第2話 流れてきた少女

 日の出前に目を覚ました。


 小屋から出て用を足し、かめに貯めてある水で顔を洗う。一昨日、例年より十日ほど早く初霜はつしもが降りたが、それでも今年は暖かいほうだとディンは思っていた。


 夜が明けないうちに薪割りをしたかったが、昨日、隣のガフテン爺さんからやかましいと怒られてしまった。だから仕方なく、ディンは剣を手にして畦道あぜみちに出て素振りを始めた。


 本当は剣など振りたくはないのだが、男なら多少の心得は必要だと、育ての親であるパチェット婆さんに言われ、一日千回、剣を振るうことを日課にしていた。


 だからといって剣の腕が上がるわけでもなく、体を支える杖を手にしたパチェット婆さん相手に打ち合いをしても、ディンは簡単に打ち負かされてしまう。


 強い弱いの問題ではなく、ディンは単純に暴力が嫌いだった。嫌いなことは無理強むりじいされても上達はしない。そしてそれでいいと、ディン自身も思っていた。ここでパチェット婆さんの面倒を見ながら、木をり出し、畑を耕して生きていく。


「もう水が少ないなぁ」


 瓶の中を覗き込み、溜息を吐いた。寒さが酷くなる前に、お湯を沸かして婆さんをお湯につかからせてやりたかった。

 婆さんはだいぶ前から関節の病気をわずらっていて、冬になると野良仕事をするにもつらそうな顔を見せるようになってきている。医者に見せるお金などないから、せめて風呂にくらいは浸からせてやりたかった。


 天秤棒てんびんぼうたるを括りつけ、川へ向かった。

 井戸などないから、水は毎朝使う分だけディンが担いで持ってくる。婆さんを風呂に入れるとなると、少なくとも四回は川と小屋を往復しなければならない。


 小屋から丘ひとつへだてた場所を流れるゲール川は、クルポトド山脈から流れる支流のひとつで、水量が多く流れが速い。


 樽を降ろし柄杓ひしゃくで水をすくっていると、ディンの前を車輪が流れていった。真っ白に塗られた大きな車輪で、車軸の中央に金属のエンブレムが飾り付けられていた。川はいろんな物を運んでくるが、これだけ大きく、派手な色をした車輪を見たのは初めてのことだった。


 川岸を走り、ディンは流れていく車輪の後を追った。あれだけ見事なエンブレムを付けた車輪だ。引き上げられれば町へ持って行って売れるかもしれない。お金が入れば、婆さんを医者に見せることができる。


「あれ、あれは・・・・・、人か?」


 川の中央に突き出している岩場の上に、人が横たわっていた。暗くて良く見えないが、それほど大きくはない。子供か女の人だろうと見当をつけた。


 流れの速いゲール川は泳ぐのに適した川ではない。倒れれている人間を救いだすには、川に散在する岩から岩へと跳び移るしか手はない。


「よし!」


 意を決して川岸から手近な岩へと跳んだ。弾みをつけ、岩から岩へと跳び移る。

 人影のある大きな岩へと着地した。


「女の人、女の子か」


 屈みこんで人影の手を取ってみる。


「脈が無い。死んでるのかな?ここに残しても置けないし」


 人影を抱えあげ、肩に担いだ。


「ううっ、重い。行けるかな」


 川の流れは速い。落ちればディンも流される。


「行くしかない」


 岩を目掛けて跳んだ。先ほどとは違い、ポンポンとは跳べない。ふらつきながら、なんとか川岸まで辿たどり着いた。

 影を地面に降ろし、呼吸を整えた。


「ふう、これでよし。だけどこの人、どこから流れてきたんだろう」


 ディンの暮らす集落は、住人の名前を取ってガフテンとパチットの家ら辺と呼ばれている。一応、山のふもとのパイポの村の一部とされてはいるが、ディンが住む集落から先に人は住んでいない。村の人間である可能性は低い。


 東の空から、太陽が姿を現した。陽光は闇を切り裂き、辺り一面を鮮やかに彩りながらディンとかたわらに横たわる人影を照らし出した。


 陽の光に照らし出されたのは、鮮やかな金色の髪を持つ少女だった。十六、七才、おそらくディンより二つ三つ年上だろう。純白のドレスをまとい、すらりと伸びた四肢を持つ美しい少女だ。


 ディンは少女の唇に耳を近づけ、呼吸の有無を確認した。息はしていない。細い腕を取り脈を調べてみたが、それも反応がない。


「死んじゃってるのかな」


 そうは言ってみたものの、濡れそぼった少女の頬にはまだ赤みが差している。どうみても死んでいるようには見えない。


「ガフッ」


 不意に少女の口から水が噴出ふきだし、驚いて跳び退すさった。


「生きてる。この子、生きてるぞ」


 少女の背後から腕を廻し、胃の辺りで指を組んでげんこつを作って立ち上がった。


「グブッ!」


 少女の口から、大量の水が吐き出されてくる。二度、三度と揺するうちに水は止まった。


「ええっと、どうするんだっけ」


 以前、パチェット婆さんが川で溺れた人を助けたことがある。ディンはその時の様子を思い出した。


「ああそうだ、まずは胸を開いて」


 草地に横たえ、少女のドレスをいだ。フリルのついた衣装を剥ぐと、同じように白い下着が見えた。


「乳首と乳首の丁度真ん中」


 少女の胸の中央に両手を当て、一気に押し込んだ。素早く十数回押し込むと、首の下に手を当て、少女の顎先あごさきを空に向けた。心なしか少女の唇が青からピンク色に変化している。


