第11話 推しごと日和

『VRレッスンを開始します。』

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『VR training プログラム開始します…』

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VRレッスンルームへつながる光ゲートを潜っていく。その先には、照明が整然と並ぶ広々とした空間が広がっていた。

仮想フロアの床が鳴らす微かな反響が耳に届く。バーチャルとはいえ、反響音や重心のかかり方、踏み込んだ感触は驚くほど現実に近い。

すでに集まっていたメンバーたちは、それぞれ準備を整えていた。


「今日もみっちり動くよー!」

七尾凛の快活な声が響く。


「いつも通り、ウォームアップからやるよー」

霧宮すばるがコンソールを操作し、次々と振り付けデータを展開していく。


「今日もいい動きできるようにがんばろうね」

みあの柔らかな笑顔が場の空気を和らげる。


咲野なちは一歩前に出て、軽く肩を回しながら振りを思い返していた。

ここ最近のレッスンは、VRシステムの改修による振り付け自体の抜本見直しが主であり、その密度は上がっていた。

特に、新曲「Oshi♡Love」はこれまでのどの楽曲よりも立体的な演出が多く、空間の使い方が大きく変わっているため、より難易度が上がっている。


「じゃあ、まずは『Oshi♡Love』の振り確認からいくね」

すばるの合図で、音楽が流れ始める。


アップテンポのメロディがレッスンルームに響くと、なちは自然と身体を動かし始めた。

動きの自由度が上がり、立体的な動きも入ることで、振り付けの組み方にも変化が生じている。

腕の軌道、足の踏み込み、視線の向け方——現実世界と違い、ステージ上の距離感が一瞬で変わるため、メンバー同士の意思疎通がこれまで以上に重要になっていた。


「うん、前より良くなってるね」

まりあは満足げに小さく頷いた。


「はい、いい感じですね」

せいあが手元のデータを確認しながら頷く。


「そうね、いい感じ」

ちいかも同意する。「……でも、もう少しシンクロが上がるとさらに見栄えが良くなるよね、多分」


新曲の振りを確認しながら、他の楽曲の通し練習も進めていく。

一曲ずつ細かい修正を重ねることで、全体の動きが次第に研ぎ澄まされていく。


しかし——


「んー……これは……」


なちは少し考え込む。

全体としてはまとまっているが、何かが物足りない。

少しのズレが、どこかで微妙な違和感を生んでいる。


「次、『拝啓、推しに会えません!』いくよ」

すばるが声をかけ、音楽が切り替わる。


イントロが流れ、全員が次のパートに備える。

なちは振りを思い返しながら、身体を馴染ませるように一歩踏み出した。


——そして、問題のオチサビ部分に差しかかった瞬間。


「——っ」


一瞬で中央に集まり、ノーモーションで振りに入る。

それだけのはずだった。


システムからの検知音が鳴り楽曲が停止する。


トレーニングモード<シビア>で設定されたレッスンでは、致命的なNG判定が出た瞬間に曲が停止される。

何度も同じ箇所でビープ音が鳴り、それぞれが下を向き首を振りながらスタート位置に戻る。


「もう一回!」


すばるの声が、何度も響く。


「うーん……これ、合う気がしないね……」

凛が眉を寄せながら言う。


「そうですね……」

せいあがデータを確認しながら唇を噛む。「動き自体は問題ないはずなのに」


「一人ずつの動きは正しいのに、集合するとズレるってこと?」

なちは顎に手を当てながら考えた。


「コリジョン判定も毎回違う人同士なんですよね……」

せいあがスクリーンを確認しながら指摘する。


「手を上げるタイミングが違う?」

凛が試しに動きを再現しながら言う。


「それだけじゃない……」

かなでが呟く。


「指揮官不在の軍団のようだ。軍勢として統率が、全く取れてない」

イリスが腕を組みながら言い放つ。


なちは少し考えてから、軽く頷いた。


「……テンポ含めて、手前の動きと連続しないから、それぞれの感覚で合わせるしかないのが問題なんだよね」


演出上、お互いの動きが寸前まで見えないため、それぞれによりカウントが微妙にズレる。

そのズレを見えた瞬間から補正しないと成立しない振り付けなのが問題だった。


