、どーにも見てらんねえんだよなぁ』

『まぁ、俺らが子供の頃だって似たり寄ったりだったろ。可愛い子には旅をさせろって言うじゃん。げほげほ』


 と、二人がしんどいながらも懐かしく話していた刹那。


 ドォーン!!! ととんでもない爆音が家からもスマホからも響き渡り、二人は大慌てで画面を覗き込んだ。

 画面の中も、白いんだか黒いんだかよくわからない煙が立ち込め、大変なことになっている。

 一瞬目を離した隙に何をやらかしたのかと、愛理以外の全員が目を覚まして呼び掛ける最中、煙の向こうから蛇を携えた恵李朱がにゅっと顔を出した。換気扇をつけたようで、徐々に画面が視界を取り戻していく。


「……えー、皆さん。ただいまのは訓練です( ˙꒳​˙)落ち着いてください( ˙꒳​˙)」

「「いやおもっくそ天井に穴開いとるやろがい!!!」」


 直生と葉のツッコミがぴったりハモったのは微笑ましいが、それどころではない。

 一体何をどうしたらそうなるのか。土鍋が割れて天井に欠片は刺さるわ、おかゆは四方八方に飛び散っているわ、何よりガスコンロの真上に大穴が開いているわで、全員風邪で寝込むよりよっぽど凄まじい惨状が画面に広がっている。


『お、おい! お前らケガは!?』

「ボクと夜羽は大丈夫。でもおかゆが……(´・ω・`)」

「うわああ〜〜〜〜ん。恵李朱が変なもの入れようって言うからぁ〜〜〜〜」

「泣くなよぉ。みんなが早く元気になるように、魔界の滋養強壮剤入れようとしただけじゃん……」


 床にぺったりお尻をつけて大泣きする夜羽の横で、恵李朱は困り顔だ。

 作り方を間違ったのか、入れた材料が悪かったのか、はたまたその両方かはわからないが、とにかく台所が普通の使い方では考えられないダメージを負ったのは間違いない。

 直生たちが驚くやら呆れるやらで言葉を失っているのを前に、恵李朱は八重歯が見えるほど慌てて言った。


「だっ、大丈夫! 魔法で直すから!」

『わかった。わかったから、とりあえずオレそっち行くわ……』


 魔法を使うにしろ使わないにしろ、誰かついていた方がいい。

 そう思って腰を上げかけた瞬間、台所に足を踏み入れる音がして、直生は動きを止めた。

 新たに声が二人分、画面の中から聞こえてくる。


「なんかすごい音したけど大丈夫?」

「うわぁ……これは……」


 その方角を見て、夜羽が恵李朱にしがみつきながら怯えるのが、画面に映っていた。


「どっ、どうしよう(´;ω;`)知らない人が入って来ちゃった」

「落ち着いて夜羽、知ってる人だよ( ˙꒳​˙)」


 先程から撮影係をしている使い魔のサソリは、即座にスタンドに化けてカメラをそちらに向ける。

 そこには、よく見知っている人物の姿があった。


『さ、さくらさん!? と、藤崎さんまで……』


 芸能界での大先輩である満橋さくらと、そんなさくらが懇意にしている友人、藤崎がコート姿でそこに立っていた。

 相変わらずのどこか面白がるような笑みを浮かべながら、満橋は画面の向こうの直生に向かって手を振る。


「こんにちは。直生くんが風邪引いたらしいって聞いたから、からかいついでに見舞いにでも行こうかと思ったんだけど」

『そっちがついでなのおかしくないっすか!? てかどっから情報漏れてんだ!?』

「いや、そっちの事務所に新年の挨拶に行ったら、直生くん仕事休んでるって聞いたから」

『うっ……ライラに釘刺しとくんだった……』

「でも、お見舞いよりこっちを何とかした方がいいみたいだね」


 さくらの台詞の途中から、藤崎はもう床の破片を拾って集めてくれている。

 涙を溜めてその姿を見ている間に、はっと二人のことを思い出した夜羽は、慌てて流し台の下に潜り込んで、調味料の隙間に隠れてしまった。

 二人とは夏祭りや鈴木家のクリスマスパーティーでも顔を合わせているが、天使の勘で、夜羽はどうも藤崎のことを苦手としているらしい。普段は藤崎が来ると押し入れに隠れてしまうのだが、台所では場所がなかったが故の苦肉の策だ。もうこれは、反射と言ってもいいだろう。