「空気をお腹に流し込む」


 わずかに開いた少女の唇をおおい尽くすように唇を重ね、一気に息を吹き込んだ。

 顔を覗き込むと、少女の眉が僅かに動いている。


「生きてる。もう少しだ」


 平手で顔を引っ叩くと、少女は露骨ろこつに嫌そうな表情を浮かべる。


「ええっと、反応が無ければもう一回繰り返す」


 少女を横たえ、乳首と乳首の間に手を当てて、再び強く押し込んだ。


「痛っ、イタイ」


 少女の口から呟きが漏れた。


「空気を吹き込む」


 ディンは構わず、少女の唇に口を寄せた。


「なぁにさらすんじゃ、エロガキが」


 少女の右手が河原の石を掴み、ディンのこめかみを叩いた。


「痛ぇっっ」


 頭を抱え、ディンは河原を転げ回った。


「人が気ぃ失ってるのをいいことに何さらすんじゃ、このガキ。乙女の唇を奪っておいて唯で済むと思ってねぇだろうなぁ」


 血のついた石を持ったまま、少女が立ち上がった。


「良かった。生き返った!」


「おお、生き返ったわ。代わりにお前が死ね」


「ええっ?なんでどうしてどうなって?おれ、あなたのことを助けたんですよ」


「どさくさにまぎれてキスしてたろうがよ。お前みたいなガキに奪われる為、いままで貞操守り通してたわけじゃねぇんだぞ」


「前にばっちゃんがおぼれた人を助けたことがあって、それをそのまんま真似しただけだよ。それなのに、石で頭殴るってどういう人なんですかあなた」


「えっ?そうなの?」


「お腹の中に空気を入れれば、生きてれば息吹き返すって、ばっちゃんそう言ってたから」


「わたし、溺れていたのね。それを、きみが助けてくれた・・・・・」


「そうです。息してませんでしたよ。あのまま放って置いたら死んじゃうから、仕方なく」


「そうなんだ。ごめん、なんか勘違かんちがいしちゃって。ほら、おとぎ話にあるじゃない。眠ってる王女様にキスしたら、王女様が目覚めて逆玉に乗っちゃうみたいな。あれを地で行ってるんじゃないかなってちょっと思ったの」


「ちょっと思っただけで、普通人の頭を石で殴らないですよ」


「ああんもう、過ぎたことをグチグチと。ねぇ、わたし死にかけてたんだよね。つまりわたし、すっごく弱ってて、今が一番大切な時なんじゃない?それなのに、頭殴ったとか殴らないとかくだらないことばっかりのたまわって、きみそれでも男の子?」


「元気そうじゃないですか。ぼくのほうがよっぽど酷いですよ。でもまぁ元気みたいだからいいです。ぼく、もう帰っていいですか?」


「ダメ!」


「えっ?もう平気そうじゃないですか」


「だってわたし、ここがどこだか全然わからないんだもん。こんなところに女の子ひとり置いて帰る気?それってすっごく心配じゃない?」


「危なくなったらまた石でぶん殴ればいいじゃないですか」


 少女は手にした石を投げ捨てた。


「ほら、もう石持ってないから。ただの無防備なか弱い女の子だから。オッケー?」


「なんか納得いかないけど。でもまぁいいです。それで何をすればいいんですか?」


「まず部屋を用意して。清潔で風通しがよくって、見晴らしのいい部屋がいいわ。そこに天蓋てんがい付きのベッドと香をきこんだシーツに羽毛布団、あと鏡台を入れておいてね。隣の部屋にはバスタブね。ゆっくり休みたいから部屋の中にはラベンダーの香料を振っておいて。それから夕食は、蒸した魚料理ね。食欲はあまりないから、パンはいらない。かわりにオートミールを少しと、新鮮なクランベリージュースが欲しいわ」


「あの・・・・・」


「ああそうだ、バスタブにはヤギのミルクで作った乳液を用意しておいて。いい?絶対にヤギだからね。わたし肌が弱いから、牛やロバのミルクは受け付けないの。ああっとそれから・・・・・」


「布団って、なんですか?」


「へっ?」


「キョウダイってなんですか?ラーベンダ?あと、オートメーダとかなんとか。それ、どこの国の言葉ですか?」


「またまた御冗談を。お布団がなかったら、あなた毎日どうやって寝てるの?」


「シーツにくるまって藁敷いて寝てるよ。ばっちゃんもおんなじ」


「藁敷いて寝てるって、なにきみ、生まれたての子馬かなんかなの?」


「う~ん、違うけど。でもまぁ、うちに来てみればいいんじゃないかな。きっと気に入るから」


「そうね。いくら土地が違うっていったって、同じ人間が住む場所だもんね」


「よし、じゃあ行こう。ばっちゃんがきっとスープ作って待ってるから」


 少女のお腹が音を立てて鳴ったのを見て、ディンは思わず笑いだした。


「なんだ、お腹減ってるんじゃない。だったら急いで帰ろう。待ってて。今、水んでくるから」


 木樽を手に下げて、ディンは川に向かって歩きだした。


「ねぇ、きみ。きみ、名前はなんていうの?」


「おれ?おれは、ディンっていうんだ。ディン・シャロン・グーグー。あなたは?」


「わたしは、リュア。ただのリュア」


「リュア。そっか。よろしくねリュア」


「よろしくてよディン。いちおうお礼は言っておく」


 ディンはリュアに向かって微笑みかけた。少しだけうつむいたまま、リュアはぎこちなくディンに笑い返してきた。

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