未解明事象管理機構

雉子鳥 幸太郎

第1話

夕焼けに染まる繁華街の路地裏で、小太りの中年男性がスマートフォンを握りしめていた。


男の手は震え、息は荒い。


額にはうっすらと脂汗が滲み、何度も何度も画面をタップして、誰かに連絡を取ろうとしているが、焦りからか上手くいかない。


「あぁ……もぉっ! なんで俺は忘れてきちゃうかなぁっ!」


スマートフォンの画面には『未解明事象監理機構 ―Unexplained Phenomena Management Agency―』という組織名と『一般調査員 稲倉いなくら』と表示があり、この男が組織の調査員だと暗に示していた。


そんな男の様子を、小学生くらいの子供たちが遠巻きに見ている。

顔が見えないほどの距離ではないはずだが、なぜか認識できない。ただ、子供たちから向けられる視線からは、何か尋常でないものを感じた。


「⁉」


子供たちの影が徐々に忍び寄って来るのを見て、男は思わず声を上げた。


「くっ…来るなっ!」


その時、子供たちの顔が初めて見えた。

夕陽の逆光に照らされた不気味な笑み……。およそ人間とは思えない表情を浮かべた、何か別の恐ろしいものが、人の姿を借りて調査員の男を取り囲んでいる。


「や、やめ……」


緊迫した空気が流れ始めたその時――。

突然、重く押し潰されるような禍々しい気配が場を支配した。


子供たちと調査員の視線が、同時に一点に向けられる。

そこに立っていたのは制服姿の女子学生、志堂寺瑠果しどうじ るか。そして、その背後には「闇喰い」と呼ばれる巨大な怪異が、まるで陽炎のように揺らめいていた。


「しっ……志堂寺かっ!」

 調査員は彼女を認めるなり、安堵の表情を浮かべた。


「すまんっ! 管山猫くだやまねこを忘れて祓い損ねたんだ、助かっ――」


男が言い終える前に、子供たちの姿が変容し始めた。


顔や身体が溶け、まるで台風のように渦を巻きながら互いに混ざり合っていく。

人の形を成していた仮の姿を捨て、本来の醜悪な姿を現した。


『オオオオォォォ……』


地鳴りのような唸り声に、男の足が恐怖ですくむ。

男はそのまま力が抜けたように地面に尻を付ける。


「ひぃいっ……!?」


黒い渦の中に無数の顔が見える。

どの顔も苦痛に歪み、黒い涙を流していた。


志堂寺は悪霊を見るなり、まるで面倒な小石でも見つけたかのように短く息を吐く。


「おじさんに取り憑きたいんならさぁ、胸のおっきなお姉さんにでも化ければ?」


挑発めいた言葉に反応し、悪霊は獰猛な形相で志堂寺に襲いかかった。


『オアアアアアァアァァ――――ッ!!』


だが、志堂寺は微動だにしない。

むしろ退屈そうに言った。


「いいよ、食べちゃって――」


その言葉と共に、悪霊よりもさらに巨大な闇喰いが大きな口を開け、悪霊を丸呑みにする。小魚を食べようとした魚が、さらに大きな捕食者に飲み込まれるように、それはあっという間の出来事であった。


「任務完了っと……」


驚愕のあまり言葉を失った調査員を冷たい目で見下ろし、志堂寺は「雑魚が」と吐き捨てると、そのまま立ち去っていった。

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