◇ こけにされ、成長した少女と成金した男
「どうしたアリョーナ。魂でも抜かれたか?」
宿に戻ってみると、アリョーナは壁にもたれ、ぼんやりと虚空を見つめていた。ベッドで胡座をかき、足の上に乗せた本は開かれたままだった。
「ユーリ、私このままでいいのかな」
ローブ姿のままフードは取っ払い、ルーズにまとめたポニーテールが
例の一件からまだ一時間も経っていない。あのときは強がっていたが、しっかりと応えているようだった。
「このままっていうのは……ひっそり生きて、薬を売って──っていう今の生活のことか?」
「うン……」
「……そうだな」
──戦争から逃げて、ひっそり生きて、薬を売ってます──
彼女がそう話してくれたとき、引っかかりのある表情をしているのには気づいていた。それが先ほどの件とどう繋がるのかは分からないが、少なからず、思うところがあったのだろう。
「やりたいことが分からなくなったのか?」
俺としては、自分の思うようにやればいいと思っている。そのために、精神面でも金銭面でもサポートするつもりだ。
けど──アリョーナが詰まっているのは、どうもそこじゃないような気がする。
「うーん……うん。──いや、……うーん」
煮え切らない。
アリョーナは言った。
「──人は人を助けるべき、なんだよ。私はずっとそう思ってる。今でも。……うん」
自分自身に確認するように。
「おう。それで?」
促してやる。
アリョーナはやっと壁から頭を上げて、静かに窓に視線を向ける。
「……もっと大勢を助けたい。じゃぁ、隠れて暮らしてる場合じゃないのかなーって。でも……生きてるってバレたら国に連れ戻される。そしたら、また火薬を作らなきゃならないよ。それは──いやだ。私の村を焼いた火薬を、私はこれ以上作りたくない。だから──」
待て待て……。『私の村を焼いた火薬』これは初耳だぞ。
まぁこいつが”うっかり屋”なのは初めからそうだが……そうか、村を焼かれたのか。
いつか、ちゃんとアリョーナの口から聞きたい話だ。
「──だから……どうしたらいい、ユーリ? 私、行き詰まっちゃた」
アリョーナはポニーテールを撫で下ろし続ける。
真剣な表情のまま、何度も何度も。
そんな仕草に、つい目を奪われる。いつも無邪気で騒がしい彼女が、こんなふうに静かに佇んでいるのは珍しい。長いまつ毛が伏せられ、指先がそっと髪をすべらせる仕草に、どこか大人びた雰囲気があった。
……いや、気のせいか。
一度目をつぶり、邪念をはらってから俺はいった。
「お前はまだまだ行き詰まってないって、俺は思うけどな」
・
街には夜が訪れていた。
アリョーナは浅くフードを被り、
「よく来たっス、ユーリ!」
「連日悪いなターニャ。この店で一番いい『錬金釜』を見せてくれないか」
「ヒュー。一度言われてみたかったセリフっス!」
ターニャは、ウキウキして店の奥に引っ込んでいった。相変わらず胸元が露出しているので目のやり場に困る。
アリョーナはというと、一応彼女も錬金術師のはずなのだが、店先の錬具を物珍しそうに眺めていた。これまであまり拘ってこなかったのだろう。こんなことを言うのは気が引けるが、彼女は貧しい。
けれど、それこそが”アリョーナはまだ行き詰まっていない”という一つの証拠だった。こいつは伸び代がある──何かにつけて、俺は感じていた。
貧しくて手が出なかったレシピや錬具。金がなければ、素材すらまともに集められなかったはずだ。それに、錬具のスロットも活用していなかったらしい。付帯効果なしの、いわば“生の錬金術”だけで、こいつは勝負してきた。
それだけじゃない。学生時代は読み書きが苦手だったという。あの哲学書みたいなレシピを、ちまちまと独学で解読しながら、独りでここまでやってきたのだ。もし、その遅れさえなければ──人並みに成長できていたんじゃないのか?
熱意も志もある。
あとは彼女の想いを理解し、支えてやれる“金持ちの支援者”が要るだけだった。
──まさか、ここまで大きな意義を見つけられるとはな。
夏祭りのように賑わう露店通りを眺めながら、ぼうっと考える。
自分の居場所。
こんなにもピタリとはまる場所が見つかってしまうと、むしろこれこそが俺の“正しい人生”だったんじゃないかと錯覚してしまう。
現実世界で、あのまま化学療法を受けていても……結局、失敗していたんじゃないか? そんな考えも、妙に納得できてしまう。
俺の余命は、ここで使うために──
「ユーリ、みて」
考えに耽っていたところ、アリョーナに呼びかけられた。
そちらに目を向け──
「ぶ……っ!」
あまりの不意打ちに、俺は思わず噴き出してしまう。
アリョーナはアホなことをやっていた。
両手に試験官(しかも底がハート型のやつ)を持ち、メガネのように目に密着させていた。
「はは、何やってんだ」
パチパチッ、と──試験官越しのアリョーナの目は、いつもよりずっと大きく見えた。桜色の瞳が綺麗ではあるが、バカだなぁと苦笑してしまう。
「へへっ。だってユーリ、暗い顔してんだもん」
こんな日常が、ずっと続けばいいのに──なんて、つい考えてしまう。
だが、そうもいかないらしい。
癌のこともそうだが、エカリナの話では、俺はそのうち軍に召集されるとかなんとか言っていた。入隊する気なんてさらさらないが、結局どう転ぶかはわからない。
せいぜい俺が戦いで怪我をしたら、お前の薬で治してくれよ──呑気なアリョーナを見て、静かに思う。
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