Wake Up

 何度も同じ夢を見ていた。


 至って平凡、つまらない、だけど大切な、そんな夢。



 *



 眩しいプレッシャーは太陽と共に地平の果てへと撤退していった。夜が来る。この時間は少し窮屈だが、少し楽に息ができる。


 世界がどんなに変わろうが、人間が夜に行うことなんてたかが知れている。つまりは休息。この時間に義務は存在しない。少なくともわたしはそう思っている。だから現実から目を背けて、魂の呼吸をする。


 イヤホンを付けて、目を閉じて夢を見る。空想の世界へと逃げ込む。


 その夢では、いつも空色の少女が駆けていた。


 酸いも甘いも併せ吞んで、どこまでも広い青春を駆ける。楽しいも、哀しいも、腹立たしいも、嬉しいも、何もかも全部吸い込んで。全て溶かし合った先には空色の歌声が出力される。


 合成音声に歌い手の感情は込められない。解釈なんてどうとでもできる。だからわたしは、メロディーに合わせて、翡翠の瞳を通して虚像の青春を眺める。それはただの夢だ。されど何より大切な、イミテーションの宝石のような夢。潜って、沈んで、そして溺れる。空想に。



 ――分かっている。こんなの健全じゃないってことくらい。



「それでも」


「それでも」


「わたしは」


 細く儚い呟きは開け放たれたままの窓から、深い宵闇に溶けて消えていく。



 ――変わりたい。だけど今はまだ、覚悟が足らない。



 だから、イヤホンから流れる旋律に魂を委ねる。とうにボロボロになっている自分を誤魔化して、まやかしと空想で空っぽを補う。


 空色の歌声。偶像のような。


 敬虔な信徒は実際の姿を知らない神を土塊に投影して、祈る。願いの込められたそれはもはや土塊などではなく、立派な御力を湛えた信仰の対象へと姿を変える。その行為は、とても尊いように思える。


 わたしは、鼓膜を振るわす波形の振動に何を願うのだろうか。


 逃避、没頭、そして救済。つまるところ現実から離れたいというのが本音。その程度の願いしか抱けない自分がどうしようもなく嫌いになって、余計に空想に逃げ込むまでがテンプレートの流れ。最悪のループを繰り返してわたしの中身はどんどん暗く濁っていく。


 こうして自己嫌悪に陥ったところで、合成音声の歌声は何も答えてくれない。


 干渉されないからこそ心地よく、同時に寂しい。有無を言わさず殴りつけられるような人間の声とは全く違う。合成音声は歌声であると同時に楽器だ。その音に大した重さは感じない。



 ――逃げてんじゃねーよ。



 楽な選択肢に流されて、己の義務から目を逸らして。控えめに言って人間の屑に違いない。


 立ち上がれ。前を向け。そうやって何度も自分に言い聞かせては拒絶して。


 インターネットに、音楽に、空想に、逃げ込む。気分はさながら深海に沈むかのように。ゆらゆらと霞む意識に溺れる。浮かばないといけないと分かっていても。


 スマートフォンに目をやる。ミュージックビデオの少女も、奇しくもわたしと同じだった。絶望に手を引かれているところまでは。


 だけど、わたしと違って、空色の少女は立ち上がった。歌もMVも完璧に脳内再生できる聞き慣れた曲。いつも無意味に聞き流して消費している曲。そのはずなのに。


 ふと、歌声に腕をひかれるような。耳慣れた歌詞か、はたまた旋律か。あるいはそれら全てか。何かが不思議と心の奧に引っ掛かる。曖昧な人間の心理というやつか、何度も聞いたことによる新たな気づきか、それとも無意識な己の内に秘めた願いか。理由は分からないけれど、何故か心が惹かれて、引かれる。


 そう気が付くと、なんてことない歌声が、響いて、広がる。果てしない晴天のように、まっさらなキャンパスのように、どこまでも。



 ――わたしも、好きに歌っていいのだろうか。



 空色の歌声。真っ白の、なんでもない合成音声。だからこそ自分を投影してしまう。彼女のように歌えたならば。どんな想いでも歌に乗せて解き放つことができたのなら。



 ――きっとそれは、どんなに楽なことだろうか。



 そう思うと、胸の奧で何かがはたと沸き立った。


 衝動、などと呼べる素敵なものではないのだろう。もっと醜く、泥臭い、渇望のような。メロディーが堰を切ったように溢れ出して、感情がこんこんと流れ出る。鼓膜から魂を揺さぶる旋律に合わせて、歌が。


 閉ざした窓を開く。唇から零れた歌声が、凛と夜空を駆けてゆく。細く小さいさえずりだけれど、それでも強く真っすぐに。無色透明の旋律にわたしの音色を重ねて。漆黒の世界を青に染め上げて。


 せめて歌おう。彼女と共に、心のままに。


 その少女は合成音声だった。わたしのことを決して否定しない。肯定もしない。だけど、わたしが踏み出すときにはそっと背中を押してくれる。何者でもないから、何者にもなれる。彼女の歌声は誰のものでもないけれど、今このイヤホンから飛び出すのはわたしだけの彼女の音色。みんなのアイドルで、わたしだけのアイドル。


 彼女と一緒なら。何度でも、どこまでも、いつまでも。


 歌える気がした。それだけで十分だった。



 

 *




 夜が更けてゆく。時計の針は今にも頂点を指そうかというところ。明日に備えて、イヤホンを外して、携帯を閉じる。ベッドに潜り込んで布団を被った。湧いてくるのは現実から逃げるような眠気ではなくて、少し心地いい疲労感と明日へ向かう意識。


 今日はもう寝よう。まっさらな翼を広げて可能性の大空へと舞い上がるために。





〈了〉

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空色の偶像 まくつ @makutuMK2

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