 一緒に片付けている恵李朱と閉まった流しの扉を見て、藤崎は小さく寂しげに微笑を浮かべた。


「おや。怖がらせちゃったかな」

「ごめんなさいね( ˙꒳​˙)うちの子人見知りなの( ˙꒳​˙)」

「君は毎回喋り方変えてくるけど、一体どういうキャラなの?」


 弟とも思えない言い回しをしながらも、夜羽の分までさっさと働いて周囲を綺麗にしていく恵李朱を、満橋も手伝いながら壁の破片を引っこ抜く。

 それから腰に手を当て、梯子なしでは届かない天井の穴を見上げた。


「うーん……これはさすがに、パテだけじゃ塞がらないなぁ。石膏ボードが要るかも」

『えっ。さくらさん、まさかそれ直す気なんですか……?』

「DIY歴長い人間を舐めないでくれる? まあ、ここで新年早々直生くんに貸し作っとくのも、悪くはないし」

『オレは困るんですけど!?!?』


 見舞いの品を持ってきてくれただけで十分借りだというのに、穴の開いた天井を大先輩に直させるなど、もはや返すにも返しきれない借りでは……と戦々恐々とし始める直生。

 そんな直生を置き去りに、満橋は修理する気満々のようで、既に腕まくりしている。


「えっと……エリスくん、お使い頼んで大丈夫?」

「おねーさんが直すの?」

「今から言うもの出してくれればなんとか。ああでも、もう昼だし、この家の人たちのお昼ご飯を先に用意した方がいっか」

「それだったら、僕が買い出し行こうか。丁度、壁と床は片付け終わったから」


 このあたりの土地勘はまだない藤崎が、スマホで地図アプリを操作しようとしていると、そろそろっと台所の下の戸が手前に開いた。


「あ、あの……ボクが、一緒に行きます」

「おや。僕が一緒でいいの?」


 ひょっこり出てきた夜羽が、藤崎の前でぶんぶん頷いている。

 その反応に、藤崎も恵李朱もちょっと意外そうな顔をしたが、ほうきとちりとりで塵を掃きながら恵李朱は即座に言った。


「じゃあ、二人は食糧の調達お願い。七草粥は吹き飛ばしたから、もう作れなくなっちゃったし」


 夜羽と藤崎が出て行くのを見送って、満橋が恵李朱を振り返る。


「さて。脚立は物置きにあったよね。あとは何か、これを塞ぐものと壁紙を……」

「はい( ˙꒳​˙)」


 既に脚立の足元で四角く切られた石膏ボードを差し出す恵李朱を見て、満橋は驚くを通り越し、胡散臭そうな顔になる。


「物置にあったよ( ˙꒳​˙)」

「いや、君今物置に行ってすらないでしょ……」

「まあまあ、細かいことは気にせず」


 恵李朱たちの摩訶不思議な能力については、満橋たちも薄々勘付いてはいるものの、あまりにも隠し方が雑なので呆れるばかりである。

 脚立を登った満橋は、まずノコギリで割れた天井の周辺を取り除いた。天井板を支える木の支柱と、屋根裏がお目見えする四角いスペースがぽっかりと開いたところで、恵李朱が石膏ボードを渡す。

 既にぴったり穴の大きさに嵌るよう切られていたそれを、満橋は片手で押さえて当てながら、電動ドリルを使って器用に支柱に留めていった。


「すごい、魔法みたいだ」

「そういうのは君らの方がよっぽど得意じゃないの?」

「でも、手作業の方が味わいあるって言うから」


 感心した恵李朱が、パテと塗装用のヘラを満橋に手渡す。

 それを取り付けたボードと天井の境目にまんべんなく塗り、隙間の段差をなくしてから、満橋は脚立を降りてきた。


「あれ、もうおしまい?」

「乾くのに時間かかるから。形を整えるのに五時間……完全に乾くまで一日ってところかな。シートを貼るのはその後だね」

「じゃあ、早く乾いたらおねーさんすぐ作業できる?」


 言うなり何なり、恵李朱はポケットの中から何かをごそごそ取り出した。

 手のひらに載せられたタイマー式のそれは、言ってみれば小型の爆弾に見えなくもない。それを投げて天井にべたっとくっつけると、恵李朱は言った。


「これね。時間を早送りするタイマーなの。さっき一日って言ったから、24時間分」

「……ほんとだ。もう乾いてる」


 パテの部分に手を走らせた満橋は驚いた顔をしたが、続きの作業ができるならということで、でこぼこした箇所にヤスリをかけ、仕上げに貼り付ける天井用の壁紙に糊を塗っていく。

