愛情激重誘い受けガールVS感情激重ヘタレボーイ
余るガム
ファイッ!!!
夏以上に誘惑に適した季節がこの世に存在するか? いいやっ! ないねっ!
6年も己の誘惑を完璧に耐え抜いたにっくき、より正確には愛しき男、
そのための武器は既に揃っている。
美しい顔、長い黒髪、デカい胸、細い腰、デカい尻、太い太腿、長い脚、艶めく肌。
もうポリコレとかフェミニストが発狂しそうなレベルで全部そろっている。
しかしここまでは過去6年の間にも揃っていたものでしかない。大なり小なり成長もしたが、やはり劇的な変革は無い。
素材は既に極上にまで育て上げた。ならば次は極上の調理を施すしかないよなぁ!? 隠し味は愛情だァ!
という訳で兼道のワイシャツを窃盗した。
ちなみに実際に窃盗したのは4か月前である。随分お世話になったおかげでもはや彼の臭いは全く存在しないが、とりあえず彼シャツができるだけの寸法と彼の所有物であった歴史さえあればそれでよいのだ。それ以外はもうこの際どうでもよいのだ。
パァンッ。
「……」
胸が大きすぎてボタンが弾け飛んでしまった。
何たる不覚、より高度に磨き上げたことが裏目に出るとは思わなんだ。誰だ、大は小を兼ねるとかふざけたことを抜かした奴は。
これで『彼シャツ』を自称するには大分無理がある。
あれは高度な女性的魅力を有する肉体が男性の服へ強引に押し込められることで生まれるアンバランスさが売りなのだ。華墨はそのあたりの趣を勉強している女性だった。当の男性服をぶち抜いては趣が変わる。もはや痴女ではないか。
なお、現在抱いている「理性削り飛ばして押し倒させる」という思考も痴女みたいなもんだろ、という指摘は受け付けていない。帰れ。疾く帰れ。
しかし問題ない。次善策は既に講じてある。本命の作戦が上手く決まるなどむしろ珍しい。大切なのは第二、第三のプランを用意しておくことなのである。
華墨は失敗への対応が悲しい程熟練していた。その熟練度は全て兼道がもたらしたものである。おのれ兼道、責任取ってお嫁さんにしろ。
さておき、では次善の策とは一体何か。
シャツを着る、という原案は残す。しかし今回着るのはあくまでも自分のブラウスだ。
普段冷え性なので羽織っているカーディガンを脱ぎ去り、あとは雨を待てばいい。何、この国は温暖湿潤気候。勝算は十分ある。
それに恋する乙女は最強だ。天候を操る能力ぐらいあるだろう。
というかむしろ、天は乙女の恋心に忖度して雨を降らせろ。
濡れ透けのシチュエーションを作れ。何なら車が水たまりを跳ね飛ばして……みたいな感じでも全然かまわない。泥が付くからできればやめて欲しいが背に腹は代えられない。
こんなに譲歩したのだから叶えない方が不誠実だと思わないか?
『天気予報です。向こう一週間の晴天は確実』
ブツッ。
まだだ、まだ慌てる様な時間じゃない。
OK分かった、晴天というなら、それで別の方法がいくらでもある。失敗したのではなく、濡れ透けは期待できないという情報が得られた。失敗は成功の母という奴だな。ちょうど今からお母さんになるのだから更に完璧だ。
しかし晴天だとしても着る服はブラウスに違いない。
むしろ晴天だからこそブラウスを着るよりほかはない。
少々面白みに欠けるが「いや~今日は暑いなあ~」とか言いながら胸元をはだける例のあれだ。名称は知らないが、名称など発生しないほど面白みのないシチュエーションなのだろう。
となると胸元に視線を集める工夫もいるな。確かこの辺りにネックレスがあったはずだ。ゴリゴリに目の形をしていてちょっとヤバい宗教のシンボルみたいなやつだが、むしろ視線を集めるためには適任だ。
あとブラジャーを紅色のド派手な奴に取り換えて準備完了。
ネックレス! 透けブラ! 谷間! ジェットストリームアタックを仕掛けろ!