「じゃあ、どうする?」

ちいかが問いかける。


なちは少し間を置いてから、口を開いた。


「何か基準を設定して、それに合わせればいいんかな?」


「そうですわね、試してみましょう」


あまねも扇子をあおぎ優雅に振る舞うが、同調しないことに対する気持ちが微かに読み取れる。


「じゃあセンターポジションのまりあに合わせてみようか」

すばるの提案により、改めて全員がトライに入る、


『気をつけて〜』♪


目の前に自分以外の10人が一瞬で現れる。

まりあの動きに全員が合わせて動く。


──鳴り響くビープ音


「ダメだぁ……」


凛がへたり込む。


せいあはコンソールを見て何か一人で呟いている。

「同期のタイミングが端からズレてて……各自の動きの誤差が……」


「う〜ん。これでも合わないかぁ」


なちも、つい言葉を虚空に放り投げる。


「こうすれば……」

せいあが顔を上げて、全員を見回す。


「一人を基準にするとズレが累積するから……二人を基準にすれば?」


「二人?」


「うん、対角線に近い位置の二人を基準にして、そこに全員が合わせるというのでどうでしょう?」


凛が腕を組みながら頷く。「それなら、ズレが最小限になりそう」


「で?誰が基準になる?」


ちいかの言葉に、全員が一瞬考え込む。


「うむ、では我がちゅうし……」


「……もこちゃんと、私でやるよ」


なちはもこの方を見た。


もこの顔には困惑の色が見える。ここまで、他のメンバーに合わせることに苦労し、ようやく形になってきたばかりで、その自分が基準になるという不安を察することがてきた。


「もこちゃんは全員の中で一番振り付けが正確でズレない。で、その大体対角線が私かみあだけど、みあだと身長が違いすぎるから…」


話を聞いた後、もこは少し考え、小さく頷いた。


「……やってみます」


もこが中心の動きを担うことで、動きに正確性が増す。

一方で、なちはそれを補うように自然に流れを作る。


「じゃあ、やってみようか」


すばるが音楽を流し、再び振りの確認が始まる。

なちは深く息を吸い込み、もこに視線を送る。


彼女は真剣な表情のまま、微細な動きの誤差を探るように立っていた。

少しでも遅れれば、全体の流れが崩れる。早すぎても、合わせるべき基準が狂ってしまう。


「いくよ、せーの!」


なちの合図とともに、二人は同時に動いた。


——が、またズレる。


全員の動きを合わせるための「基準点」を決めたはずなのに、なぜかピタリと合わない。

対角基準を設定し、なちともこを軸にしたにもかかわらず、微妙なズレが残る。


「うーん、またズレた?」

凛が少し困ったように眉を寄せる。


「タイミング的には揃ってるはずなんですけどね……」

せいあがコンソールを確認しながら唇を噛む。


なちは、もこの方をちらりと見る。

彼女の動きは完璧だ。いや、むしろ完璧すぎるのかもしれない。


「……私が、意識しすぎています」


もこが、ぽつりと呟く。


「え?」


なちが反射的に聞き返す。


「私は、タイミングを正確に取ろうとして、むしろ動きが硬くなっているのではないかと」


もこは、少し考え込んでいるようだった。


「でも、もこが基準なんだから、それでいいんじゃない?」

まりあが優しく問いかける。


「はい。しかし……」


もこは、自分の足元を見下ろし、何かを考えているようだった。


「……何かが、違うのです」


すばるが、じっと彼女を見つめる。


「違うって、どこが?」


「私は、全員の動きを揃えようとしすぎていました。でも……もしかすると、シンクロはそういうものではないのかもしれません」


もこはゆっくりと顔を上げ、なちと目を合わせた。


なちは、もこの言葉に少し驚いた。

彼女が「正確に動く」ことについて違和感を覚えるなんて——。


「うん、そうだね!」


なちは、軽く肩を回しながら微笑んだ。


「どういうこと?」

ちいかが問いかける。


「はい。シンクロというのは、……互いの動きを感じ取るものなのかもしれません」


「私がなちさんと合わせられれば……。少しやらせてください」


なちは、もこの表情の変化を見逃さなかった。


彼女の顔が、ほんのわずかに柔らかくなった。


(もこちゃん……今、何か掴んだ?)


