3.二人のティータイム


「うわわわわ、遅刻するぅーーー!」


 夜遅くまで本を読んでいたことが災いし、あたしはその日、寝坊してしまった。


 朝食を食べる余裕なんて当然なく、素早く身支度を済ませると、カバンを手に家を飛び出す。


 住宅地を駆け抜けて、大通りに出ようとした時。前方に見知った顔があった。


あおいちゃん、おはよー」


「え、美咲みさきちゃん!?」


 普段とはまったく違う登校時間だというのに、美咲ちゃんはいつもの場所で待っていた。


「あんた、なんでいるのよ」


「葵ちゃんを待ってたんだよー。急がないと、遅刻しちゃうねっ」


 彼女はどこか楽しそうに言って、先頭に立って駆け出す。


 わざわざ待ってくれなくても、一人で先に行けばよかったのに……。


 そんなことを思いつつ、あたしも彼女の背を追ったのだった。


 ……それから通学路を駆け抜けることしばし。


 ようやく見知った制服姿の集団が見えはじめ、あたしは速度を緩める。


 ここまでくれば、いつものペースで歩いても遅刻はしないと思う。


「いやー、スリリングな朝だったねぇ。疲れたよぉ」


 言いながら、美咲ちゃんがあたしに背後から抱きついてくる。


「ちょっと、いつの間に後ろに回り込んだのよ。恥ずかしいからやめなさい」


「えー、周りをよく見てよ。手を繋いでる子とか、いっぱいいるよ?」


「えぇ……?」


 美咲ちゃんに言われて、周囲を見渡す。


 言われてみれば、手を繋いで登校している子が多い気がする。


 中には腕を組んでいたり、どう見ても友達以上の関係に見える二人組もいる。


「た、確かに手を繋いでる人多いけど……」


「でしょ? なので、わたしと葵ちゃんが手を繋いでも気にする人はいないのです。ほい」


 笑顔で言って、彼女は右手を差し出してくる。あたしは一瞬手を伸ばしかけて……思い留まった。


「いやいや、さすがに手を繋ぐのは恥ずかしいわよ」


「えー、女の子同士でも?」


「女の子同士でもダメ。せめて抱きつくくらいにしなさい」


「……わかった。そうする」


 美咲ちゃんは心底残念そうに言ったあと、再びあたしに背後から抱きついた。


 ……冗談のつもりだったんだけど、彼女は本気にしたらしい。


 今更振りほどく元気もなく、あたしは背後霊となった美咲ちゃんを連れたまま、学校へと向かったのだった。


 ◇


 その日の授業を終えて、あたしは失恋部の部室へと向かう。


 もちろん、美咲ちゃんも一緒だ。


「お疲れ様でーす……あれ?」


 部室に足を踏み入れるも、そこには誰の姿もなかった。


『私用が入ってしまった。結衣ゆいも休むから、今日は二人で活動してくれ』


 天野あまの部長の定位置となっている席に視線を送ると、そんなメモが置かれていた。


「先輩たち、いないのかぁ……葵ちゃん、二人きりだね」


 意味深な声色の美咲ちゃんを無視して、あたしは自分の席で文庫本を開く。


「こーらー、無視するなぁー!」


「椅子を揺らさないでよっ! 落ち着いて読めないじゃないのっ!」


「わたしがいるのに本を読むなんて信じらんない……こうなったら、また背後霊に……」


「なるなっ。悪霊退散!」


「う、うぎゃあ……!」


 あたしが机に置かれていたシュガーポットを掲げると、美咲ちゃんはその場に崩れ落ちた。


 こういうノリをしてくれるあたり、さすが幼馴染って感じだ。


「はぁ、とりあえずお茶入れるねー」


 美咲ちゃんはそれから何事もなかったかのように立ち上がると、電気ケトルでお湯を沸かし始める。


「そういえばさ」


「なにー?」


 慣れた手つきで茶器と茶葉を用意してくれる美咲ちゃんに、少し気になったことを聞いてみる。


「失恋部って、顧問の先生は?」


「書類上は紅茶研究会だし、研究会は同好会と同じだから顧問はいないよー」


「あ、そうなんだ」


「そうそう。空き教室があれば、申請すれば貸してくれる感じ。実績ないと、取り上げられちゃうみたいだけどさ」


「実績?」


「部長さんによると、文化祭でお茶の歴史の展示やるって」


「うわー、それはそれで大変そうねー」


 文化祭の準備はまだ先だけど、部員四人でそれをやることを考えると、今から億劫だった。


「はーい。お湯湧いたよー。葵ちゃんはジャム? それともハチミツ?」


「あー、今日はジャムでお願い」


「おお、ロシアン文学少女だ」


「なによそれ」


 思わず苦笑したあと、あたしは本を閉じる。


 お茶の準備を全部美咲ちゃんにさせるのは申し訳ないし、あたしも手伝うことにした。


「はー、やっぱり美咲ちゃんの入れてくれた紅茶は絶品ねー」


「……ねぇ、今の、あたしのマネ?」


 その後、二人で紅茶を堪能していると、美咲ちゃんが何か言っていた。


「そうだよー。似てなかった?」


「やたら似てたから怖いのよ……」


 つい呆れ顔をしたあと、美咲ちゃんの用意してくれたカリントウをつまむ。


「おいしいけど……紅茶のお茶請けにカリントウってどうなの?」


「紅茶もお茶も元は同じだし……和洋折衷わようせっちゅうってことで」


「暴論よねー」


 そんな会話をしながら、美咲ちゃんと向かい合ってお茶を楽しむ。


 なんとも落ち着く時間だった。


 ……美咲ちゃんの視線だけは、すごく気になるけど。


「うわ、雨降りそう」


 そんなことを考えていると、美咲ちゃんが窓の外を見ながらそう口にした。


 あたしも急いで外を見ると、それまで晴れていた空はいつしか灰色に染まり、今にも雨が降ってきそうだった。


「やばっ……あたし傘持ってない! 早く帰らなきゃ!」


 言うが早いか、あたしは残っていたお茶を一気に飲む。


「うわっちっちっ」


「あははっ、葵ちゃん、猫舌だもんねぇ」


「笑ってる場合じゃないわよっ。あんたも早く帰る準備しなさい!」


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