今回こそ兼道に『いいやッ限界だッ! 押し倒すねッ! 今だッ!』と言わせるんだ!
◆◇◆◇
壇之浦兼道は今年こそ完璧に決めてやるつもりだった。
なんだかんだで6年続いた関係に終止符を打ってやるつもりだった。
つまり幼馴染の美少女、寿華墨から放たれる数々の誘惑に乗り、今年こそ『いいやッ限界だッ! 押し倒すねッ! 今だッ!』とばかりに襲い掛かるという意味である。
同時に、兼道はここ6年間、毎年毎年そうしようと決意して、いざその時になると踏みとどまってしまった過去も存在する。
あまりにも無防備だから、ただ男として認識されていないのではないだろうか、と考えてしまうのだ。
更に言うと世論も怖い。
仮にこちらから何かしらのアクションをして、それが華墨の意に沿うものではなかった場合、兼道は性犯罪者の汚名を背負って生きていかなければならない。世論は女性が関連すると絶対に女性の味方をする。偏見である。
だから押し倒すというのはただ例え話であり、実際には告白をする、程度の話になる。
しかしそうなると断られる可能性で普通に死にそうになる。
というか断られたら普通に死ぬ。何ならもう処女じゃないだけで死ぬ。最初の一人じゃないだけで十分死ねる。
想像の中では既に結婚して子供が6人いるが、さすがに空想と現実の区別はついているので大丈夫だ。
なまじ正気なのが一番苦しいと兼道は思う。
だが、進まねばどうにもならぬ。
そのための道具を兼道は何とか手配した。
酒である。
アルコールで気を大きくして、その勢いで告白してしまおうという奴だ。あわよくばその先も……と思わなくもないが、酔っていると『使えなくなる』男もいるのでそれは別の機会だ。
兼道の神頭脳がまた完璧で幸福な回答を見出してしまった。エウレカ。
時計を睨み、時が来たことを悟る。
「そろそろ、か……」
華墨は13時から19時までの6時間、兼道が華墨の部屋にいない限り、必ずこの時間に兼道の部屋を訪れる。
品行方正な華墨は兼道が目の前で酒を飲むなど決して許さないだろうから、事前に服用しておく必要がある。それも大量だと匂いが嗅ぎ取られるので、酔いはあまり長続きしない。本当にギリギリまで引き付けたいところだ。
事の成り行きを酔って忘れてもいい様、ボイスレコーダーを仕込んでおくことも忘れない。
さあ、人事は尽くした、あとは天命を待つだけだ。
◆◇◆◇
バンッ!
「おはよう! 兼道!」
「もう昼だぞ」
「私からすれば兼道と挨拶する瞬間が一日の始まりさ!」
美少女に満面の笑みでこんな事言われて好きにならないでいられる男居るぅ!? いねえよなぁ!?
ところで大量の肉を押し込めるジーパンが『ケテ……タスケテ……』と言っているような気がするが、あれは大丈夫なんだろうか。もはや布地に対する一種の加虐行為にしか見えないのだが、ワンサイズ上の奴は無かったのだろうか。
「今日は何しよっか?」
てめえの体でナニをしてやんよ!
といいたいところだが、まだ酒を入れられてないので出来ない。いや入れててもできないけど。
「あー、昔のゲームもっかいやろうと思ってたから、一緒にするか?」
「いいね! どんなゲーム?」
「SEKIR〇」
「……言うほど昔かい? 二人でやるようなゲームでもないし……」
「19年だぞ。昔だろ」
「いや、もっとこう……まあ、良いか」
勝手知ったる、とばかりにゲーム機の準備をする華墨。
その間に飲み物とお菓子でも持って来て、ついでに酒を入れてしまおうと思ったが、ちゃぶ台の上には既にジュースとおやつが準備されていた。
コップはもはや華墨専用となっている薄いピンク色のマグカップである。イケメンフェイスの癖にチョイスが可愛いのズルい。
「ほい、準備できたよ」
「ああ、何というか、全部準備して貰って悪いな」
「これだけくつろげるような部屋の場所代だと思えば安いモノさ」
その言葉にはっとさせられた。
くつろげる、か……やっぱ、華墨は俺の事信用しきってるんだな。変な事なんて一切されたりしないって。
さっきまで堂々と思案していた下ネタに一気に罪悪感を覚える。
ええい、忘れるためにもゲームに没頭しよう。幸い集中力が必要なゲームだ。
「ほいほい、ほいほいほいほいほい!」
「おお~」
意気込みのおかげが調子が良いな。
「今更お前に負けるわけねえだろゲニーがよぉ! 大体お前通しで三回出てくるうえ、最後はただの前座じゃねえか! お前にダメージ受けてたらラスボス倒すなんざやってられんわ!」
「なに? 溜まってるの?」
「お前のおかげで色々となぁ!」
ん? 今もしかして失言した?
