*
翌朝、バキバキになった身体を伸ばしてから立ち上がる。お姉さんはまだ熟睡中。机の下から這い出て朝食の準備を始める。
内容は夕食とほとんど一緒。炊き立てのご飯と余り物の肉じゃが、白菜の浅漬け、味噌汁。それから昨日買ってきたカットサラダ。これにさっぱりと梅ドレッシングでも掛けよう。
二人分の食事を用意して、そっとお姉さんの肩を揺する。今日は休日とはいえ、予定があったら困る。そんな人ではないと思いたいけれど、予定に間に合わなかったことを俺のせいにされるのも困る。
「お姉さん、お姉さん」
肩を揺する。今回は慎重に。つつくように。また嘔吐されるんじゃないかと警戒してしまう。
「んっ」
お姉さんが呻く。意識が浮上してきたことを確認して、ぽんぽんと肩を叩いてみる。
「お姉さん。起きれますか?」
「うっ、やめ、て……あたま、いたい……」
はい、二日酔い。どうにか引っ張り起こす。
「おにぃ、あくまぁ」
「はいはい」
ほとんど初対面の、なんなら介抱した相手に対してその口の利き方。寝ぼけているだけでなく二日酔いで認識力が低下していると分かっているから許す。けれど面と向かって言われたら、苛立ちで作り置きを一か月分作るだろう。無心になって包丁で切り続ける。
お姉さんの背中を壁に凭れかけさせて、俺は水を汲んで戻る。
「お姉さん、はい、お水」
水を手渡して、支えながらどうにか飲ませる。眉間に皺が寄りっぱなしのお姉さん。辛そうに飲み干した。
「ありがと」
「いえいえ。それで? 今日のご予定は?」
「んー、ない……」
「良かったです。食欲は?」
「おなか? すいた」
まだ眠さと辛さでうだうだしているお姉さんの前に朝食を並べる。少なめにした上で、ご飯にはお茶漬けの素とお湯をかけてあげた。
「はい、召し上がれ」
「ん、いたぁきまぁす」
呂律が怪しすぎる。手元から箸を回収してスプーンとフォークを置いておく。床が悲惨なことになるのはごめんだ。
お姉さんは一口、躊躇なく食べる。今どこにいるのか、目の前の相手は誰なのか。それすら分からないのに、食事に対して躊躇がないのは精神が図太過ぎる。
けれどやっぱり顔色も髪質も良くない。顔色の悪さは元々のものに二日酔いが追加されているからかなり青く見える。捨て猫を拾いたくなる気持ちが分かってしまいそうで、慌てて目の前の自分の食事に集中する。
「おいしい……」
そう呟かれた声を聴いて、顔を上げる。するとお姉さんはぽろぽろと涙を流していた。
「ちょ、え、大丈夫ですか?」
流石にテンパらずにはいられなくて、お姉さんの傍に寄って背中を擦った。何が起きたのか分からなくて、二の句が継げない。ただ背中を擦っていると、お姉さんがぐしぐしと袖で涙を拭った。俺の服なんだけど、なんて野暮な言葉は飲み込む。
「こんなに温かいご飯、久しぶり」
しっかりとした口調。優しい声。お姉さんの目が俺の目を捉えた。初めてしっかり目が合うと、お姉さんは小さく微笑んだ。
「ありがとう」
「い、いえ」
俺は少し戸惑って、それだけしか言えなかった。そのままなんとなく見つめ合っていると、お姉さんが不意にきょとんとした。
「それでなんだけど、君は、誰?」
俺はいろいろと言いたいことを飲み込んで、正座をして向かい合った。
「俺は、【デリシアター】二〇四号室の榛名翔です。お姉さんが廊下に倒れていたので声を掛けたら嘔吐したので、うちに運び込みました」
「そ、それは、申し訳ない……」
お姉さんはすごすごと頭を下げた。そして視界に自分の今の服装が映り込んだのか、ピタリと動きが停止した。
「つ、つかぬ事をお伺いしますが」
「はい、なんですか?」
いきなり敬語になったお姉さん。その表情は引き攣っている。
「わ、私の、服は……というか、この服は、一体……」
「それは俺の服です。お姉さんの服は洗濯して干してあります」
ベランダを指さす。お姉さんのスーツと俺の服が風に揺れている。
「えっと、つまり、お兄さんが、着替えさせた、と……?」
「はい」
俺が頷くと、お姉さんは顔を真っ赤にした。あわあわしていたかと思ったら、わなわな震え出した。
「ど、どうしてそんなっ」
「吐瀉物まみれの人間を放置したくないので。臭いし、衛生的にも良くないですし。嫌ならきちんと自室に入ってから倒れれば良かったでしょう? きっとそのまま朝まですやすや寝ていましたよ」
「うぐっ」
お姉さんは言葉に詰まって、視線をキョロキョロと動かす。何か言いたいようだけど、俺はそろそろ限界だ。
「お腹空いたので、食べませんか?」
「は、はい……」
お姉さんは小さくなって、またフォークを握る。やっぱり食事は少し冷めていた。
「あったかい」
それでもお姉さんはそう言った。さっきまでの恥ずかしがる顔や驚いた顔、いたたまれない顔とは違う、幸せそうな顔。そんな顔で食べられてしまったら、なんでも許してしまいそうになる。
「そりゃ、いつものカップ麺とか、居酒屋の解凍した食品よりは」
「そうだね。なんだか、心まで温かくなる」
お姉さんはそう言うとお味噌汁を啜る。そしてはたと手を止めた。
「なんで私の食生活、知ってるの?」
「ああ、それは」
俺が説明しようとした瞬間、お姉さんはハッと目を見開いた。
「もしかして」
「はい」
なんだ、俺がスーパーで働いていること、思い出したのか。
「エスパー?」
「違います」
変な人を家に入れてしまったことを、今になって後悔した。
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