29 モブ、星天の深淵に落ちるⅤ

 ———お兄ちゃん、楽しかったね。


「っ、ふざけんなよ」


 ———ふふふ、それじゃちょっとだけ休もうか。またしばらくしたら遊ぼうよ!


 また、あのシアターだ。


 狩人たちがじっとスクリーンをみつめる不気味な光景を目にするのはこれで百を越える。嫌になるぐらい、このシアターに帰ってきていた。


 ———ポップコーンでも食べる? ソーダも買ってこようか!


 星天の妖精の足音が遠ざかっていく。


 スクリーンに映されているのはこれまでの遊びとやら。


 目からとけたガラスを流しこまれているオレの姿だった。


「っ」


 響き渡る絶叫に、オレは思わずスクリーンから目をそらす。


 あれは、初めて知った痛みだった。もちろん、今までそんなふざけたことをしてくる妖精がいなかったというのもあるのだが。


 オレの魔術の苦手とすることは山ほどあるが、そのうちのひとつに痛みがある。


 オレの魔術はオレが戦おうとする限りそれを叶える。つまりは、痛みで脳が気絶することは許されない。


 ……くらりと、たちくらみがした。


 ああ、これだ。


 シアターに帰ってくることで、もっとも恐れていること。


 それは、遊びがないことだ。


 オレの魔術は戦いのうちは傷を治してくれるが、戦いが終わればたちどころに働かなくなる。


 つまり、星天の妖精と遊んでいない今は傷が治らないということで。


「っ!」


 音にならない悲鳴を殺す。


 傷が治らないのだから、この激痛をこらえなければならない。もしも気を失ってしまって、それが遊びをやめたと星天の妖精に考えられれば終わりだ。


 なんとしてでも気をたしかにしなければならない。


「痛いな、くそが……」


 根からちぎられた右腕の傷跡をおさえながら、オレは座席に沈みこむ。


 ダラダラと流れ落ちる血が、赤いカーペットをどす黒く塗っていく。それをオレはぼーっと眺めていた。


 思考がままならない。


 この星天の妖精の遊びとやらに終わりはない。


 もしも星天の妖精の言う大魔術が、永遠に遊びを続けることなのだとすればオレは一生ここで戦い続けなければならない。


 一生、苦しまなければならない。


「わかっている、わかっているとも」


 それでもやらなければならない。


 心のどこかでは、辞められないと知っている。


 だが。


「それでも痛いものは痛いわけか……」


 心が折れかかっている。


 実にマズい話だ。


 情けないことに、終わりのない激痛はこれまででもっとも辛かった。モルグレイドの時はまだ終わりがあっただけましだったのだ。


 だが、星天の妖精は終わりがみえない。


「っ!」


 脇からとりだしたナイフを、膝につきさす。


 ぐりぐりとまわして、傷口をえぐっていく。そうでもしないと、泣き言を口にしてしまいそうだった。


「……もう、いいんじゃないかな」


 顔をゆがませるオレに、いつもの優しい言葉が響いた。


 初めは幻聴かと思った。


 なにしろそれは星天の妖精の魔術に囚われているはずの者からの言葉だったのだから。


 オレはゆっくりと顔をあげる。


 あいかわらず美しい白銀の髪が目と鼻の先でゆらめいていた。


「逃げよう、僕なら君を逃がしてあげられる。もう君はじゅうぶんに苦しんだんだ、楽になっていいさ」






「はっ、星天の妖精か。そんな幻にひっかかると思って……」


「星天の妖精はこういう魔術はしないと、君もわかっているだろう。あれはただ遊びたいだけだ、こちらを嘲笑いたいわけじゃない」


 モルグレイドの静かな口調が、オレの頭に染み渡っていく。


「なぜ、言葉を口にできる」


「僕の魔術でね、星天の妖精からかすかにだけど生気を手に入れた。吹けばなくなってしまうぐらい今の僕には力がないけれどね、それでも僕は正気だよ」


 恐らくは手足をピクリとも震わすことすらできないのだろう。


 モルグレイドはじっとスクリーンをみつめたまま口をひらいた。


「星天の妖精は僕には気がついていない。一瞬だけ、ほんの一瞬だけなら生気をすいとって隙を作ることができる」


 スクリーンにはオレが苦しめられている姿が映っている。


 この時は目隠しをされて飲みくらべをさせられたのだ。溶岩やら毒やら、子どもが妄想するようなふざけたものを飲まされた。


「つまり、ここの狩人たちを助けられるというわけか」


「僕をたかく買ってくれるのは嬉しいけれどね、それは駄目だ。逃がせるのは僕ともうひとりだけ、それがギリギリだね」


「……それは、厳しいな」


 モルグレイドはつまり、オレだけを生かそうとしているらしかった。






 スクリーンのうちのオレは、顎をとかされてもだえ苦しんでいる。