「あっ」
『忍びとて、この程度か』
負けた。
「もー、何してるの。貸して」
「おおう!?」
後ろから覆いかぶさるようにして華墨がコントローラーを奪う。
柔らかさと声と匂いと髪とあばばばばばばばば。
「ほら」
錯乱している間にクリアされてしまったようだ。
相変わらずの無駄スペック。そのイケメンっぷりを別方向に活かせないものか。
「す、すげえな」
「そうだろう?」
何とか捻り出した一言へ、得意げな笑顔で返してくれた華墨。
弧を描く唇に視線が惹きつけられて……。
『卑怯とは言うまいな……』
ゲームのセリフに邪魔された。
無駄に良い声しやがって、耳にこびりつくんだよ。
◆◇◆◇
リラックスタイムは終わりだ!
無駄に筋骨隆々な熊のぬいぐるみを立ち上がらせるイメージを脳内で練り上げ、寿華墨は決断した。
胸元へ視線を集める策を三重に張り巡らさせたというのに、当の壇之浦兼道の視線は下半身が独占していた。
おかしい、下半身は別に露出面積が大きいわけじゃないし、3年前に買ったデニムパンツをそのまま履いてきただけなのに、なぜそちらに注目されるのか。
確かにサイズは小さいが、そんなに注目するほどおかしかっただろうか?
男が絶対に逃れられないはずのおっぱいの引力が下半身に容易く突破されたことで、私の出鼻は完全にくじかれたと言える。私は引力を信じていたのだが裏切られてしまった。これだから聖職者は信用ならない。大人しく誓いのキスの宣言だけしてろ。
私のあまりにも華麗なゲームプレイでアイスブレイクが果たされたところで、さあ例の作戦の決行だ!
『卑怯とは言うまいな……』
ゲームのセリフに邪魔された。
無駄に良い声しやがって、耳にこびりつくんだよ。
いかん、ただでさえ外れた調子が更に外された。後ろから密着したこの状態だとどうせ見えないし、いったん離れるか。
さて、あとは適当なタイミングを見計らって『この部屋暑いなぁ~』とか言って……あれ?
なんか、本当にめちゃくちゃ暑い? そんな大した気温じゃないはずなんだけど……あ、やばい。ちょっと座ってられないかも。
ぼふ、と兼道のベッドに横になる。
兼道の匂いがする。落ち着く良い匂い。
「ちょっと、ごめん」
兼道へ背を向けるように寝返りを打ち、自分の頬へ手を当てる。
めちゃくちゃ熱い。この調子だと多分真っ赤になってる。
とりあえず、自覚したのは。
自分は思ったより兼道のことが大好きで。
それはさっきの後ろからの抱き着きだけでもうキャパオーバーで。
ここから胸元を開けて誘惑とか。
絶対に、無理だ。
「うあぁ……」
自分の見込みが甘かった。
こんなに何もできないくらい好きだったなんて。
そんな自分の甘さを恥じ入る様にして、足を丸め、何とかこの羞恥を嚥下しようと努力するのだった。
◆◇◆◇
え、もうこれ合意って事でいいのか?