 よほどDIY熱がすごいのか、この家でのおかしな現象には慣れているのか、早送りできるタイマーにも天井と全く同じ壁紙が即座に出て来たことにも、一切突っ込まなかった。

 ぺたりと薄い壁紙を丁寧に貼り付け、下から補修された天井を見上げた満橋は、その出来に満足そうに頷く。

 恵李朱はその横で興奮気味にぴょんぴょん飛び跳ねていた。


「うん。これでよし」

「すごい。外から見ても全然わかんないよ。ほんとに魔法?」

「これは人類の技術力の勝利。それより、さっきのタイマーすごくよかったな。私も一個欲しい」

「んー……あれはね、現世に干渉する時は、なかなか使用許可降りないから。さっきは、ボクの失敗でお粥作りに失敗して天井に穴開けたっていう、ものすごいくだらない理由だったからすぐ降りたけど」

「何がどうしてそうなったのか、魔法よりよっぽど不思議すぎる理由だね……まさか屋根まで貫通してないよね?」

「……大丈夫だと思うけど( ˙꒳​˙)」


 顔を見合わせた二人は、念のため外に出て屋根を点検しに行くことにしたのだった。


*****


 一方こちらは、買い出しに出た藤崎と夜羽である。

 夜羽は若干おどおどしながらも、人通りの多く安全そうな道を選び、車道側を歩いてエスコートしながら、藤崎をスーパーまで案内してくれた。

 大量のレトルト食品が並んだ棚で、藤崎は籠を携えながら、夜羽と共に品物を眺める。

 先程、鈴木家を訪れる前に満橋と見舞い品を買いには行ったが、インスタント食品が主でレトルトはあまりなかったはずだ。おまけに直生だけでなく一家全員がダウンしているとなると、数量にも不安がある。


「何人分あればいいんだっけ?」

「えっと、いち、にい、さん……五人です」


 指を折って数えた夜羽が、つぶらな瞳で見上げてくる。

 その表情を見るに、おそらく自分たちを勘定に入れていないだろうなと察した藤崎は、多少多めに品物を籠に放り込んだ。

 藤崎が選んでいたのはシチューなどのスープ類で、お粥は夜羽に頼んだのだが、ふと横を見ると、夜羽は陳列棚の間で真剣にレトルトパウチのパックを持ちながら匂いを嗅いでいた。さすがにそこからは匂わないんじゃないかなと、藤崎は言おうかどうか迷いつつも、微笑ましくその様を見守る。


「どれにするか決まった?」

「あ……え、えと、卵にします」


 卵と玄米のお粥を持ってくる夜羽。

 五人分以上買うと、レトルト食品はそれなりの重さになる。カートを持ってくるべきだったかと、藤崎が籠を手で持ち直すのをじーっと見ていた夜羽は、指先でちょんとその籠に触った。


「あれ? なんか、急に籠が軽く……」

「へ、へー。藤崎さん力持ちデスネ」


 表情を変えないよう必死になりながら、あまりにも棒読みでそう言うので、魔法で何かしたのがバレバレの夜羽だったが、藤崎は敢えてそれに気付かない振りをして微笑む。


「これだけ軽ければ、生鮮食品の買い出しも大丈夫かな。何か冷蔵庫で足りないものがあったか覚えてるかい?」

「んっと……人参が少なかったかも。あと、白菜と、じゃがいもと、お豆腐と……」


 お粥で天井を吹き飛ばしたと聞いたから、余程料理音痴なのかと思ったが、意外にも夜羽は食料品のストックを計算するのが上手いらしかった。

 夜羽への褒美にお菓子の棚でアイシングクッキーをひとつ買い、病人でも食べられそうな消化の良い食材を中心に選ぶと、山盛りの籠を持って二人はレジを通過する。

 鈴木家で借りたエコバッグに品物を詰め、それを肩に掛けて出ようとした時、藤崎は入口の人だかりの前で足を止めた。

 新春セール真っ最中のようで、ワゴンに盛られた大量のセール品の前に、人々が群がっている。


「まあ、安く仕入れられるとなると、買いたくなるのが人間の心理だからね」

「ぴぇ……」


 いつの間にか自分にくっついて隠れている夜羽を見て、藤崎はしばし考えた。この人混みを通り抜けるわずかな間にも、この小柄な少年はいとも容易く押し流されていってしまいそうだ。


「はい」


 思わず反射で手を差し出してから気付く。自分に怯えている少年には、この手は握れないのではないかと。

 けれど夜羽は、おずおずと藤崎を見上げてから、色黒の小さな指先で藤崎の手を握った。子供といっても小学校四年生か五年生ぐらいだというのに、思ったよりずっと小さく感じる手だった。

 溢れんばかりの人波を通過する間にも、離れないようにと夜羽の手がぎゅっと握り返してくる。

 その握り方に一瞬過去の記憶がぎった藤崎は、小さく頭を振って、夜羽を連れたままスーパーの入り口を抜けた。


 横断歩道まで着くと、夜羽は藤崎に買ってもらったアイシングクッキーを大事に胸元に抱き締めながら、時々持ち上げて袋に鼻先をくっつけていた。

 一応はバッグの中に入れていたのだが、さっきの人波で割れていないかが余程心配だったようで、熊の形に作られたそれを袋ごと見せてやると、安心したようにずっとそれを持っている。