 星天の妖精は、ニコニコと笑ってコップに残った酸をオレにそそいでいた。


「……もう、楽になっていいと思うんだ」


 モルグレイドはぼそりと呟いた。


「今から僕は妖精にももとる言葉を口にする。僕を人でなしだと、しょせんは妖精モドキだと罵ってくれていい。だから聞いてくれ」


「なにを……」


 ひどく優しい口調だった。


「君はね、もうぞんぶんに人類のために戦ったと思うんだ。もうこんなに苦しんでまでそれを守らなくたっていいじゃないか、逃げたっていいじゃないか」


「苦しんで辛くなって、どうしようもなくなって」


「逃げても、楽になってもいいじゃないかって」


 モルグレイドが一言ずつ言葉を紡いでいくのを、オレはただじっと聞いた。


「僕が戦う理由はね、ミッカネン。君だけなんだよ」


「だからさ、君が幸せになれないのなら人類なんか守るつもりはない」


「ほんとうのことを言うとこうなるんじゃないかって考えてたんだ、星天の妖精がやってくると聞いて。また君が苦しむと思ったら、逃げたらいいじゃないかって」


 かつて、オレが星天の妖精と遊ばされた時、モルグレイドだけがそばにいた。


 一等席で、ずっとオレの悲鳴を聞かせてしまった。


 モルグレイドが悲痛な、それでもひたすらに優しい言葉をなげかけてくる。


「僕がなんとかしてあげるよ。人類が滅んだって、君だけは命にかえてでも守る。君がもう苦しむことはない」


 もしかするとその言葉はモルグレイドの新たな魔術なのかもしれなかった。まるで毒のようにオレの脳を犯し、甘美にとろけさせる。


 モルグレイドが一瞬口ごもった後、ついに口にした。


「だからさ、僕と逃げようよ」






「それは、できないな」


「……そう。どうして?」


 ここでオレが死んではいけない。この遊びとやらをほかの誰かにやらせるわけにはいかない。


 星天の妖精を、この遊びとやらを続けることができるのはオレだけだ。


 オレが死んで、そしてラディムが殺されれば?


 イスファーナは、イングラシウスは、アルハンゼン先生は、そしてモルグレイドは、残された人類は妖精に勝つことができるか。


 オレがやらなければならないのだ。


 オレが、原作のシナリオに帰さなければならない。


「今ここで戦うことができているのは、オレだけだ。後でいくらでも軍務をおしつけてもいいが、今ここで逃げることだけはできない」


「そう、か。君らしい話だね」


 モルグレイドがちょっと悲しそうに笑った。


「ありがとう、助かった。まだまだ戦って見せるとも」


 モルグレイドの思いに謝する。


 おかげでか、思考が晴れてきた。


 激痛にさいなまれながらも、オレの頭は考える。この窮地をなんとかしてくつがえすことができないのかと、どこかに道はないのかと。


 オレだけでは駄目だ。


 ただ傷が治るだけのオレでは星天の妖精には勝てない。もうひとり、それもこういったトンデモ魔術と戦える誰かの力を借りなければならない。


 考える、記憶をたぐる、狩人の顔を頭にうかべていく。


 針の穴ほどにかすかな希望でもいい、誰でもいいからそんな魔術がある狩人はいないか。


 そうして、オレは頭のうちで一人の名に思いあたった。


 そういえば、と考える。原作のシナリオでもだいぶ終盤に、あの狩人はこのような妖精と戦っていなかったか。


 星天の妖精の足音が聞こえてくる。


 もはやためらっている暇はなかった。


「でも苦しくなったらいつでも教えてくれ。僕はいつだって君を助けて……」


「人ひとりを逃がせるというのなら、ラディムを頼む」


「は?」






「ああ、駄目だな。おまえはそうじゃないだろ、ミッカネン?」


 カリカリと、ポップコーンが噛みつぶされる音が響く。


 スクリーンに映されるはモルグレイドとミッカネンの姿。狩人たちが囚われたものとは違う、もうひとつのシアターにて。


 ———なんだか嬉しそう。お兄ちゃんが好きなの?


 星天の妖精は興味しんしんに問いかけた。


「好き、か? わかんねえな、この思いは。おまえがオレを産んだ時にいろいろと混ざって、もうミッカネンをどんな風に思ってたかもわかんねえ」


 ズズズとソーダが飲み干された。


「でもまあ、オレがすることは違わねえ。そうだろ?」


 ———うん、お兄ちゃんとずっと遊びたい。だからね、力を貸して?


 星天の妖精の言葉に、朝日のような笑顔が咲いた。ミッカネンとそう年の違わない姿をした一人の妖精は、さらさらとした髪をなびかせながら呟く。


「へいへい、わかったよお母さま。妖精が負けるなんていうくそったれなシナリオをぶっ壊しゃいいんだろ?」




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