自分のベッドで丸まってしまった寿華墨を見ながら、壇之浦兼道はそう思った。
だってもう自分のベッドだぞ? 男の部屋で男のベッドに入ったんだぞ? これで襲っても情状酌量の余地あるだろ。
いや落ち着け、そんな『被害者にも非はある』なんてクソの下水煮込みがごとき思索を得てはいけない。
大体自分でも言ってたじゃないか、男として見られてないんじゃないかなと。そう、つまりこの無防備な姿は彼女の俺に対する強烈な信頼を表す行為であり、ここで襲うというのは彼女の信頼を裏切る行為だ。
できれば『危険じゃないから大丈夫』じゃなくて『危険だけどこいつなら大丈夫』という方式で信頼されているとうれしいが、どうあがいても前者であろうというのは変えがたい事実。
ならば俺がやるべきことはもっと別の場面で俺を男として意識させクソデカ尻をジーパンと体勢で強調しやがって誘ってんのかパンツのライン浮いて……ない?
え、あの体勢で浮いてないってもうはいてないか
だとしたらブラジャーはどんなものを……うわ赤ッ。ヒモが透けてるじゃないか。
というかブラウス一枚にこの色だったら前から見たら完璧に色が透けて見えていたのでは……? クソッ、下半身に意識を取られすぎたか!
前側に回り込んで確認したいが、さすがにそれをやったらバレる。まだだ、最終的に帰るためには絶対こちらを向かなければならない。その時に見ればいい。絶対脳裏に焼き付ける。
いや、むしろ生で見てもいいんじゃないか?
後ろから覆いかぶさって、ゆっくりとブラウスを脱がしていっても抵抗しないんじゃないか?
ならそのままブラジャー自体も……。
「華墨ッ!」
「ひゅいっ!? な、なに!?」
ひゅいって言われちゃったよ。
「ちょっと俺トイレ行ってくるわ!」
「え、ああうん、行ってらっしゃい?」
◆◇◆◇
走り去る様に部屋から出ていく兼道を、華墨はベッドの上で見送った。
おそらく自分が何かに落ち込んでいることを察し、それを整理・解消する時間を作る為に一人にしてくれたのだろう。
気遣いのできる良い男だ。これはもう私と結婚するよりほかはない。
「……今なら、なんでも言えるんだけどな」
そうだ、所詮は処女の強がりに過ぎない。
男女の駆け引きも、手練手管も知らず。知識ばかりが豊富な耳年増。
誰にも聞かせず、口の中で、部屋の中で、一人きりで。
呟くだけならば、誰にでもできること。
それ以上のことが怖くできないから、華墨は今苦悶している。
頭の中ではなんでも言えるが。
「すきだよ、かねみち」
いざ口に出すなら、誰にも聞かせてなくても、それで精いっぱいだった。
とりあえず、攻めすぎた格好をリカバリーしないと死んでしまいそうだ。
◆◇◆◇
「ふぅ……」
蒙が啓けた、とでも表現すればいいのかな?
用を済ませた、あるいは事を致した兼道はどことなく安らかな表情でトイレから出てきた。
例えば、酷い腹痛の時。
その時は全く無自覚であるが、いざその腹痛が解消された暁には、視界が開ける様な感覚を得て、腹痛の時は視野が狭まっていたのだなと自覚するという。
今の兼道は、ちょうどその腹痛が収まったに等しい状態だった。
「はあ~~~マジあり得ないわ。マジでさっきまでの俺あり得ねえわ」
いやしかし、それを自覚できたのだから、未遂で終わったのだからとりあえず良しとしよう。
濁った思考で何を賢しらに考えていたのか。そういう時は基本的に何も出てこないと相場が決まっているだろうに。
何かを賢く考えるならば、そういった濁りを排除した状態でやるべきだ。
濁りの排除へと動く方法。
必要なものは、『わたしの性癖』である。己を知り敵を知れば……という奴だ。
必要なものは、『信頼できる思い出』である。強く感情が突き動かされたものを厳選せよ。
必要なものは、『極罪を犯しそうな36分以上の時間』である。限界ギリギリはこの辺りだ。
必要なものは、『14の言葉』である。ハッキリと覚えている彼女の発言を回想せよ。
必要なものは、『勇気』である。本人が近くにいる恐怖を克服できなければならない。
