第11話 つかの間の休日

 身体中からじんわり汗が吹き出す暑さは、強い日差しがアスファルトに照り返すせいか。それとも、視線の先で行き交う人々が生み出す熱気のせいか。


 どちらにしても九月が終わるというのに、まだまだ夏の暑さが残っているのを感じた。



「ちょっと早かったかな」



 有名な犬の銅像の近くで、そっと汗を拭いながら待ち合わせの人物が来るのを待つ。

 スマホの時計を見ると、まだ約束の五分前。

 いつもは私のほうが遅かったから、少し新鮮な気分だった。

 これも乾さんと九条さんから受けた、良い女になるための特訓の成果だったりするのかな。


 ────余裕を持った行動で、相手を無駄に待たせないこと。


 前に九条さんとの待ち合わせに寝坊したとき、ものすごい形相でそう言われたっけ。

 ちなみに今日は特訓ではないし、待ち合わせ相手も二人とは違う人だ。



「優美子ちゃ~ん! 待たせてごめんね~」



 右に左に視線を動かしていると、喧騒の中から聞き慣れた可愛い声が耳に届く。

 聞こえてきたほうを見ると、人混みの間を縫うようにして駆け寄ってくる見知った姿が。


「あかり! そんなに汗かくくらい走らなくても良かったのに」


「はぁはぁ、ちゃんと時間は守らないと」


「真面目だなぁ。でも、あかりがギリギリなの珍しくない? なにかあった?」


「すごい人で、出口もたくさんあったから迷っちゃって……」


 これは私が変わったんじゃなくて、あかりにハプニングがあったからか。いつもの私は、五分くらいの遅刻とか平気でしてたし。

 約束の度に待たせていたあかりの気持ちが、なんとなく分かった気がした。


「私一人だと、確実に心が折れてた人の多さだよ……」


「休みの日に好んで来ようとは思わないよね」


「でも、動物雑貨が大集合の限定ショップが開催されるって聞いたら、どこへだって行くしかないでしょ!」


「相変わらず好きだねぇ」


 本日の目的である限定ショップは、百貨店の特設ブースで開催されているらしい。今日はその付き添いというわけだ。

 最近は乾さんや九条さんと会うことが多かったから、あかりとはなんだか久々な気がしちゃう。


「そんなことより、優美子ちゃん。少しお洋服の趣味変わった?」


「へっ? 特に変わってないけど」


「私の気のせいかな。今までと雰囲気が違うように感じて」


「もしかして、最近ファッション雑誌読んだ効果かな!?」


「う~ん、そんなすぐに効果出るの?」


「あはは……だよねぇ」


 笑って誤魔化したけど、あかりの指摘は間違っていなかった。

 服自体はもともと持っていたものだから、新しい趣味ってわけではない。

 違うところといえば、今日の服は乾さんに考えてもらった組み合わせのものってところ。


「優美子ちゃんの隣を歩くと、私はまるで田舎娘だよ」


「そんなことないって。あかりは自分の可愛さにもっと自信を持つべきだよ!」


「あ、ありがとう……」


 今日のあかりも、もちろん可愛い。

 淡い水色のシンプルなトップスに、足元の部分がシースルーになった白のロングスカート。

 ゆるふわなイメージを与えるその服装からは、おとぎ話のお姫様みたいな雰囲気が醸し出されていた。

 外に跳ねたショートカットによって首元は開けていて、汗が伝う様子につい目を奪われてしまう。

 この服をこれだけ着こなせるんだから、持ってるポテンシャルは乾さんや九条さんにだって負けていないはずなのに。




 そんな可愛さに溢れたあかりだったけど、ショップに着いてからは目の色を変えて物色していた。

 カゴの中にはすでに、十点近くの商品が入っている。


「あ、あかり。そろそろやめといたら? お小遣い無くなっちゃうんじゃない?」


「それもそうだよね……。何個か諦めようかなぁ」


 品定めするようにあかりは眉間に皺を寄せる。

 せっかくの可愛い顔が台無しだけど、それくらい真剣なんだろう。

 少しすると選び終えたのか、あかりはレジのほうへと向かっていった。

 離れたところからでも分かるほどの満足そうな表情を見たら、自然と私の口角も上がってくる。


「お待たせ。付き合ってくれてありがとう」


「ううん、あかりの笑顔が見れて私も大満足ですとも」


「もう、恥ずかしいよ……」


「もっと見せつけていきなって。それより次はどこ行くの?」


「俺、めっちゃ良い店知ってるよ」


「……はっ?」


 突然、会話に入り込んできたあかりのものとは違う低い声。

 振り向くと、いかにもチャラそうな男二人と目が合う。

 辺りを見回すけど、周りで立ち止まっている人は他にいなくて。どう考えても私たちに声をかけてきていた。


「な、なんですか? あなたたちに聞いてないんですけど」


「そんな冷たいこと言わないでさ」


「そっちの子、隠れちゃって可愛い~。俺たち怖くないよ~」


 気づけば、私の背中に隠れてしまっているあかり。

 あかりが可愛いのは同意する。けど、こんなやつらに馴れ馴れしく言われるのはあまり気分がよくない。

