第26話 パラライズスパイダー
昼過ぎということもあって、森は生き物の気配に溢れている――かと思いきや、魔物が出没する浅瀬のようにさっぱり小動物の鳴き声が聞こえない。
これは……完全に異常事態だな。
さっきから、肌に当たる空気がピリピリとしている。とてもではないが、魔物相手に戦う術を知らない猟師や村人では、太刀打ちできないだろう。
いつもより樹上に気を付けながら、猟師に教えてもらった大木を目印に森を進むこと五分。
猟師の言っていた大木の根元へとたどり着いた。木の根元は、背の低い草しか生えておらずぽっかりと空き地のようになっている。近くを探ると罠にかかったと思われる動物の骨が、バラバラに散っていた。
猟師の言っていた場所はここで間違いない。
ここにパラライズスパイダーが居たはずだ。念入りに周囲の痕跡を探すと、樹上から垂れ下がったキラキラと光を反射する糸があった。
細くてシルクのように頑丈な
何故、こんな外周にまで魔物が出現したのか……と気になることはあるが、まずは周辺を調査して安全を確保しなければ。
事が起きたのは一か月前。
パラライズスパイダーは臆病で、決して自分より力のある敵を襲わないから森の外周では好き放題しているはずだ。周囲にパラライズスパイダーの巣が作られていないことを確認したら、俺はここを通ったであろう冒険者の足跡をたどることにした。
「まだ新しい方を
大木の側には、二種類の足跡が残されていた。
俺の足より一回り大きなものと、二回り以上小さなもの。どちらも装備を背負っていた影響で地面に深い跡が残っていて、追跡は容易だ。
体から力を抜いて、呼吸を深く、ゆっくりと繰り返す。
余計な感情を押し殺すことで、狩人は森に紛れ込む。ゆらり、と体を傾けると滑るように森の中を走り始める。音もなく、薄暗い森を駆け抜けるこの走り方は、体重移動が肝だ。
目線は地面の足跡を追いつつ、それ以外は常に樹上の気配を探るために
(枝が折れている……足跡の間隔も広がった。ここから戦闘が始まったか?)
足跡を追っていると、派遣されてきた冒険者は二人とも近接戦闘に長けた職業だと推測できた。ある程度、森の歩き方は知っているが外周だからと油断した痕跡が散見される。
途中、目の前をふわりと蜘蛛の糸が横切った。
咄嗟に体を倒してくぐり抜ける。あれはパラライズスパイダーの巣につながっている糸の一部……のはず。あれに引っかかれば、その存在を感知されたも同然だ。
ここから先は、より一層の注意を払いながら進む必要がある。
この薄暗い森で、木漏れ日に煌めく糸を引っかけないようにしながら進むのは、森に慣れていない冒険者には難易度が高かっただろう。
心の中で顔も知らぬ冒険者に合掌しつつ、先を急ぐ。
ふわふわと浮かぶ無数の蜘蛛糸を、引っかけないように進んでいると頭上に、パラライズスパイダーが移動用に使ったとみられる
大木から歩いて二〇分、浅瀬と外周のちょうど中間の位置になるだろうか。
この辺りからテリトリーらしい。目線の先で、木漏れ日を受けて光を反射する糸の量が段違いだ。
「分かりやすくて、助かるよ」
グッとお腹に力を入れて、再び精神統一を図る。
万が一、パラライズスパイダーと戦闘になっても、問題なく討伐できる自信はある――あるが、俺のいるここが森である限りいつ何時でも油断しないのが、狩人として生きる上での鉄則だ。
クロエにもこのことは口酸っぱく言って聞かせている。
森では本当に何があるか分からない。圧倒的な上位者でさえ、不意を突かれれば命を落としかねない場所が森なのだ。
猫のように体をしならせながら、スパイアニメのように縦横無尽に張り巡らされた蜘蛛の糸を避けて進むと、少し先で何かが動く気配を感じた。ピタリ、と動きを止めて様子を窺うも聞こえてくる息遣いが弱弱しい。
そっと場所を移動して気配の下へと近付いていくと……。
何の変哲もない木の根元に、紫色の髪の冒険者らしき少女が倒れていた。
「はぁ、はぁ……」
少女の足元には剣が転がっており、剣にはパラライズスパイダーのものと思われる体液が付着している。この少女が、ジルの言っていたCランク冒険者だろうか。
幼い顔立ちにしては大きな胸が弱々しく上下している。目は
周囲の足跡を見ると、少女がパラライズスパイダーの奇襲を受けて何とか抵抗しようとした痕跡が見られるが、結果は見ての通り。必死の抵抗虚しく、パラライズスパイダーの麻痺毒を受けてしまっている。
何故目の前の少女が生きているのか。それはパラライズスパイダーがとんでもなく紙装甲で、なおかつとんでもなく用心深い魔物だからだ。
見たところ、毒を受けて数時間といったところか。
体の大半は
獲物が十分弱り切った後、トドメを刺して巣に持ち帰るのだ。
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