第五話「暗くなっていく空を背景に」

「来訪者様はこの世界の宗教にはおくわしくないでしょう。我々、『光の民』はその名の通り双子星の光を信仰しています。遠い昔、一千年前。この世界を統一した帝<みかど>は、世界創造の神に出会いました。帝は自身の命と引き換えに宗教の統一を求め、彼の死によって双子星が浮かび上がりました。人々は浮き上がる星を見て、自然に頭を垂れたと言います」

 「それからしばらく」と、外務卿は窓から差し込む光を片手で遮<さえぎ>って、グラスは光を失った。

「ある時、『そんな教えは信じない』といった盗賊が神殿を荒らし、略奪を働きました。すると、星が強く光り、それに目を焼かれ、彼は光を失いました。彼は罪人でしたが、家族愛に厚い人間でした。彼は自分の過ちを悔やみ、止めてくれた家族のことを思い出しました。そして、『もう一度家族の顔が見たい』と全財産を放棄し、双星教の僧になりました。人々を助け、祈りを捧げ、彼の目に光が戻ったのは再び星が輝いた五十年後。家族は皆他界していました。しかし、それでも彼は双子星を見られたことに感激し、最後は笑顔で死んでいきました。……来訪者様。どうして彼は家族に会えなかったのに笑顔で死んだのかわかりますか?」

「えっ……それは……視力が戻ったから?」

 「はははっ」という笑い声と共に、外務卿は大袈裟に拍手する。

「まさか。根が罪人なのだから五十年の空白を恨み、また盗賊に戻るでしょう。違うのです。双星教では、善行を積んだ者は双子星で幸せな生活ができると説きました。つまり、彼は最後双子星に行った自分の家族を見て、そして満足して死んだのです」

 ひっかけ問題だ、と内心思った。しかし、語られた内容は興味深く、私は思わず窓の外を見た。岬がこちらに気付いてはにかむ。それに手を振りながら、天を見た。鮮やかなプルシアンブルーをバックに、昼間にもかかわらず双子星はくっきりと見えた。

 外務卿の方を見ると、彼もまた外を見ていた。そして再び喋り出した。

「くどくど話していると思われたかもしれませんね。私が言いたかったのは、まさに双子星の光は救済であり道標であり神様からの愛だということなのです。どんな貧しい家にも天蓋があります。しかし、罪の一族にそれは許されていない。彼ら、彼女らは星の光の届かない洞窟で生きる、闇の生き物。来訪者様の言っていることは、『獣を人間扱いせよ』と言っているに等しいのです」

 言葉を失い、黙り込む。言いたいことは山ほどあった。彼女もその両親も人間であって、獣なんかではない。一方的に光を奪い洞窟に押し込んだのはお前たちではないか。

 それを言えなかったのは、外務卿が岬を見つめる目があまりにも冷たく、人間に対する目線ではないからだった。ようやく体感した。罪の一族はそもそも、人間だとすら思われていなかったのだ。

 これが、差別。私はそれを目の当たりにして、「こんなことは無くさなくてはいけない!」と啖呵を切ることはできなかった。ただ、怯えた。その根の深さに。

 そして、考えないようにしていた疑問が頭をよぎった。

 本当に、私一人の力で罪の一族を救うことなんてできるのか?

 私は、急に不安になった。

「ご自分のやろうとしていることが分かりましたか? その大きさに、不安が顔に出ていますよ」

 外務卿は見透かしたようにそう言った。その指摘によって、私の不安はより一層大きくなった。大言壮語だったのだ……私が罪の一族を救うなど……。

「とまぁ、ここまでが高空城を救っただけでは罪の一族が救済されない理由です。この先のことを話しましょう」

 彼は椅子の隣に置いた四角い黒の革鞄から何かの革でできた水捌けの良さそうなポーチを取り出し、一瞬にしてそれを私の腕に預けた。

「その中には路銀と謝礼が入っています。遠くから来ていただいた来訪者様を手ぶらで返すわけにはいきませんから。この場で確かめていただいても構いません」

「いえ……」

 もう岬のことを注意する余力は微塵もなかった。私はただ茫然とポーチを触って、そのツルツルとした手触りに、昔住んでいた長野で初めて氷柱を触った時のことを思い出した。私はその氷柱を気に入ったけど、体温で氷柱は溶けてしまって、長く立派だったその槍は真ん中で折れてしまった。

「では、受け取っていただいたということで。実は、その中に一通、来訪者様に向けた手紙が入っております。もし本気で罪の一族を救済するお考えがあるのであれば、役に立つでしょう」

「え……?」

「ところで、お連れの方は腕に赤い痕がありますね」

「ああ……虫に食われたと言っていました」

「そうですか。それなら、きっと手紙が役に立つ」

 そう言って、外務卿は人工的な笑みを浮かべた。不気味だった。

 この時、私は目の前の男に怯えると共に、頭の上に大きな疑問符を浮かべていた。その意味が分かるのは、ずいぶん後のことだ。意味が分かってから、私は後悔して、してもしきれない気持ちになって、どうして気づけなかったのだろうと己を呪うことになるのだ。


「やあやあ、元気?」

 窓の外まで行って、その背中にそう話しかける。岬が振り向いた。岬は緊張した面持ちを崩して、乾いた笑いと共に笑顔で私に抱きついてきた。

「おっとっとっと。よしよし」

 背中を撫でてやる。

「お姉ちゃん……」

 小声で岬はそう呟く。背中に何かスイッチでもあるかのように、背中を撫でると彼女はそう甘えた声を出した。

「心配してました。何かされるんじゃないかって……」

「そんなことなかったよ。あの人は好きじゃないけどね」

「何か……私達について言われましたか?」

 私への抱擁を解き、数歩後退した岬がそう問うてくる。恐らくは直感的に。私は答えに窮<きゅう>した。岬の前では頼れる「みぞれ様」でいなくちゃいけないのに。特別じゃなくちゃいけないのに。

 岬は私の目を見つめるのをやめて、海を見た。

「広いですね。私、初めてです。海を見るのは」

 それが私への配慮だということは流石にわかったので、なんだかとても情けない気持ちになった。

「何度だって……何度だって海くらい見せてやるぜ!」

 震える唇でそんなことを言ってみる。

「そうですね」

 どこか物憂げにそれを受け流す岬。

「でも、本当に大きいな」

 海はちょうど夕陽を飲み込もうとするところで、海面は少し照れたように頬を赤らめ、嬉し涙でキラキラと白く輝いていた。そんな海が一面に広がっている。

 そして、彼女は首を斜めにして控えめに微笑んだ。

「でも、みぞれ様が無事で良かったです」

 撃ち抜かれる、というのは多分こういう時に使うのだと、私は学習した。

 返事の一つも出てこない。いや、出てくるには出てくるが、どれも恥ずかしくて喉を通らない。純粋な好意の前には、ふざけた言葉なんて形にならないのだ。

 だけど、私は彼女を救えない。太陽が海に飲み込まれていく。私は特別だ。それなのに、この世界のふざけた差別を一蹴することさえできなかった。その現実が重くのしかかった。

 そんな私の心情を知ってから知らずか、

「高空城に戻ったら荷運びを手伝ってくださいね?」

 と、岬は言う。

 私は曖昧に笑って、彼女の肩に手をかけた。

「絶対、助けるから」

 困惑の色濃い彼女を横目に動悸を抑える。

「行こうか」

「はい」

 そうして、暗くなっていく空を背景に、私たちは王都を後にした。


第二章完結

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る