 なんとか守らないと。そう思った私は睨みつけて反抗する。



「迷惑なんですけど。離れないなら、叫びま────」



「うわっ、またやってる」



 せっかく勇気を出した言葉も、また新しく会話に入り込んできた声に遮られてしまった。

 今度は何者かとイライラするけど────この声、なんか聞き覚えがあるような。


「げっ……」


「お前は……」


「アンタら、そんなやり口だからモテないんだってまだ分からないわけ?」


 いつの間にか私と男たちの間には、一人の見慣れた姿が割り込んできていた。


「な、なんでここに……?」


「日坂ちゃんが困ってそうだったからね」


 目の前には──振り向いて、余裕の表情で微笑む乾さんが立ちはだかってくれていた。


 カッコいい。私の推しが前で守ってくれてることに、心臓がドキドキしてしまう。

 テンションが高まりそうになったけど、後ろから掴まれていた手に力が入ったのを感じて冷静になる。

 今度は私が振り向くと、小動物のように可愛くて天使のみたいな表情のあかりが。

 あぁ、もうナンパ男なんかどうでもよくなるくらい。


「お前みたいなゴリラ女には話しかけてねぇから」


「部外者が割り込んでくんじゃねぇよ」


「うち、この二人と親友なんだよね。クラスも一緒で、ちょ~仲良しなの。だから────」


 乾さんの言葉が途切れたその瞬間、一気に周りの空気が冷たくなったように感じる。

 背筋がゾッとするその迫力は、間違いなく私の目の前の人物から放たれていた。


「強引に連れていこうものなら、どうなるか分かってる?」


 顔を見なくても、声だけで分かる乾さんの鋭い表情。

 それは、九条さんと言い合ってるときとは全く違うもので。

 普段の怒る様はちゃんと演技していたんだ、と心の中で納得する。


「痛い目にあいたくなかったら、どっか行って」


「だ、誰がお前らなんか」


「ブスが調子乗ってんな」


 声を震わせて絞り出すようにそう吐き捨てながら、ナンパ男二人は走り去っていった。

 情けないその姿に、思わず吹き出しそうになる。

 けど、男たちが吐き捨てた言葉を遅れて理解すると、私にとっては全く笑えないものだった。



「乾さんのどこがブスだってっ!?」



 遠くなった二つの小さな背中に向かって、私は思いっきり叫ぶ。


「あははっ、今そこ? やっぱ日坂ちゃんいいね。アイツらの言葉なんか、気にしなくていいのに」


「ムカついたから……。それよりも助けてくれてありがとう」


「服を買いに来てただけだから気にしないで。でもビックリしたよ。見覚えのある顔と、二度と見たくない顔が鉢合わせてたからさ~」


 ヘラヘラと笑う乾さんからは、さっきまでの冷たさは全く感じられない。

 特訓のテスト的な感じでつけられていたのかも──なんて少し考えたけど、近くに九条さんはいないみたいだし本当にプライベートなんだろう。

 そんなことを考えていると、乾さんは唐突に私の背中を覗きこんできた。


「やっほ、小笠原さん」


「こ、こんにちは。あの、助けてくれてありがとうございます」


「いいのいいの。うちも、アイツらに声かけられたことあったし」


「そういえば、乾さんの顔を見た瞬間に逃げていったけど……。前になにかしたの?」


「ちょっとしつこかったから、投げてやった!」


「男の人を、ですか?」


「護身術はああいうときに役にたつからね。二人も覚えておいたほうがいいよんっ!」


 あまりにも気軽に言うもんだから、私とあかりは顔を見合わせて苦笑する。


「このままいるとお邪魔だろうし、うちはもう行くね」


「あっ、ちょっと……」


 嵐のように──なんて表現がピッタリなくらいに、乾さんは颯爽と去っていってしまった。

 その場にポツリと残された私とあかり。

 張り詰められた緊張の糸が先に切れたのは、あかりのほうだった。


「はぁぁ。緊張したぁ」


「ははっ、すごいガッチガチだったもんね」


「ごめんね、背中に隠れちゃって……」


「あかりを守るためなら、いつでもウェルカムだよ! って、守れてなかったけど」


「私にとっては、乾さんと同じくらい、優美子ちゃんもカッコよかったよ」


「そう言ってもらえただけで、ちょっとは勇気を出した甲斐があったってもんよ!」


 ただ、この一連の流れでどっと疲れたような気がする。

 あかりの表情も、心なしか元気がないように見えた。


「他のお店、どうしよっか?」


「今日はやめておこうかな……」


「だね。まぁ収穫はあったんだし! また来ようよ」


「付き合わせるだけになっちゃってごめんね」


「あかりが謝ることじゃないって! あかりに手を出そうとしたら、今度は私が投げてやるんだから」


 今度、本気で護身術を教えてもらおうかな。

 買った動物グッズを笑顔で見つめるあかりの表情を見たら、少しだけそう思うのだった。

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