最後に必要なものは『場所』である。誰にも観測されない閉鎖的で安心できる場所へ行き、次の「解放」の時を待て。
その後が『賢者の時』であろう……。
思考は『一巡』した。
さておき、部屋に戻るか。
今の俺なら何の問題もなく彼女の信頼に応えることができるだろうし、今の俺なら彼女に何ら不自然に思われることなく上半身の前側を観察することができるだろう。
なぜなら賢者の時だから。『かしこさ』のステータスだけ種族値MAXだから。きっとこれで厳選が終わってしまうだろう。
まあそのかしこさは時間経過で下がるんだが。
「おまたせ~っと」
「おかえり」
華墨はタオルケットを纏って、ベッドの上で体育座りをしていた。
当然、上半身の胸元何ぞ見えるわけもなく。
いや、落ち着け、KOOLになるのだ。
平静を装う難易度が下がっただけだ。何の問題も無い。
あとKOOLじゃなくてCOOLな。どんな錯乱してんだ俺は。
「……」
「ど、どうしたの?」
「いや……死が恐ろしいんじゃない。ただ忘れ去られるのが寂しいだけさ」
「本当にどうしたの?」
号泣会見を開きたい気分だ。
あなたにはわからないでしょうけどね。
◆◇◆◇
寿華墨は、いきなり寂しげな眼差しになった兼道に疑問を抱いていた。
いや、本当になんでそんな感情になるんだ? それにさっき言った死生観みたいな発言が出てきたのも謎だ。
まさか、それなりに時間を空けたのに、まったく感情の整理が付いていないことを察されたか?
……ありそうな話だ。しかしそれでも特に何も言わないところに彼の優しさを感じる。好き。結婚しよ。
つまり感情の整理は今、この瞬間についたという訳だ。
私は彼と結婚する。祝福しろ、それが必要だ。
という訳で彼に手を出させて、既成事実を作りたいところだ。思考は『一巡』した。
しかし私はもう体に纏ったタオルケットを取り去ることができない。
自分の服が滅茶苦茶恥ずかしい事を自覚してしまった現在、もはやジェットストリームアタックとか言ってる場合じゃないのだ。何とかして隠し通したまま一旦家に帰り、普通の格好に着替えなければ。
勿論このタオルケットは私の物ではなく、よしんば私の物であったとしてもタオルケットを纏ったまま外を歩きたくはない。
よって適当に兼道の目を逸らし、その隙をついて家路につかなくてはならない。
え、結構難しくね?
仮に今から私がいったん家に帰ると言ったとして、兼道はどうするだろうか。当然『見送る』という選択を選ぶはずだ。それ自体は別に失礼でも何でもないし、むしろそちらの方が礼儀を払っている。
だが今はその『行儀のよさ』がかえって恨めしい。なぜマナーは『背伸びした格好をしたはいいものの、途中で冷静になって俯瞰してみると背伸びした感がマシマシであることを自覚して恥ずかしくなってしまった人間』への対応を想定していないのか。理解に苦しむ。
仕方ない。
トイレに行くとか適当言って、そのままいったん帰ってしまおう。全力疾走すればまあバレない程度には近所だし。トイレに行くぐらいなら片手間の見送りで済み、ゲーム画面に集中しているタイミングを見計らっておけば、視線を送られることも無いだろう。
「兼道、私もトイレに行くよ」
「おう……ちょちょちょちょちょい!」
信じられないぐらい凄い勢いで呼び止められた。
狼さんめっちゃ斬られてるけど良いの? あ、死んだ。
◆◇◆◇
壇之浦兼道はトイレに行こうとする寿華墨を全力で呼び止めていた。
無理だ。今トイレに行かれたら終わる。
だって俺はついさっき、トイレで『致して』きたばかりなのだ。
ちゃんと制御はしたし、換気もONにしてから部屋に戻ったが、それでも今はまだダメだ。まだ換気は十分じゃないし、もしかしたらファブ〇ーズしないと消臭しきれないかもしれない可能性まであるのだ。更に言うとアルコールの例からもわかる通り、華墨は匂いに敏感だ。それを考えると華墨をトイレにいれるのは不味い。
で、思わず呼び止めてしまったわけだが……。
「ん? 何?」
「えー……とだな……」
『できるわけがないッ』!