 赤信号の間、藤崎は隣の夜羽に尋ねた。


「そんなにいい匂いがする?」

「人間や人の作った物は、魂の匂いがするんだって。ボクは天使だから、そんなにちゃんとはわからないけど……恵李朱はもっと敏感だからわかるのかなぁ」


 すんすん、と鼻を鳴らす姿を前に藤崎は考える。

 ともすると、お粥を嗅ぎ分けようとしていたあの行為も、魔法使い的にはあまり間違っていないのかもしれない。果たしてパウチも含めた人造物が一体どこまで匂うのか、藤崎にはわからなかったが。

 青信号になる前に、夜羽が頬を緩めて言った。


「このクッキーは、藤崎さんが買ってくれたから、いい匂いがする。本当はちょっと、こわい匂いもする……でも、このクッキーを買ってくれた藤崎さんは、いい匂いなの」


 そう言いながら、長めの髪を揺らしてにっこりしている。

 肩から下げたポーチに、リボンのかかった袋を大事にしまってから、夜羽は空いた藤崎の手を自分から握った。

 その挙動に少し驚きながらも、小さな夜羽が足を滑らせぬようにと足元に気を付けながら、藤崎は鈴木家への家路を歩いた。


「ただいまぁ……」


 台所の扉を開けた夜羽の鼻を、いい匂いが擽る。

 驚いて二人で中に入ると、土鍋の前でお玉をかき回している、踏み台の上の恵李朱と目があった。


「あ、おかえり」

「あっ、あれっ……? おかゆ、できてる」

「七草はエリスがほとんど吹き飛ばしちゃったみたいだから無理だったけど、大根と蕪はまだ余ってたから、私が適当に作ったんだよね。二種類だから二草粥かな……? まあ、何もないよりはいいと思って。それにこの人数じゃ、すぐなくなりそうだし。二人が買い物行ってくれて助かったよ」


 テーブルの方からそう言ったのは、エプロン姿の満橋だった。どうやら、台所にあったものを勝手に拝借したらしい。

 炬燵机の方では、既に直生と葉がうつらうつらする愛理を挟んでお粥を囲んでいたが、若干様子がおかしい。


「おい、葉! オレが先に愛理にあーんするんだよ!」

「はぁ? いつも長く家にいる僕の方が先でしょ」

「んなん関係ねぇし! オレの方が愛理のこと愛してるに決まってんだから、オレがやって当然だろぉ」

「それで言うなら僕の方がよっぽど父さんを愛してますけど???」


 どうやら、あまりの熱と疲労で、二人とも普段は隠している本心がダダ漏れになっているらしかった。

 それに便乗した満橋は、自分も匙で藍の口元にお粥を差し出して、彼女を慌てさせている。

 呆気に取られていた藤崎は、思わず小さく噴き出して笑い出した。


「まったく。いつ来てもこの家は賑やかだね」

「あのー、手伝ってもらった身の上で言いづらいんだけど、ボクらはともかく、二人は風邪うつっちゃうから早く帰った方がいいと思いますよ( ˙꒳​˙)」

「そうさせてもらうよ。客が居座ってたら、皆休みづらいだろうし」

「えっ。藤崎さんおかゆ食べないの……」


 もじょもじょと言った夜羽が、藤崎に見つめられてだんだん小さい声になる。

 マフラーを巻き直して身支度を整えた藤崎が、居間の入り口で軽く夜羽の頭を撫でた。


「みんなが落ち着いた頃にね。君が作ってくれたら、また食べに来るよ」

「ほんと?」

「今度は、お鍋を爆発させないようにね」

「は、はい」


 藤崎に言われてもじもじと頷く夜羽の元に、満橋もやって来た。


「私もライブ飛ばすわけにいかないからいい加減に帰るけど、本当にあとは君たちだけで大丈夫?」

「大丈夫( ˙꒳​˙)お粥食べて薬飲んだら、直生くん正気に返ると思うから」

「あの状態はあの状態で面白いから見ていたかったけどなぁ。すっごいイジりのネタ見つけちゃった」

「そ、それはそれで直生くん困るんじゃないかなぁ……!」


 わたわたする夜羽と、その隣でいつもの得意げな顔をする恵李朱を、ふっと微笑んで順にぽんぽん撫でてから、満橋がコートを着て外へ出る。

 二人を玄関先で見送った後、せめてここからは大失敗せずに看病しようと、夜羽たちは神妙な顔で家の中に戻ったのだった。

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