「じゃあ、もう一回やってみようか」


すばるの合図で、再び音楽が流れる。


なちは、今度は意識的に「もこに合わせよう」とは思わなかった。

ただ、彼女の動きを感じることに集中した。


そして——


『気をつけて〜』♪


「せーの!」


『拝啓、推しに会えません!』♪


なちともこは、同時に動いた。


今度は——揃った。


一瞬のズレもなく、二人の動きがシンクロする。

その瞬間、なちはふっと微笑んだ。


もこも——気づけば、微笑みを返していた。


「……今の、すごく良かった」


まりあが小さく呟く。

かなでも横でコクコクと頷いている。


「もこ、今、何か掴んだ?」


凛が問いかける。


もこは、静かに頷いた。


「……感覚です」


すばるが腕を組みながら小さく笑った。


「今の動きであれば、一網打尽にできるな」


イリスも満足げに頷く。


「よし、じゃあ、もう一回やろう!」


ちいかが声を上げる。


こうして、再びレッスンが始まった。


全員の動きが、少しずつ研ぎ澄まされていく。


——これなら、いける。


なちは、確信した。


次のライブでは、完璧な「拝啓、推しに会えません!」を見せられる。


そして、もこは——


自分自身の感覚で、メンバーと「繋がる」ことを覚え始めていた。


レッスンは続き、動きが研ぎ澄まされていく。

全員が一つの生き物になっていくように……。

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『VRレッスンを終了します。』


──


『VRミーティングを開始します。』

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VR meeting 『9月度定例ミーティング』

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スケジュールの確認が完了し、2週間後に控えたオンラインイベントの打ち合わせの活発な議論に花が咲いていた。