今俺が華墨を呼び止めている理由を全て説明するなんて『できるわけがないッ』!
だってそんなことしたら、彼女の信頼が薄氷の上にある事を自白する様なものだッ!
それを抜きにしたって単純に恥ずかしいじゃないかッ! 実際の『行為』を目撃されるよりかはマシだと思うが、こーゆーのは比較する様な事じゃないんだッ!
だが、同時に妥当な言い訳も特に思いつかないぞ……『トイレに行きたい』ってのは生理現象だし、家主に一言断ったのだから礼儀も通してる。
俺が何か壊したという事にするか……?
ダメだ、だとしたらそのまま部屋に帰ってゲームを続けたのは不自然だ。さっき俺が行った以上、『今は使えない』ってのは通らない。
つまり『賢者の時』を明かさず、『トイレ自体は使用可能』で、しかし『使わせたくない理由』が必要なのだ。
熟考すればなにか思いつくかもしれないが、いまこの瞬間に思いつくなんて『できるわけがないッ』!
いや、待て。
よく『見る』んじゃなくて、よく『観る』んだ。よく『聞く』んじゃなくて、よく『聴く』んだ。
確かに華墨は『トイレに行く』と言った。しかし華墨はベッドから出ておらず、タオルケットも羽織ったままだ。
この事実から推察するに、彼女の『トイレに行きたい』という気持ちはそこまで切羽詰まったものではないんじゃないか?
事実、今も彼女はベッドから出ようとせず、身動ぎ一つせず、言葉に詰まる俺を待っている。
ならば引き留めること自体は簡単なはずだ。
そうして時間を稼いで、より完璧なでっち上げを脳内で構築する!
今この瞬間では確かに『できるわけがない』だろう。だが時間を稼げれば、『できるかもしれないッ』!
「ちょっとさっきのボスで革命的な攻略方法を思いついたんで、少し見て行ってくれないか?」
「ずっと見てたんだから先に言ってくれよ。なんで一回死んだんだよ」
「今、思いついたんだ」
「……まあいいけどさ」
勝ったッ! 第三部、完!
◆◇◆◇
絡めとられたッ!?
完璧に集中しているタイミングを狙い撃ちしたはずなのに……大体なんでトイレに行くってのを呼び止められるんだ? そんなに私にトイレに行ってほしくないのか?
そういうのを我慢している光景に興奮するタイプの変態なのか?
別に兼道相手ならいいけどさぁ……ちょっと呆れる気持ちはある。こーゆーのが好きなんだ、ふーん、ほーん。
まあ
最近は事実でも名誉棄損になるらしいし、そもそも本当に『革命的な攻略方法』を思いついたのかもしれないし、本当にトイレに行きたいわけでもないので、別に呼び止められても構わないし。
で、革命的な攻略方法とは……?
「えっ、なに今の!? 傘?」
「まあ朱雀だから、初周の時は使えないんだけど」
「でも普通の奴でも炎ダメが通るだけでしょ? 派生攻撃もあるし、十分実用的じゃない?」
『革命的』って程じゃないけど、普通に新しい攻略方法だった。
よかった、変態な旦那様はいなかったんだね。
「ちょっと私にやらせてみてよ。コントローラー貸して」
「ほれ」
『ひとぉつ……親は絶対。逆らうことは許されぬ……』
てめえが一番許されないんだよなぁクソ親父。大人しくおはぎでも作ってろ。
◆◇◆◇
まあ、俺の勝利はある意味約束されていたと言えるだろう。
なにせ俺はさっき『できるわけがない』と4回も言ったのだから。こんなもん勝ちフラグだろ。
華墨がゲーム画面に夢中になっているところを確認して、兼道はそそくさとトイレに向かった。
あとは適当に蛇口を蹴り砕いて、対応の為に華墨へ一時帰宅を促して終了だ。トイレには自分の家で行ってもらうとしよう。
「オラァ!」
ドグワッシャアッ!
