男の言葉に、真央はなぜか動揺した。客の言葉なんか、ひとつも本気にとらないように、身も心もすっかり変わっていたのに、なぜか。

 「……変わらない?」

 真央が確かめるように繰り返すと、男は軽く頷いた。重みのない頷きかただった。男にとっては、それは大したことではないのだろう。自分の悲しさに、自分で気が付いていないような、そんな滑稽さとより深い悲しさがあった。

 真央は、男の髪から手を離し、ついでに身体も離した。男の身体から、得も言われぬ悲しさが伝染してくるような、不吉な感覚があった。悲しいのは、嫌いだった。なるべく悲しみを感じないように、心がけて生きてきた。たまに失敗することもあったけれど、仕事中なんかに、自分に関係のない悲しみなんか、背負いたくはない。

 シャワー、一緒に浴びる?

 断られると分かっていて、それでもいつものルーティンを口にしようとした真央に、男が言葉を投げかけてきた。

 「あんたはバイなんだろ。」

 その言葉には、ただの確認作業、といった感じの確信があった。真央がゲイだとは露ほども思っていないような。全くもって一本気にゲイである真央は、男の言葉の確信に戸惑った。のんけ食いの客や、バイを好む客相手に、のんけだのバイだのと嘘をついたことはいくらでもあったから、その手の噂がこの男の耳に入ったのだろうか、とも思ったけれど、この男からはそんな噂が聞こえてくるほど、観音通りに入り浸っている匂いがしない。なんと答えるのが正解か分からなくなって、真央が曖昧に黙り込んでいると、男が再び口を開いた。

 「あんた、貴子のヒモだよな?」

 咄嗟になにを言われているのか分からなかった。貴子、と、ヒモ、という言葉が上手く組み合わされなくて。そんな一瞬の沈黙を、男は肯定の返事と取ったようだった。

 「いつから。」

 ごく低い声には、なんの色も乗っていなかった。その冷たいクリアさを、真央は怖いと思った。この男は、もしや姉ちゃんのストーカーかなにかだったのではないか。そう思い到って、心臓がぎゅっと握りつぶされたみたいに痛くなる。ここでどう返答するかで、自分が無傷で帰れるかどうかも、貴子が無傷でいられるかどうかも決まる。こういう修羅場にあったことは、立ちんぼなんかやっていればはじめてではないけれど、その度新鮮に血が凍った。

 

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