「スクショ会とデジタルサイン会、すごく楽しそう!」

咲野なちが椅子を揺らしながら笑顔を浮かべる。


「スクショ会はファンがポーズを指定できるんだよね?」

ちいかが身振りを交えながら確認する。


「そうそう、リアルイベントでいうチェキみたいな感じ?」

七尾凛が興奮気味に拳を握る。「ハートポーズとか少し恥ずかしいかも……!」


「背景も選べるといいよね」

みあが提案する。「ライブステージ風とか、楽屋風とか?」


「それ良いです。ファンの皆様にとって、より個別性のある記録を残せます」

せいあがタブレットを確認しながら、ロジカルにまとめる。「SNSでの拡散効果も期待できますね」


「でも、ポーズのリクエストって、どこまで対応できるんだろ?」

なちが考えながら尋ねる。「全部聞いてたら時間足りないよね?どうするのかな?」


「対応可能範囲の基準を設けるべきですね」

せいあが指を滑らせながら言う。「時間制約と負荷を調整しないとですからね、運営さんに任せましょう」


「……楽しみ」

かなでがポツリと呟く。


「みんなで楽しめるといいね」

まりあが微笑む。


「……では、貴様らには千のポーズを用意し、その全てを完遂する試練を課す」

イリスが高らかに宣言する。


「いや、それは無理だから!」

凛が即座にツッコミを入れる。「適度な数にしてくれ!」


「……ならば、百で手を打とう」


「多すぎるって!」


「冥王様。そこらへんでご容赦を。ま、みんなである程度擦り合わせしておかないとね」

みあが穏やかに話を戻す。


「じゃあ、みんなサイン決めておいてね」

すばるが全体を見渡しながら話を進める。「リアルイベントも無かったし、ちゃんと決めてないでしょ?」


「ファンの名前入りのサインを書くんだよね」

ちいかが話を引き取る。「その人だけの一枚!って特別になれたらいいよね!」


「……特別、ですか」

もこが呟く。「ファンの名前を個別に記入し、一対一の関係性を強調するということですね」


「うん、それもあるけど、単純に名前を呼んでもらえるのって嬉しくない?」

凛が笑う。「ライブの時って、コメント読まれるのがすごく貴重な感じするじゃん? それと同じで、推しに名前を呼んでもらうだけでめっちゃ嬉しいと思う」


「なるほど……では、しっかり練習しないとですね」

もこは考え込むように頷く。


「練習って……真面目か」

凛が苦笑する。


「ですが、ファンの皆様に対して均等なクオリティを提供するためには、精度を高める必要があります」


「まあ、そうなんだけど……」

みあが優しく微笑む。「でも、大事なのって、気持ちのやり取りだから、完璧じゃなくてもいいんじゃないかな」


「……意図的なラフさを含める、ということですか」


「そうそう!」

なちが頷く。「……ん?意図的?」


「うん、じゃあみんなそれでよろしくね」

すばるがまとめに入る。「どちらも皆さんと距離が縮められるいいイベントになりそうだね」


「ライブとはまた違った形で、全員と向き合える時間になるね」

まりあが静かに言う。「きっと、特別な思い出になる」


「ならば、我も冥界よりの祝福を与えよう」

イリスが満足げに頷く。「この機会に、信徒たちの忠誠をより確固たるものとするのだ」


「うんうん、そういう……こと?」

なちが明るく言う。


「楽しみですね」

せいあが小さく微笑む。「データの蓄積と分析も進められそうですし」


「そういうのはまた後で!」

凛がツッコミを入れる。


メンバーたちの話を聞いていた橘が、静かに口を開いた。


「……お前ら、楽しそうだな」


その言葉に、メンバーたちは一瞬視線を向ける。


「そりゃあ、楽しいですよ!」

凛が即答する。「ファンとの新しいイベントだし、ワクワクしない方が無理ってもんでしょ!」


「まあ、ファンが楽しんでくれたら、私たちも嬉しいしね」

ちいかも肩をすくめながら続ける。


「……それはそうか」

橘は腕を組みながら、やれやれといったように小さく息をつく。


「楽しむのはいいが、気を抜くなよ。これは、ただのファンサイベントじゃないんだぞ」


「え?」


橘が少し呆れた表情で続ける。


「事前に送ったメールを見た者、挙手アクション」


────反応がない

橘が次の句を続けようとした瞬間、3つのマークが点く


「もこは見てたか。で、なんて書いてあった?」


「はい、今回のイベントは、Oshi♡Loveのシングルに付属している参加券を使用したリリースイベントであること」


「え?」


キョトンとするメンバーを置いて、もこが続ける。


「1アカウント1回のみの購入権で、2名に投票できて、その2名とスクショが撮れる」


「えっ!」


「そうだ、つまりこれは人気投票を兼ねたイベントだ」


橘は画面に資料を映しながら話を続ける。


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【Oshi♡Loveリリイベ&スクショ会!概要】

<概要>

  ……

<システム>

・1権利で2投票可能

・投票したメンバーとスクショ

・限定盤購入者はサイン会参加可能

・配信での『推し!』リアクションと合わせ集計

 (コイン消費ファボは倍加算)

→各ポイントを合計してセンター+スリーを決定する

 ……

<運用>

 ………

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「お前ら……メールくらい読め」


ため息混じりに肘をつき組んだ手を額に当てて俯く。


「あ、あー。これね、分かってた、分かってた」

凛がはしゃいだように、取り繕う。


「うむ、我が軍団の結束を見せつける機会だと思っておった」

イリスもウンウンと頷いている。


果たして、本当に理解していたかは藪の中だ。


「この結果によって、何がどうこう変わるわけではないが、日頃の自分を振り返る機会にすること」


──退出中の表示の後、橘の画面が消える。


残された微妙な空気の中、メンバーはお互いの様子を伺い、沈黙が場を支配していた。


「まあ、今更どうこうならないんだから、自然体でいつも通りにやろ」


まりあが見兼ねたのか、場を締めようとする。


「そうね。とにかく、ファンのみんなと楽しく過ごせるイベントにしましょう。配信でも少し話題にしていきましょうね」

すばるが、手を叩き全員を見回す。


「私の騎士団たちの忠誠と結束をお見せしますわよ」


「ウチの自然派だって負けないよ〜」


「あら、勝ち負けじゃないのよ。一家団欒の皆さんにもそう言っておかなきゃ」


笑い声が弾け、全員が顔を見合わせ笑い合う。


「よし!ライブもイベントも全力がんばるぞ!」


ちいかが、気合を入れ直す。


「「「おー!!!」」」


良いイベントにしよう。という思いに溢れ、その日を待ち遠しく思っているのが、全員の表情から読み取れた。


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『VRミーティングを終了します。』

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