完全なる死の忘却へ、お前を送り込んでおかなくてはなぁ。
ミッションコンプリートだ。部屋に戻ろう。
「ああ兼道。さっき凄い音したけどなにかあったの?」
「ちょっとした手違いからトイレの蛇口を壊してしまってな。済まないが一旦家に帰っておいてくれ」
「わかった、これ終わったらねッ! ハイ終わりッ! 閉廷ッ!」
華墨はゲームに夢中になっていて、纏っていたタオルケットが足元に剥がれ落ちている。
露わになった上半身は明らかに瞳としか思えないネックレスが注目を集めていたが、俺が本当に注目したのはそこではなかった。
ブラウスから透けて見える真っ赤なブラジャー、そしてバックリと開いた胸元で形作られる底が見えない谷間。
それらが俺の視線を雁字搦めにとらえて離さなかった。
「うん、じゃあ帰る、けど……」
胸元が一気に変形した。
何が起きたのかと視線を上げると、顔を真っ赤にした華墨が自分の胸を抱きしめていた。
……ガン見してたのバレた。
「エッチ、変態!」
華墨は一言そう叫び、部屋の窓ガラスをぶち破って走り去ってしまった。
「なぜわざわざ窓を……」
俺はしばらく呆然とし、さっきの光景をできる限り脳内に焼き付けながら、とりあえず水回りの相談をするべく電話を取るのだった。
◆◇◆◇
自分の部屋まで走り抜けた華墨は自分が恥ずかしい格好を兼道に見せつけてしまったことに赤面しながら、体育すわりで膝を目に押し当て、自身の涙目をごまかしていた。
自業自得であることぐらい重々承知しているが、それはそれとして、恥ずかしいことは恥ずかしい。
これからはもっと露出を抑えた格好にしなくてはならないだろう。そうしないとまともに話すこともできない。
とりあえず、お風呂に入る準備をしようと体を動かし。
パァン
「……」
サイズが小さすぎたデニムパンツの一部が破けた。
華墨は息を吸い、兼道を想いながら、絞り出すように一言。
「クソが……お前の事絶対パパにしてやるからな……」
◆◇◆◇
自分で蹴り砕いた蛇口と、なぜかぶち破られた最後のガラスの修繕を手配した兼道は、本日の思惑のほぼ全てが失敗に終わったことを嘆いていた。
とはいえ最後に見た『例の光景』のおかげで心情的に大幅なプラスではある。プラスではあるのだが、それはそれとして当てが外れたという肩透かし感は否めない。
「おっと、まだこれが残っていたか」
それは『酒の勢いで告白する』というちょっと酷い作戦のバックアップ。酔いのあまりに今日の記憶が失われたとしても大丈夫なように仕込んでおいたボイスレコーダーだ。
まあ結局酒を飲む事も記憶を失うことも無かったので、別に何かしらの意味があるわけでもないのだが。
いや、それでも華墨の声が録音されているだけで割と有意義なのでは?
そんな考えもあって、録音の内容を精査していく。
「なんだこの変な声……あ、俺の声か」
あとでカットしておこう。
そう決意してしばらく進めると、自分がトイレに行ったようだ。改めて聞くと酷く動揺している声だ。男の動揺など微塵の価値も無い。ここも後でカットしておこう。
『すきだよ、かねみち』
「!?!!?!?!?!?!?!?」
その時の衝撃を何と表現するべきか、兼道は相応しい語彙を持っていなかったが。
あえて表現するなら、拳銃で撃ち殺される仲間を目撃した原始人ぐらいかもしれない。
一体どれくらいの間呆然としていただろうか。
いつの間にかボイスレコーダーは録音の再生をやめ、道具らしい沈黙を決め込んでいる。
兼道は息を吸い、華墨を想いながら、絞り出すように一言。
「クソが……あいつの事明日襲うからな。明日な……」
◆◇◆◇
なお、二人は6年間この調子である。
愛情激重誘い受けガールVS感情激重ヘタレボーイ 余るガム @bkhwrkniatrsi
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